うっかり系女子
間に合ったけど…内容が一歩も進んでない…っ?!
というわけで久しぶり、というか1話ぶりの日常回です。
「……まんまと逃げられた…ッ!」
聖は悔しさと怒りに任せて一階廊下の壁を拳で叩く。しびれるような痛みが拳に広がるが、分泌されまくっているアドレナリンがそれを感じさせない。
端正な顔立ちには深く皺が寄っており、普段の猫を被った彼女を見慣れた人間なら別人と勘違いするほどであろう般若の如き表情で虚空を睨みつけていた。
(別に殺すつもりなんて毛頭ないのに…全くこれだから人の話を聞かない奴ってのは嫌いなのよね)
トンデモない思考で心を諌める。
『自分に非がないと考えるあたり自分勝手なのはどちらの方だ』と真がいたら突っ込みが飛ぶだろう。電話を盗み聞きしてしまった真は、その後直ぐさま屋内に逃げ込んだと思わせ屋外に隠れ、屋内に追跡しに聖が入ったのを確認した後さっさと正門から逃げおおせている。
ツッコミ役が不在なので彼女を咎める立場の人間はおらず、その怒りはとどまることを知らずにエスカレートしていった。
先ほど共に戦った平凡で特徴の一切ない男子。同時に何が何でも連れて帰らなければならなかった対象の顔を思い浮かべると、一向に鎮まらない怒りが懇々と湧き出した。
自称弦矢源二、態と引っかかってやることで警戒心を削ぐことまでは成功していたが、最後の詰めが甘かったと自責する。
会話の内容を聞かれなければ支部まで連れて行って事情の説明や郊外無用の誓約書にサインさせることができたはずだったが、これでは始末書ものだと考えるうちに、感じていたはずの怒りはいつの間にかこの後の後処理のことに意識がすげ変わっていった。
脱力気味に一階の窓から飛び降り、ぼんやりと空を眺める。
普段であれば感動するくらい綺麗に晴れた夜空。数多の星辰がはっきり見て取れる澄んだ山の空気がむしろ一層聖を傷心させる。
空を仰ぎながらため息をつくと同時に校門側から騒がしいクラクション音が聞こえた。
(…ようやく帰れる)
連絡していた迎えが来たと、心も体もある意味で疲れ切った状態の聖は引きずるように移動する。
すでに怒りは薄れていた。
考えているのは”早くお風呂に浸かりたい”という年頃の女子相応の思考と、始末書を書くのが怠いという社会人じみた思考。普通であれば競合しないその2つの事柄が混ざり合い、引きずる足が余計に重くなるのを感じた。
校門前には一台の国産高級車が停止していた。
その排気音は静か。黒塗りのボディはワックス特有の光沢があり、日頃からのしっかりとしたメンテナンスを感じる。
普段から見覚えのある車。思考がハレからケに引き戻された聖は、自分の気分を暗澹とさせる面倒臭いことに関して思考停止して足早に車に乗り込む。車内にはきっちりとスーツを着た中年の女性がハンドルを握っていた。
しかし中年とわかるのは聖が昔馴染みであるということによって理解できる事であり、実際のところその人物は非常に若々しく30代でも通じるほどに若々しい。
車が緩やかに発進する。舗装されているとはいえ山道のため軽い揺れが車内を襲うが聖の意識は他のことに割いていた。それは程よい揺れからくる眠け覚ましと、現実逃避を兼ねてている。
(私のおしめを取り替えてたっていうくらいだし、何歳なんだろう)
とは思うが聞かない、なぜなら怖いから。 ”女性に年齢を聞くのは禁忌だ”ということを身をもって教えられた過去を思い出し、そのとき抱いた恐怖が呼び起こされかける。
聖は背中を濡らす冷や汗を感じながら二度と聞かないと心に誓い直す。
思考が二転三転しているところに運転中の女性から聖に声が掛かった。
「お疲れ様です。お嬢様…お連れ様の方は?」
「…ぬらりひょんみたいなやつだったわ」
「なるほど、了解致しました」
それ以上何も聞かないところに優しさを感じる。とはいえ。この後家に帰ったらこっぴどく叱られるのは間違いないと思うと聖は次第に全てが億劫になった。
