切札系女子
ところでみなさんはトリカブトをご存知でしょうか。
「攻勢術式符、紅種『毒空木』」
視力を奪われ、一片の月明かりすら見えない筈の聖の攻撃は一直線に鬼目掛けて進む。
投擲のすぐ後に聖は、自身の持てる限界までの魔力を絞り出した影響で立ちくらみを起こし、視界を失った影響で三半規管が異常を来たしたのかそのままへたりと座り込んだ。
同刻、攻撃が向かう先である怒りに任せて動いていた鬼もまた、一旦冷静さを取り戻した途端に自身の体が想像以上に言う事を聞かない事に気付いた。
(ッ!消耗具合から考えて、私もあの女もこれで限界ッ…何としても受け切るッッ!)
殺意では肉体は限界以上に動かない、それは人であっても妖怪であっても等しく同じことである。
蓄積した肉体的ダメージを鑑みて自身の許容限界がすぐそこまで来ている事を悟った鬼は、放たれた呪符に込められいる魔力から推定し、自身の腕に渾身の力を込めると未だ拘束されている脚はそのまま、腰を深く落として不完全ながらに正拳突きの構えを取った。
「っらあッ!!!」
凄まじい衝撃を辺りに撒き散らしながら、紅く軌道に線を描いて飛来する符と鬼の一撃が交差した。
音を置いて抜くほどの速度で突き出された拳。対するは5枚の符、そのうちの4枚は拳との衝突直前に結界を生み出し、王手になり得る術式を全力で守護する。
”ギャリギャリ”と、硝子と硬いものを擦り合わせるかのような異音と共に、緑色のスパークを迸らせながら、拳と4重結界が拮抗した。
「4枚は私の拳を防ぎ切るための盾…ってこたあ、本命はその奥か!?」
「…余力を全部回して、いつもより2段階くらい防御性のある結界を4枚分。自動反撃でスパークを放出するようにしてる私の作った中じゃかなり凝った術式よ…破れるもんなら破ってみなさいっ!」
弾ける緑の雷撃により鬼の右拳が焼ける。肉の焼ける不快な音と匂いが漂い、スパークによる蛍光色に照らされた拳は、次第にその肌色の皮膚の下から血肉色の筋繊維と白い骨が徐々にむき出しにしていく。
「グっ、ッあァ!!?」
左右で肌色も性別も全てが異なる異形の顔に苦痛の表情が浮かび、その口からは苦悶の声が漏れ出した。
しかし、鬼の強烈な拳圧に耐えられず、軽い音と共に一枚、また一枚と結界は弾け飛び、砕かれた薄緑の破片がキラキラと輝きながら空中に溶けるように消えていく。
1秒か、それとも数分経つ程か、時間の感覚が狂うほどの痛みに耐えながら。
ついに結界は最後の一枚。学校を眩く照らすほどの激しく雷撃を繰り出し、次第に拳は最早筋繊維すら焼けて骨と癒着し、血管が破裂すると止どめなく血液が噴き出しては直ぐに雷撃の高熱によって蒸発して消える。
苦痛からか全身の目玉からは大粒の涙が零れ落ち地面に血混じりの大きな水溜りができるほどだ。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ、砕け、ろォォッッッ!!!!!」
それは最早、言葉にすらならない様な絶叫。
鬼は獣のように叫ぶと、結界を破壊するために半ば炭と化した拳を更に突き出すため、肩を勢い良く体側に入れた。
僅か、しかしその追加されたインパクトによって、最後の一枚の結界は蜘蛛の巣の如き罅が入ると、そのまま弾け飛び月の光を受けて乱反射しながら空気に溶けて消えていく。
祝福の紙吹雪の様に散り行く障壁を一身に受けながら、本命である最も奥の一枚…勢いを削いで低速で飛来する符を視界に捉えた鬼は、炭化しかけの右手を右半身ごと後方に下げる様に回転させ、その勢いを利用し左半身を前身、強引に振り上げた左腕を真下に向けて振り抜いた。
「ガああアアアッッッ!!!」
文字通りの全身全霊、渾身のアームハンマーが振り下ろされる。
限界状態まで追い詰められたからか、振り下ろされた拳が空を裂く音は遅れてやって来る。まさに神速の拳は最後の1枚を芯で捉えた。
正確には符に衝突したのは拳ではなく空気の塊。恐ろしいほどの速度で振り下ろされる拳と、符のその間にあった空気の層がその莫大な威力によって真下へと押し付けられ、鬼は自身の拳を符に触れされる事なく符に攻撃を仕掛けた。
それほどにまで加速して降り下げられた左の拳は、正確無比に最後の一枚を地面に叩き付けられた。地面は大きく陥没し、それに付随した凄まじい破砕音が続く。
ソニックブームに類似するほどの衝撃波によって周囲の空気は大きく振動し、校庭の砂を波状に巻き上げると衝撃波は校舎中の窓ガラスがガタガタと震え上がらせた。
「っっ〜〜?!」
