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焼失系女子

寒いね。眠いね。布団から出れないね。



 「…ちっ」

 

 蘭丸は金属臭の染み付いた暗い色の煙の中で舌打ちする。

 いまだに精神が安定していない多頭火竜を制御しながら、あまり得意ではない風の魔術の術式を構成するという、その作業が彼にとっては煩雑で仕方がなかった。


 しかし、その作業は一旦中断されることとなった。

 

 「時間は十分に稼がせてもらったぜ、最強の妖精魔術師さんよ」


 「……お前の直接の戦闘力は皆無だろう。ノコノコ現れたところでそれほどの脅威ではない」

 

 煙幕の煙の向こうからゆっくりと真が姿を現した。その周囲に聖いない。一見すれば主人のために時間を稼ぎに現れた捨て駒だ。

 

 しかし真に関しては、()()()()()()()()()()()はずであると、そう蘭丸は認識せざるを得なかった。

 

 なにせ真の目が死んでいないのだ。

 外見からして既にボロボロ、左肩から腕にかけては火傷が治りきっておらず、よくみれば少し足を引きずるように移動している、つまり脚になんらかの怪我を負っているのは明らか。


 「式神、なにがそこまでお前を動かす?既に息も絶え絶えのお前が一人で足掻いたところで、この盤面を覆すなど決してありえない」

 

 「そうだな」


 「…は?」


 耳を疑う。

 

 勝てないと知っていて、死ににきたのか?

 この式神、命を投じたところで俺に勝てないと、そう悟りながらも俺の目の前に立っているのか?


 わけがわからない。この生命に対して理解ができない。

 

 そう考えた蘭丸は即座に思考をキャンセルし、この状況でシンプルな対処を取ることにした。



 「そうか――――では、()()

 


 濃霧の裏が眩く灯る。その光は、目を凝らせば二つの太陽だった。


 凄まじい熱量が空気を一瞬で加熱し風が吹く。熱風により吹き飛ばされた煙幕の先には、二つの頭それぞれに先ほど凄まじい威力を見せたレーザーをチャージする多頭火竜が佇んでいた。

 

 (これで終いだな)

 

 このレーザーを放てば、目の前の理解のできない不快な生き物は塵すら残らず死滅する。

 そうすれば土御門聖など恐れずに足らず。着実に責め立てればすぐさま、そして確実に勝てるだろう。

 

 そんなことを思いながら、レーザーを放つよう指示を飛ばそうとした、その時だった。


 自分の背後で、耳を劈くような()()が鳴り響いたのは。

 

 「ッッ!?」

 

 「撃たせねえが?」

 

 魂接(パス)経由で伝わってくる混乱の感情、予想外のダメージを受けた多頭火竜は一旦レーザーをキャンセルし、再び主人の命令を待つ。

 

 背後を振り向いた蘭丸が見たのは、片方の頭が見るも無残に粉々に砕け散った多頭火竜サラマンデル・ヒュドラだった。

 …いや片方の頭を失ったのならば、ただのサラマンダーのようなものだが。

 

 しかし、目下一番の問題は符術が飛ばされた形跡はないことである。探知術式に何らかの反応は一切なかったとなれば、目の前の式神がまた小細工をしたに決まっているっ!

 

 「燈は燃ゆ《Licht brennt》、しかし我が身を焦がさず敵を焼く《verbrennt aber nur Feinde ohne mich zu verbrennen》、装燭の魔鎧(フレイムエンチャント)

 

 この異常事態に蘭丸は本能的に行動した。それはタネの解明を諦め、なんらかの手段で多頭火竜の頭を爆破させた敵をいち早く排除することだ。

 

 極めてスムーズな体重移動によって初速から最高速度へと至った蘭丸は、一瞬の詠唱により展開した炎を纏った拳を真へ叩き込もうと肉薄する。


 「させないっ!」

 

 凛とした鈴のように耳に心地よい声が空間に木霊する。蘭丸の拳は意識外から飛んできた符によって防がれた。


 真と蘭丸を遮るかのように飛来した符は、淡い緑色のスパークを放ち膜を展開し巨大な結界へと成っていく。淡い緑のステンドグラスのように美しく、しかし鍛えられた鋼のような硬度を持つ結界により蘭丸の火拳が真へと突き刺さることはついぞない。


「俺の拳を阻むか、土御門聖」

 

 蘭丸の視線は符を投擲した者――土御門聖へと向けられる。

 

 視線の先の土御門聖は不敵に笑っていた。先ほどの弱り切った彼女とは全くの別人、この様子だと精神攻撃は一切効かないだろうと蘭丸は内心苛立ちを覚える。


 「私の式神(あいぼう)に一撃を加えられず残念ね」


 「いや、次で仕留めれば良いだけだ」


 「次?残念ながら、次なんてないわよ」

 