(…とはいえこっちに大義名分がある)
最初のイレギュラーである真の存在はまだこちらに非があるが、報告されていない鎌鼬の3体目の存在は明らかに隣町の連中が悪い。
実際それを見越して用意していれば、符の枯渇なんて事態に陥ることはなかったのだからと聖は理論武装をした。どんな状況であれ、報告義務を怠るというのはタチの悪い問題行動でしかない。
(…とすると)
聖の脳裏には一人の男子生徒の顔が浮かぶ。しかし、その生徒がどんな顔だったかくっきりと思い出せない。とはいえ、あの生徒がいなければここまで複雑な事態に陥ることはなかったのだ。
「やっぱり始末書はあいつのせいってことね…ッ!」
割と理不尽な理由で聖の真に対する怒りが再燃した。真からすれば、いつの間にか人払いの結界の中に入れられていたのであって、別に居たくて居たわけではないので完全に八つ当たりである。
「その子に首ったけですね、お嬢様?」
「…やめてくださいよ、木下さん」
今にも爪を噛み金切り声を上げそうなほど悔しげな表情を、ミラーで眺めていた運転席の木下緑はとても楽しそうな、それでいて弾むような声で聖を揶揄った。
先ほどの業務的な会話の際とは全く違う声色に対し、聖は少し面倒だと思いながら返答する。
聖からしたら木下はお付の人である以前に乳母のような存在。昔から逆らうことはできなかった。
「…思い詰めることはありませんよ、だってミッション自体は達成しているのですから」
緑は弾むような声色から一転、聖を優しげな声で慰めた。
それこそ赤ん坊の時から聖を知っている緑にとって聖が気負っていることを見抜くことは朝飯前であり、そこには主従を超えた信頼関係が垣間見える。
聖は自分の表情に深い皺が寄っている事に気付き、敵わないな と思いながら両手で顔を軽く叩き渋い表情を軟化させ、力の抜けたような笑顔を作る。
ルームミラー越しにそれを確認した緑はその顔が可笑しかったのか釣られて上品に声を出して笑った、車内にようやく穏やかな空気に包まれた。
「そんなことがわかるなんて、やっぱり年の功ですか?」
まるで時間が止まったように、ピタリと車内から笑い声が消失する。車内に流れていた和やかな雰囲気はいつの間にか冷え切った寒空の下のような空気に変貌していた。
(あ゛っ)
聖がそう思った頃にはもう遅かった。夜闇によってフロントガラスに反射して見える緑の口元は、先ほどと同様に笑顔。しかし恐ろしいほど見開かれた瞳は一切笑いていなかった。
「…お叱りの方、私からも提言させてもらいますね」
「しょ、しょんなぁ〜!!」
真の前ではあまり崩さなかった、凛とした態度が情けない声によって一気に瓦解した。山を降りる一台の車の中から響く情けない叫びが夜の小山に木霊している…ような気がした。
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「ひでえ目にあった…」
一晩明けて朝の教室、生ける屍のように机へ突っ伏す生徒が一人━━━本作主人公、浅田真である。
ホームルーム前の教室は生徒たちの喧騒によって賑やかに彩られ、初夏とはいえ爽やかな風が開いた窓から吹き込み暑さは微塵も感じない。
結局のところ、真が心配していた外出禁止はなんとか回避できた。
夜10時近くに帰宅したとあり、母親から大目玉を喰らいかけたが、女の子を助けてたら紆余曲折あって遅れたと全力で説明ところすんなりお許しが貰えたのだ。
(まあ、あながち嘘ではないし問題はないでしょ。ホントのことも言ってないが)
般若の形相からコロッと表情を変え、ウッキウキの母親が赤飯を炊こうとしたのを止める方が大変だった。諸々誤魔化さないといけない状況を作った聖に対して、真も真で怒りの矛先を向ける。
(…というか俺、今日登校して大丈夫か?)
