ガールミーツ系男子
修正版です。
そう。
それはまさに、虫の知らせというやつだったのだろう。何か嫌な予感が頭をよぎった、その次の瞬間───
『━━━赤い紙と青い紙、どちらがいい?』
それは非常に不気味で、それでいて腹の底へと響くような声色。
かすれた老人のような声が、電気をつけてもなお薄暗い男子トイレに重く響き渡った。
窓は開いてないのにも関わらず、うすら寒い風が真の背中を駆け巡ったような気がした。急に身体の芯が冷えきって、鳥肌が全身を走り抜け、さっきまで覚えていた筈の尿意も吹っ飛ぶ。
全身の筋肉が隈無く強張り、両足が子鹿のように震える。さっきまで丁度いいと感じていた筈の気温は、肌寒さを感じるほどに冷え切っているように感じた。
震える足を拳でぎゅっと抑え、恐る恐る、真は震える声で尋ねた。
「ど、どちら様、ですか…?」
『赤い紙と青い紙、どちらがいい?』
求めていた答は帰ってこない。返ってきたのは機械的なまでに等しい数秒前と全く同じセリフ。
背筋が凍る感覚と段々速く煩くなる心音。次第に高まる恐怖で呼吸が詰まって息苦しくなってきた。
(っっッ〜!勘弁してくれ…)
自分でも情けないと思いつつ、真の情緒は恐怖で狂い始める。口の中に逆流した胃酸が広がって嫌な臭いと酸味を感じ始めた。
『赤い紙と青い紙、どちらがいい?』
聞こえるのは荒い息づかいに反して、感情のかの字も感じさせない年老いた声色。
声が響いてからトイレの中でガラリと空気が変わった。重苦しい空気感、真は生まれて初めて重圧感というかプレッシャーというものを感じた気がした。
『赤い紙と青い紙、どちらがいい?』
壊れたラジオのように同じ言葉を出力する、一番奥の個室の中にいる”ナニカ”。
その言葉から、真は正体を明かすためのヒントを得た。
(…この学校に伝わってる七不思議だ、”赤紙青紙”ッッ!!)
ここまで来て恐怖で鈍った思考が少しだけ動き出す。真の脳裏に浮かんだのはつい先日耳に入った、この学校の”七不思議”の1つ。
男子トイレに現れる化け物の話。赤い紙と青い紙のどちらかを選ぶように迫ってくる、でもどちらを選んでもろくな目に遭わないし、どちらも選ばなくても同じくひどい目にあわされるという。
その七不思議、そして語られる怪異の名は───”赤紙青紙”。
真は怖い話好きのクラスメイトが吹聴して回っているのを盗み聞きしていた。そのクラスメイト曰く『赤色でも青色でも、どっちを選んでも死ぬ』らしい。
(…解決法も対処法も、存在しないと言ってた)
膝が過去一番大笑いし、背中を冷や汗がびっしょりと濡らす。対処法を知らねえ癖に吹聴して回るなとクラスメイトへの恨み言を内心叫ぶが、この状況においてそれは現実逃避でしかないだろう。
『答えろ!どちらがいい?!』
「ひっ!」
とんでもない声圧で問いかけられ恐怖で思わず悲鳴が込み上げた。底なしの恐怖が真を現実に引き戻し、トイレからの逃避を許さない。
(……逃げたい、逃げよう、逃げないとまずいっ!)
まだ用は足してなかったのが幸いして、真はズボンのチャックは降ろしてはいない。つまり逃げようと思えば逃げられる体勢。
トイレの芳香剤臭い空気を存分に吸い、大きく深呼吸をして覚悟を決める。
腿を抓って痛みで無理やり両足の震えをかき消す。痛みを感じないくらいにはアドレナリンが出ている、もしくはビビってるかだが…多分後者だろう。
(なんだかわからないけど…絶対逃げなきゃマズい、確実にそれだけはわかる…っ!)
真の本能的な部分が『早く逃げろ!!!』と過去一番大きな警鐘を鳴らしていた。その事実が真の覚悟を決めてくれた。
緊張と恐怖が心臓を高鳴らせ、その脈動が骨を伝って耳まで届く。
真が空気を吐き出すと、”心臓が飛び出てくるんじゃないか” と思うほど心音が煩いことを自覚した。
『紙の色』の問いかけは途切れず聞こえるが、もはや自分の心音の方が煩い。それによって、真はほんの少しだけ恐怖が抜けるような気がした。
(よし………今ッ!)
固まった体を強引に捻り、扉を腕で強引に押し抉じ開ける。無理に体を捻った影響で少しだけ体勢が崩れたが、勢いそのままトイレから飛び出し昇降口へと真は全力でダッシュした。
飛び出ても一切後ろは振り返らず、真は腕と足を動かすことだけに集中する。
恐怖を集中で強引にねじ伏せながら真が逃げ出した直後、個室トイレの扉が力任せに叩き開ける音が、暗がりになって気味の悪い校舎に響き渡った。
『逃すものかァァァ!!!!!』
不快な声色の、凄まじい咆哮が後ろから響く。
(冗談抜きで捕まったら殺される…ッ!!?)
背中を刺すプレッシャーからは、生まれて初めて感じる生の殺意がビンビンと伝わってくる。
それにより呼吸が普段より何倍も荒げ、酸素の足らずに息苦しさと共に肺に痛みを覚える。しかしそれを無視し真は全力で廊下を駆け抜ける。
(人生で一番速く走ってる自信あるわっッ!!)