 その蘭丸の言葉に、聖は()()()()()()()を浮かべる。作られた笑みではない、心底愉しそうな笑みだ。


 その笑顔に苛立ちをさらに加速させる蘭丸は、しかしその後すぐに笑みの理由を理解した。

 

 「っ、分断された!?」


 気づけば展開された結界が蘭丸と片頭を失った多頭火竜を分断していた。よく目を凝らせば多頭火竜と対峙するように真が立っている。


 つまるところこの結界は”主人VS主人”、”式神VS使い魔”の意図的に作られたリングだった、そう気付いた時には時既に遅しである。

 

 

 しかし、蘭丸が驚いたのは()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 「馬鹿め、勝機を捨てたか!」


 それは、”二対一”による早期決着という、限りなく少ない勝利への可能性を捨てたことに対する驚愕だった。

 

 そもそも、術者としての腕は圧倒的に蘭丸の方が上なのだ。奇を衒った作戦により蘭丸に対して何もさせなかったことで、先ほどまでは何とか有利な状況を作り出していたが、完全なる一対一であれば逆立ちしても蘭丸が勝つのが必然。

 

 つまり、この状況で”木”陣営が勝利を掴める可能性があるとするならば、聖と真が速攻で蘭丸へと仕掛け、多頭火竜が混乱しているうちに早期に決着をつけること。それ以外考えられないと蘭丸は考えていた。


 しかし、蓋を開けてみれば対戦カードはまさかの”主人VS主人”、”式神VS使い魔”。完全な1on1 ×2だ。

 

 これを勝機を捨てたと言わずなんと言えば良いのだろうか、と蘭丸は心の底で侮蔑する。

 

 「勝機を捨てた?何をどう考えてその結論に至ったのか是非とも教えて欲しいわね…いえ、ひょっとして寝ぼけているのかしら?

 

 「俺が寝ぼけているだと?馬鹿を言え、お前の方が余程夢心地のようだが」

 

 「ふふっ、残念ながら……私は至って()()よ」

 

 しかし聖はなおも不敵な態度を崩さない、あまつさえ小粋なジョークを言ってのける余裕すら見せた。

 

 ここで蘭丸は、ふと心を乱されていたことを理解する。この余裕からして聖サイドが何らかの仕掛けをしているのは明らかだが、それは脅威にはなり得ないという確信があったからこそだろう。


 「……お前の算段は読めている。大量の魔力を妖精に譲渡した俺ならば食らいつけると思ったんだろうが、だとしても西洋魔術の方が術式展開が早い。予告しよう。10分後、お前は地に伏している」

 

 大胆な宣戦布告だった。そしてその態度に一切の曇りなし、芦屋蘭丸は此処に完全なる勝利を宣言したのだ。そして宣戦布告に対する聖からの返答。

 

 「――へえ、10分ね。都合がいいわ」


 舐めた宣言をした蘭丸へと敵意の視線を向けながら、どうせ10分でカタを付けなければ()()()()()()()と内心で考えつつ、聖はポーチから数枚の符を抜き取り蘭丸から一定の距離を稼ぐためにバックステップしながら移動する。


 聖が動いたと同時、蘭丸も杖を構えながら距離を離そうとする聖を追従し攻撃術式の構築を進める。

 

 東洋魔術師VS妖精魔術師、その戦闘の火蓋が静かに落とされた。




 

―――――――――――――――――――――――――――――― 



 


 ――蓋を開けてみれば、その戦いは非常に一方的なものであった。


 蘭丸を撃ち抜かんと投擲される術式符は術を放つまでもなく空中で燃やし尽くされ、その術式符を焼き払った炎弾が次は聖を焼き焦がさんと空を翔ける。

 その攻撃を紙一重で躱す聖はさながら蝶のようだが、しかし攻め手に完全にかけた聖は刻一刻と追い詰められていた。

 

 いわば完全なる防戦一方状態。一瞬でもこの膠着が解除されようものならば、聖は一瞬で火達磨と化すだろう。この試合を観戦する誰もが誰もがそう思っていた。


 (妖精抜きでも術式のコントロールが尋常じゃないッ、軌道が不規則になるように調整した符も燃やすとかどんな反射神経してんのよ!?)


 結界で真と分断してしまった以上、サポートは完全に入らない。その状況で蘭丸を攻略する手段を模索する聖は、内心冷や汗をダラダラとかきまくっていた。

 

 しかし、その油断を見逃すほど蘭丸は生易しい術者ではない。

 

 「装燭の魔鎧(フレイムエンチャント)


 「っあっぶな!?」

 

 手元の術式符が空になり打ち止めになった瞬間、杖をホルダーへ差し戻すと炎の鎧を纏った蘭丸が一直線に聖へと迫る。

 聖はその思い切りの良さに一周回って感心しつつも、少しでも距離を離すため大きくバックステップしながら、瞬時に右袖の下に隠し持っていた物理結界を展開する。

 

