安堵系男子
長い休憩いただきました。
ちょっと課題に就活準備、おまけに免許と立て込んでまして…今後週一はしばらく難しそうです。
「当た、れ!」
喉奥から絞り出すような声。拙いフォームで投球した真は体調が万全ではないためか大きくよろける。何より頭部からの出血のせいで、貧血になっているため球速が遅い。
しかし赤い雷を奔らせるサイクロンに向けて投擲された煙玉は、雷嵐の壁の奥に衝突するとすぐ吹き荒ぶ乱気流により、破砕されると即座に煙を撒き散らした。
煙は吹き出した側から直様暴風に攫われ、雷の放つ赤を基調としていた竜巻がその色を徐々に煙に白んでいく。
「ぅつッ!!」
「好機…ッ!」
暴風によってかき消されそうなほど小さな怯み、それを研ぎ澄ました感覚で拾った聖は魔力を捻出すると再度術式を補強。
それによって雷を纏ったサイクロンはその勢いを徐々に増していき、轟々と大気を震わす程に大きく唸り声を上げる。
更にけたたましくなった風と雷の大爆音は台風の目でもがき苦しむ鬼の痛声すら風音と雷鳴に掻き消した。
(雷だけでも痛えのに身体中に灰煙と豆が吹き付けて莫迦みてえに痛え。…だが、我慢できねえほどじゃねえ!)
その竜巻の中心。左右が非対称の鬼は身体中から血を垂れ流しになっていた。
皮膚は焼け爛れ、多くの目玉は傷つき潰れ、風で加速した粒子状の豆が全身を荒く引き裂いていく。そして追い打ちとばかりに投げ入れられた煙玉は、吸い込むごとに呼吸器を蝕みどんどん体が重くなっていく。
ーー”だからなんだ”と鬼は嗤う。手足首をがんじがらめにしていた鎖のうち、首と腕を拘束していた3本は既にブッ壊している。
そしてこの竜巻も永久的に続くものではない、術式は術者が使用した分の魔力を使い果たせば消えるものだ。
この風さえ収まれば、後は無理やり足首に絡まっている鎖を引きちぎって、瀕死の男と盲目になっている女を地面のシミに変えてやればいいだけだ。
そう思いながら鬼は腹の底から咆哮する。
「んな嫌がせ程度の砂利の混ざったそよ風で私をどうにかできるワケねえだろうがよォ!!!」
「…だろうな」
んなの知ってるわと言わんばかり、対照的に男は蚊の羽音のようなか細い声でそう呟いた。
しかし、そんな真は竦んでいるわけでもなく脚はガクつき始め、膝が大笑いし両目のまぶたは既に力なく閉じかけている。呼吸も荒い上に深く、既に閉じかけている視界は現代アートのように空間を歪んで見ていた。
正直な所既に真は限界が来ていた。
脳内の出血はないものの、頭部含めてかなりの出血と全身打撲。加えて頭部を強く打ちつけたせいで軽度の脳震盪を起こしている。
しかしただ一心、『土御門に迷惑をかけるわけにはいかない』という意地と根性だけで酷く重い体を引きずり、辛うじてその場に立てているだけであった。
この状況で自分に何ができるのか。重い瞼と纏まらない思考。沈みそうになる意識を強引に押さえ込んで思考を進める。
(今、俺にできること)
真は意識が深い闇に沈まないよう、意地と歯を食いしばって途切れ途切れの思考を研ぎ澄ます。
(できること、できることだ。倒すのは、無理。足止めも、無理……できないことしかない)
ひどく現実的な思考が真の脳内で突きつけられる。
都合の良い妄言妄想はいくらでも垂れ流せるが満身創痍の真と盲目に陥った聖に今必要なのは手段、確実に鬼に届く一手。
(完全に俺主体で何かできるなんて、都合のいいことは考えるな。悔しいけど余力もクソもない。…とはいえ俺も満身創痍って感じだが、今の土御門だって同じ様な…っっ!)