視界が完全に失われている聖は対処が遅れてしまい、強烈な衝撃波に反応できずにバランスを完全に崩しゴロゴロと地面を転がっていく。衝撃波によって身体を大きく煽られた聖は、これにより完全に正面を見失った。
「…拙いわね」
冷や汗が一滴、頬を流れる。
しかし冷静に耳を澄ますと聖の耳は左方の少し遠方から何か掠れた様な音を捉える。
「ひゅ〜、ひゅ〜…う、ァ…がッ〜〜〜!!」
声を上げずに、否。声をあげるのが不可能なほどの激痛に鬼は喘いでいた。
深く荒い呼吸音を発する鬼は自身の右手に走る激痛により、口元を強く力んでいるため唾液が絶えず全身の眼からは同様に涙が垂れ流しになっている。足元には大雨の日にできる様な大きさの涙によって水溜まりができるほどだった。
自動防御結界を4枚もブチ抜いた代償は非常に大きく、手先からグラデーションの様に火傷が広がる右腕は、先端が真っ黒に燃え尽き、今も煙とそれに混じった肉が焼ける匂いを発している。
血が流れないほど完全に焼け落ち炭化した右の拳は、遂にボトリと大きな音を立てながら地面に転がり落ちた。
「───っァ!?」
『右手が焼け落ちた』という事実に一瞬唖然としていた鬼は、それを理解した瞬間に訪れた痛みに、そして怒りと慟哭の混ざった声で悲鳴を上げる。
「あ、ああ、ああああああアアッ!!!?私の、俺の右手え、痛い…痛いいたいイタイィィッッ!!??」
目が見えない聖の鼻を肉が焦げる様な不快な匂いが掠っていく。
これは即ち自身の放った攻撃が少なくとも対面の鬼にダメージを与えた証拠であり、先程の痛烈な悲鳴混じりの絶叫がそれを裏付ける確証たるものであると聖は察した。
「ッ……殺すッ、どうせお前にもう余力なんて残ってねえんだろ!あと二本の鎖なんざ左腕だけで十分なんだよォ!!」
「……そうね。でも残念、まだ終わってないのよ」
そう言い終わると同時に聖が印を結ぶ。するとすぐさま陥没した地面に埋まった符が、バチバチと音を立てながら再び赤色のスパークを発した。
「なっ?!まだ符の術式が生きてやがったのかッ!?」
「改めまして……刮目せよ。────此れぞ我が奥の手が1。無差別制圧用術式、『毒空木』」
符は雷を纏いながら次第に強く光り輝いていく。鬼の大量の目が光に耐えられずにまぶたを閉じ始めるほど、太陽の光と見紛うほどまで眩く輝くと突如として符が弾けた。
「ッッ!?…って、これ…しゃぼん…玉?」
咄嗟に光から逃れるために頭を両腕で覆う様に守った鬼は、目を開いた後の光景、自身の周りに漂うそれに唖然とした。
無理もないだろう。
目を開くとスーパーボール大の鮮やかな赤色のシャボン玉のような球が自身の周囲に漂っているのだ、月の幽かな光を浴びて赤色を反射するそれらは辺りの地面や鬼の体に衝突するとか弱く弾けて消えていく。
直ぐに発生源を辿ると先程地面に叩きつけた符、息を受けて大量に飛び出すしゃぼん玉の様に絶えず大量に泡が噴き出していた。
そして鬼の周囲は月光を受けたシャボンがレンズとなって、所々が円形に赤いステンドグラスが光を浴びたかの様に美しい紅色に照らされている。
ふよふよと漂う泡を左の指で突く、鬼の鋭い爪がシャボンに食い込むと儚くシャボンは割れて消えていった。
(しゃぼん玉が破裂する訳でもなく割ったからどうって事もねえ…って事は本当にただ見せかけだけの技ってことかよ)
『攻撃性皆無、痺れるわけでも爆発するわけでもないただのシャボン玉』。2重意味で痛みを一瞬忘れてしまう様な事実と光景、呆気にとられた鬼は次第に何か可笑しくなって来たのか大きな声で笑い出した。
「……ハハハハ!!おいおいおいおい…何だよそりゃ、シャボン玉遊びってそりゃ笑い種だぜ!!私を笑い殺す作戦か何かおい!?」
「浸透、確認」
「あ〜笑った…ん、なんだ?辞世の句なら殺す前に聞いてやっから黙っ、て、っゥ…ガッ!?」
鬼は痛みから言葉が途切れたわけではない。
『黙ってろ』と言い切る前に自身が急に言葉に詰まった、まるで足先から羽虫が這い上がってくる様な不快な感覚が奔りながら体が次第に麻痺して固まっていく。
(な、んだよこれ…体が、動かねえ?!)
理解が追いつかずに思考が空転し、しかしその間にも足、胴体、指先とどんどん体が麻痺して動けなくなっていく。ほんの数秒の後、まるで石膏像の如く鬼は身体中、数多あった瞳のただの一つさえピクリとも動かせなくなった。
その固まった視界の先。全身ボロボロの巫女は口元を吊り上げ、慈悲深く、そして何よりも綺麗に微笑んでいた。
『毒空木』。毒性はトリカブトに並ぶほどの毒草ですが、見た目はとても鮮やかで美しい赤色、別名は鬼殺し。
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