 聖から1mほど手前、時間にしてコンマ数秒後には聖に拳が届くだろうというタイミングで展開された結界は完全に蘭丸の意表をついた。

 聖の表情は笑っていた、こんなにもあっさり()が釣れたのだからしょうがないだろう。

 

 (っ、釣られたか)

 

 聖の意味深な笑みと、目の前で展開されるステンドグラスの如き緑色の幕を前に、蘭丸は自身が先走り過ぎたことを悟る。

 なにせ聖がカウンターを想定して展開した結界である。強度は相当高いだろうと予想は付く。この拳が弾かれようものならば大きな後隙を晒すことは必然だ。

 

 「ならばッ」

 

 拳と結界が衝突する寸前、蘭丸は結界を貫通すべく拳を握り拳から貫手へと変える。炎を纏う手刀と物理結界が衝突した瞬間、硬質な物体同士がぶつかるような異音が会場中へと響き渡る。


 凄まじい勢いで振り抜かれた手刀によって軋む結界、しかしその表面には亀裂はなく見事に一撃を凌いだ。


 そう、()()()


 「――ならば、もう一撃」

 

 一撃で突き破るのは不可能だと察した蘭丸は、右の拳を引く勢いで身体の軸を回転させると、左の指をピンと伸ばし貫手を構えると結界へと振り抜く。


 しかし、一撃目と寸分違わず同じ場所を突いた蘭丸の貫手により結界が完全に砕ける事はなかった。

 そもそも最初から結界を()()()()()()()()()()()()()のだ。


 2撃目に放たれた見事な貫手は鈍い音と共に結界をピンポイントに”一部のみ”破壊し、蘭丸の拳は結界の中へと突き抜ける。


 「(マズ)ッ?!」

 

 聖にとっては最悪の展開だ。


 

 なにせここは自分で展開した物理結界の中。つまり、()()()()()()()()()のだから。

 完全な閉所で炎が放たれば逃げ場などなく、確実な”死”が待っているなど考えるまでもない事実。

 

 

 この予想外の展開に、一瞬反応が遅れた聖の右腕を蘭丸の左腕が鷲掴む。聖は被害を抑えるために結界の範囲を縮小し展開範囲を右腕のみへ絞った。

 

 (結界の範囲を縮小することで、燃焼によって酸素が早期に枯渇することを狙ったか)


 魔術とは言え炎は炎。酸素を燃焼して燃えている以上、空間内の酸素が枯渇してしまえば勝手に鎮火してしまう。


 だとしても。


 「掴んだぞッ!」

 

 焔を纏った蘭丸の左拳は次の瞬間、全てを焼き尽くすほどの豪炎へと姿を変える。赤色に燃えていた拳は一瞬のうちに白炎を滾らせ、聖の右腕は摂氏2000度へと迫る豪炎に包まれた。


「ぅ、っあ゛あ゛あ゛ぁぁァァァッッ!!!!!」

 

 仮に結界を縮小せずに放たれていたならば、既に聖の全身が炭と化していただろう。

 最小限右腕を犠牲にした聖の蜥蜴の尻尾切りだが、その凄まじい炎によって焼かれる苦しみにより聖は激痛と熱量によって呻吟する。

 

 片腕を拘束され距離も完全に近づかれた。この距離感であれば符術の使用は難しく、聖は逃げることもできない。

 この状況をチェックメイトと考えた蘭丸は右手で杖を抜き聖を完全に絶命させるべく術式を構築する。


 

 ――――聖の口元に、()()()()()()()()()ことに気付かずに。



 「あ゛あ゛ァァッ!!……な〜んてねッ」


 「ッ!?」

 

 驚異的な第六感によって蘭丸が咄嗟に後方へと跳ねて後退する。飛び退いた直後、先ほどまで立っていた地点に複数の赤色の雷撃が降り注いだ。

 

 足元を見れば、先ほどまではなかったはずの無数にばら撒かれた符が散見できた。聖は痛みに喘ぐ演技で自分へと視線を誘導させ、その隙に周囲へと符をばら撒いていたのだ。


(この女、ここまで想定済みかッッ!!)

 

 先ほど見せた『手元に符がなくなる』という露骨な隙を含めトラップだったと悟る蘭丸。

 聖は左腕で炭と化した右腕を、燃えカスになった袖ごと乱雑に()()()()()()()()()()()


 そして何事もなかったかのように巫女服の内から右腕を生やす…否、元々右腕は服の中にしまっていたという方が正しいだろう。


 投げ捨てられた腕へと視線を向けると、腕の形がテクスチャが剥がれ落ちるように炭と化した藁の束へと変貌する。最も、炭の塊となったそれを藁と判断できるのはこの場において聖だけだが。

 

 完全に一杯食わされた蘭丸、しかし食わせた側の聖は露骨に舌打ちをした。

 

「チッ、仕留め損ねたわ」

 

「……女狐め」


蘭丸が貯めに貯めて放った皮肉に、聖は美しい笑顔で返答を返した。




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