最初に湧いて出たのは自虐的な半笑いだった、鬼に対しては何もできることがないからだ。次に浮かんだのは弱音だった、この状況を直接どうにかできないからだ。
(そうだ、一つだけあった…今の俺にできそうなこと)
最後に伸びたのは手だった、真はこの状況で自分ができる最善策を実行する。
「…俺にできる最後のサポートだ、俺がお前の”眼”になってやんよ」
「限界?」
「おう、実は割とキッツい」
『精根尽き果てる』という言葉がふさわしいほどには消耗しきった真は、最後の力を振り絞って盲目状態の聖の肩に触れる。
真のおぼつかない視線の先。それでもはっきりとわかるほど巨大な、天まで届くほどの大竜巻にそのまま聖の体を向けされた。
それを終えると同時、真は大役をこなして集中の糸が切れたのかそのままへたりと座り込むように倒れる。その顔は貧血で青ざめてこそいるが、決して目が合わないであろう聖に向けて自信ありげな笑みを浮かべていた。
「そのままだ。まっすぐ撃てよ。…今度こそ、あとは…任せても、いいよな?」
「当然、ここまでやっておいて私がミスするはずないでしょ?」
「……んだけ大見得、切ったんだ。頼ん…だ、ぞ……」
途切れ途切れで紡がれていた言葉と共に、張り詰めていた意識の糸がプツンと切れるのを真は感じた。
ストッパーが無くなりゆっくりと沈んでいく意識の中で、揺れる視界の先にこちらを振り向きもしない頼もしい背中を収めつつ、真は安心しきった表情で本日3回目、眠るように気絶した。
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轟々と吹き荒れる風の中。
両目を封殺されて他4感覚を研ぎ澄ます聖は真後ろからぱたり、と真が地面に倒れ伏す音を拾った。
しかし聖は振り返らない。”どうせ見えないのだから振り返る意味などない”と、真がセッティングした位置から寸分違わず動かない。託されたバトンを適当に放るように冷血な人間ではないのだ。
しかしドス黒い靄がかかったその瞼の裏で、緑瑪瑙色の双眸に宿る熱い激情が爛々と輝き、敵を倒さんと奮起している。
(節分を模して攻撃に鬼に対する特攻を付与したとはいえ……儀式という形式でみれば余りにも不完全。とはいえ風の牢獄から出てこないってことは、少なくとも身動きが取れていない証拠足り得る…か)
視界を封じられた土御門聖は、その先に広がる闇に怯みも怯えもせずにただ冷静に状況を分析する。
本来であれば慌てていてもおかしくない視界の異常状態においてここまで冷静なのは『このまま真っ直ぐ』撃ち込めば符が確実に当たるという絶対的確信があるからだ。
たった2日の短い付き合いでも、共に死線を潜ってきた真の行動に対して聖は疑う余地もなく全面的信頼を置いている。そしてそれによって、五感を断たれたという状況は寧ろ集中力を上げるというプラスの効果を生み出していた。
しかし、腹の底に抱くのは燃えるような激情、怒り。
(どうしようもないくらい惨めで、なによりも情けない)
誰かに対するものではなく、自身に対する憤怒が聖の外見からは想像できない、一見静謐な態度をマグマ煮え滾る火口と化していた。
(昨日はひどい目にあったからこそ今日の準備は万全、つまりこの状況は完全に私の力不足。
後ろでこいつがぶっ倒れてるのも、私が今日もボロボロにやられてるのも、何より今だに目の前の怪異を調伏できていないのも…ッッ!!!)