実のところ、既に真は登校した事を後悔し始めている。蹴破られていたはず教室の扉が修繕されていたことや、破砕された書類などが話題に上がらない以上、この時点で少なくとも聖と学校がグルである可能性すら考えられるためである。
(鎌鼬が学校中に残した被害の爪痕も綺麗さっぱり治ってるに違いない。…でも、3階廊下のワックス地獄とか視聴覚室の金属扉とか割と気にしてたし、直ってんならそれはそれでいいか)
幾ら何でも能天気である。こいつ本当に狙われている自覚があるのだろうか。
とはいえ真としても、聖は逃げ果せた生徒が今日登校してくるなんて思ってないだろうと考えていた。名前こそ偽ったが顔を見られた以上、警戒して出席するとは考えられないだろう。
だからこそ、その裏を掻いて今日中に予防線を張りまくるために真は登校した。とはいえ、結局のところ暫くはコソコソと学園生活を謳歌しないといけないとなるだろう。
土御門憎し…ッ!と爪を噛みながら唸っていると真横を巨体が通り過ぎた。真の大親友にして諸悪の根源その①、弦矢源二である。真はお話があるので、肩を強めに掴みかかった。
とはいえ、身長差が15cm以上もあるため、端から見たらかなり悲しい構図となっている。
案の定真の後ろからの強襲に気付けなかった、源二は驚いたのか体が軽く跳ねた。
「おはよう弦矢源二クン、昨日ボクを置いてった弦矢源二クン。何か言うことがあるんじゃねえですかァ??あ゛ぁ゛ん?!?!?」
「…おっそろしいほどドスが効いてないぞ浅田真クン。それに関しては申し訳ねえと謝罪するぞ浅田真クン」
「うっせぇわ!」
「流行りに乗るのは別にいいけど朝からあんまり人を驚かさないで欲しいんだが?」
都合の悪いことは聞けない耳なので小言は聞かなかったことにする。
本題に移るため源二の肩に乗っけている右手に力を入れて無理やり体を下げさせる、こうでもしないと耳打ちもできない己の身長の無さを呪いたい…いやこいつの身長が高いだけか。
「実はちょっと困ったことになっててな?しばらくの間、もしも俺について聞いてくる奴がいたら、そんな奴は知らないと言ってくれ。それで今回の件はチャラだ」
「えっ、お前なにしたの?」
何をしたか。一言で言うのは非常に難しいだろうし、真としても友人に魔術や妖怪だのの話をするつもりは一切なかった。
となれば、嘘をつかない程度に昨日のことを言い表すのならば、こう言う他ないだろう。
「…ちょっと面倒な女を助けた」
ちなみに形容詞の”ちょっと”は、真からの忖度である。
「えっ、マジ?俺に紹介してくれないか?」
悲しいかな、源二は女というワードに案の定食いついた。彼は顔良し、高身長、加えてバスケ部期待の新星と、チヤホヤされてる割にすぐに女子に食いつく性で全くモテないという残念系男子である。
「俺について聞いてきたヤツなら片っ端からナンパしてくれて構わん。だからホント頼むから俺の事は何も言わんでくれ、マジで、マジで頼むからな?」
既にウキウキしてるあたり頼もしいが、真は正直なところ土御門の色香に惑わされうっかり情報漏洩しないかが心配で仕方なかった。
「おっと、そういえば…っと」
そわそわしていた源二が、唐突に背中に背負っていたリュックサックを地面に下ろして中を漁り始める。しばらくするとバッグの中から厚紙製のスナックバーの箱のようなものを取り出し、こちらに差し出てきたので手に持った。
(見たところ成分表やパッケージデザインが英語ってことは…輸入品か…?)
「昨日の詫びってことで。俺が昔から愛用してるソイプロテインバーなんだけどさ、身長伸びるかはわかんねえけど海外製だし、なんか効きそうじゃね?」
真はため息が出そうになった。こう言うところはしっかりと義理堅いあたり、本当に良い友人である。
「……お前さあ。ホントそういうとこだぞ、まあなんだ、サンキュ」
「ハハッ、照れんな照れんな。そろそろ予鈴だわ、んじゃあまた昼な!」
教室の壁掛け時計を確認した後、源二は足早に自分の席へと戻った。それにしても、真は不思議でしょうがない。
「どうしてこう言った気配りを女子にできないのかねぇ…」
それができりゃモテんのに…と、真の呆れが混じった小声の呟きは、それと同時に校内中に鳴り響いたチャイムによって完全に覆い隠されて消えていった。
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