強く歯を食いしばった聖の口元、それによって犬歯が突き刺さり唇が裂け一条の赤い線が走る。
痛みを忘れるほど強い怒りを抱きながら聖はポーチから5枚、新たな符を抜き出すとそれを竜巻の奥の鬼に突きつけるように構えた。
「ハッ!忘れたのか?てめえの雷撃じゃあ私に対したダメージを与えられなかったのは事実だろ?!無駄なんだよ無駄!」
疎らに途切れる風の壁面から、その姿を捉えた鬼が嘲笑う。
弱点たる煙を暴風と小石と大豆混じりの礫に、多くの眼球を潰されて尚その耐久力は健在。それに裏付けられているからこその余裕の態度だ。
「…確かに私が制御できる最大火力の術は『彼岸花』よ。さっきは詠唱を省いていたし、アンタは自己像を歪めていて、まるでノーダメージかのように振舞っていたけれど…そうね。仮に私が万全の状態で放ったとしても今のアンタを行動不能にすることができるかは怪しい」
魔術や符術において詠唱というものはさしあたってそれほど重要なものとは見做されていない。そもそも詠唱というのは発動を補助するマニュアルでありイメージを強固にするために使用する手段である。
イメージを固めれば、それだけスムーズに強固かつ高威力な術式を放つことが可能となるが、しかし詠唱からどの術式を使用するかは比較的推測しやすく、むしろ詠唱しないことによって発動ギリギリまでどの魔術を使用するかわからない方が、奇襲性や対策性の難しさの観点から熟達した魔術士により好まれる傾向に有る。
更に術式を脳内で演算と構築し外界に出力する魔術と比較して、予め術式を特殊な紙に記述し使用する際に魔力をキーとして即座に発動する符術は、イメージを固めることによる恩恵は火力をブーストできる程度。
数字にして精々1割の威力向上が可能である程度であるため、つまるところ詠唱の有無にあまり差がない。
それが魑魅魍魎にすら広く知れ渡った一般論。この状況を魔術を知るものが端から見えば聖側が勝っているようで実は詰みに等しいことを悟るだろう。
客観的に詰み。
その状況を理解してか否か、心折れたように俯いた聖はゆっくりと右指で正面の空を横に切った。
術式とのリンクを断ち切ったため維持の出来なくなった業風荒れて天を衝くサイクロンが上部からほどけるように四散して消失していく。
風と雷の牢獄が消失した先の大地に疾る薄れた光の五芒星の中心。
その星の5つの鋭角から展開された紙垂を備えた注連縄を模した金属チェーンのうち、手首と首に巻き付いていた拘束を引きちぎり、残る脚の2つの拘束を破壊せんとする左右非対称の鬼が立っていた。
その体は風に覆われる前と比較すると悲惨なものであり、着ていたはずの赤い衣は雷と風によって焼け落ちて全身に大量に生やした瞳の大半は、吹き付けた致命的弱点に昇華された豆や追撃する雷によって水晶体ごと潰れ内部の水分が滴り落ちていたり、雷撃によって瞼ごと熱でくっついて開かなくなっている。
その身体自体も大量の切り傷や火傷により出血や水膨れが身体中の至る所にあり、無事である部分を探す方が大変なほどに痛ましい姿である。
かろうじて無事であった顔にあるものを含めて幾つかの瞳は同じく致命的弱点に昇華した煙によって燻されたように毛細血管が脈動し、血に染まったかのように真っ赤に見開いていた。
それでも尚、額から生やした2対の黒角を天に突き立てた鬼は闘志と殺意を途切れされていない。
むしろ風によって遮られていた視界が明確となったことにより、その視線の先に立つ憎き人間の姿を捉えた瞬間、うちに潜めていたそれらの悪感情が暴発するように湧き出して止まらない。
止留めない『殺意』、左右で性別不対称の化物の脳内は殴殺撲殺滅殺刺殺あらゆる殺意と殺害方法によって真っ赤に染まった。
(ーー殺すのは兎も角として、どうしてだ)
しかし、交ざり物の鬼は殺意の隅に残った理性によって冷静に思考を進める。
今すぐに襲い掛からんとする程の衝動に曝されてもなお違和感を覚えるような事象、『どうしてこのタイミングで”自身の最高傑作”と謳った術式を解除したのか』が鬼の中に理性的に思い留まらせた。
「……諦めたのか?まあいい、後この足に巻きついたうざってえのをブッ壊せば私は自由になる…すぐに肉塊にしてやっからそこで待ってなァ!!」
わずかな思考時間によって導き出された答え、それは『聖が諦めた』であった。
どう考えてもあのまま竜巻を吹かせていても先に倒れるのは聖であったし、その聖が使うことのできる最大の鉾は自身に致命傷を与えるだけの威力がないというのは聖自身も認める事実であったからだ。
「…これでキャパシティに余裕ができた。今の私じゃ結界と封印系の大符術を維持しながら、もう一つ符術を使用できるだけの力はない」
しかし、聖の耳に鬼の誹謗は届いていない。ただ自分に言い聞かせるように、そして現状を確かめるように小声で言葉を溢した。
(──これで効かないなら八方塞がり。大見得切っといて悪いけど賭けに出るッッ!!!)
暗闇の中で頼れる助っ人が示した方角。それに向かい聖は真っ直ぐに手にした符を投擲した。
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