真の視界が薄っすらと白み始め、スッと頭が寒くなる。明らかに脳の酸素不足の症状だが、それを気にするほどの余裕は今の真に一切ない。
酸欠気味の脳に鞭打ち出口までの距離を再確認。トイレから玄関までは多分50m程の直線、であるなら玄関までは残り20mもないと直感的に理解した。
しかし、不運というのは突如訪れる。
突如、固いものに足を弾かれる感触と、それに遅れて謎の浮遊感。
「━━は?」
理解が追い付かず疑問詞が自然と口から飛び出る。急に襲ってきた浮遊感に頭の中が真っ白に染まり帰って、思考が停止していくのを感じる。しかし現実逃避をしてもスローモーションでゆっくりと目の前に迫る床。
目の前の光景から、真は自身がおかれた現実を理解するのに一瞬時間を取られた。
(コケ、た?待て、こんな所で…っ!!?)
その嫌な現実を理解するまでに一瞬にも満たない、そしてただ感覚的に長い時間が過ぎる。現実逃避なのか脳の片隅で、走馬灯の瞬間は世界がゆっくりになるという情報が横切った。
スローモーションの最中に、脳内では疑問詞が絶えず湧いては消える。床が顔面スレスレまで近づいたところで、ようやく脳が情報から状況を逆算し現状を理解した。
防火シャッターの床側の金属部分、普段であれば絶対に躓かないような所に足を持って行かれ、勢いよく躓いてしまった。
それを理解した瞬間には、既に床が顔の十数センチ手前まで迫っていた。
「っぐうッ!?」
着地はかろうじて手が出たが、全力ダッシュによる慣性を受けた勢いは完全に殺しきれず、ゴロゴロと体が転がって景色が万華鏡みたいに二転三転してようやく動きが止まる。
「っっ〜〜!!」
肘や手首を強く打ち腕や手首にジンジンとした痛みと痺れが走る。それに遅れて、全身至る所をぶつけた際の痛みが真を襲う。
痛みに怯むがすぐさま逃げるために反射的に体を動かすも、痛みで怯んだその一瞬の空白。逃げるために立ち上がろうとするが、真はなぜか体が動かなかった。
後ろから聞こえていたはずの足音は既になくなっていた。
それは逃げ切れたからではなく、既に追い付かれているからだ。
震える体を押さえ付け、恐る恐る後ろを振り向く。
それは獣のようなヒト型。
鎌を持ち唸る二足歩行のナニカ。
体は毛むくじゃらだが、部分的に身体を覆う包帯は所々赤黒く染まっている。
そして、真を見つめる瞳はどこか朧げにどす黒く濁っていた。
ふわりと、微かな鉄の匂いが鼻元を掠めた。
それが”血の匂い”だと理解してしまった真の本能が『早く逃げろ』とけたたましく警鐘を鳴らす。
薄暗い校舎をうっすらと照らす、非常脱出口の青緑色のライトが化け物の口元も照らし出す。三日月のように裂けた口元から鋭い牙を見せびらかしていた。それら嗜虐を具現しているようにすら見える。
逸らしたいのに目が、視線が、全身が震え上がって動きがとれない。
「ひぃっ!」
自然と情けない声が漏れ出た、カチカチカチと硬いものが擦り合う異音、気が付くと震えで歯がかち合っていた。
『逃げるな、どちらか選べ』
理性も脳みそも『逃げろ』と言っているのに、体が全然言うことを聞いてくれない。
(怖い、怖い怖い怖い!!)
自然と悲鳴を上げ、しかし目の前の恐怖の権化から目が離せない。生来備わった逃走本能で這うように後ろに下がる。硬く冷えた感触が背中を押しとどめる、非情なコンクリートの校舎が真の退路を塞いでいた。
反射的に手に持っていた通学カバンを化け物に投げつける。しかし片手で軽くあしらわれ、僅かな抵抗は鞄から教科書や筆箱が廊下に散乱しただけに終わった。
ゆっくりと。
じり、じりと化け物が距離を詰めてくる。
『選べ、然もなくば……殺すッ!』
(今こいつなんて言った?……殺、す…?)
理解が追いついた途端、血の気がサッと引いた。
「ぁ、あぁ…!!!」
悲鳴にもならない様な声が漏れるだけで全く体が動かない。
怖い。目を逸らそうとしている筈なのに、視線が化け物に固定されているかのように固まってしまっている。
体も目も、まるで真の言うことを聞こうとしない。。 真はすぐに体が動かない理由に気付いた。恐怖のあまり、全身が生まれたての動物みたいに痙攣していたからだった。
目の前のバケモノは、その長いノズルから牙をむき出しにする。その様子が真にはまるで”にたり”と嗤って嗜虐を滾らせているように思えた。
『選べ!!選べッッ!!』
「あ、っ」
壊れたラジオのように同じ言葉を吐き続ける怪物は、気付くともう既に錆びきった薄汚い鎌を振りかざしていた。
汚れた毛むくじゃらの腕が振り下ろされ、次第に世界がスローになっていく。急に楽しかったことや悲しかったこと、今日のこと昨日のこと去年とことと記憶がフラッシュバックしていく。
これが走馬灯、ってやつなんだろうと何処か他人事の様にそう思った。
(だめだ、死ぬ)
直感、真はこれから先の”死”を悟った。死ぬほど怖い筈なのに、どこか余裕を感じる様な心境。
完全にスローになった世界、走馬灯の横で『死の瞬間は脳内にエンドルフィンが溢れて死への恐怖を和らげる』という雑学が過った。
ごめん。父さん、母さん。家族への謝罪を心の底で呟くと、観念したように恐怖で固まっていた瞼が漸く閉じ始めた。
『選ばないならば、ッぅぅぁァァッ!!?』
しかし、次の瞬間。
化け物の苦痛に怯む声によって、真への死刑宣告は突如遮られた。
──バチ、バチィッ!!!
電気が弾ける様な音に続いて、閉じていたまぶた越しにでもわかる様な眩い光。突如として閉じきっていた瞼に赤い光が酷く眩しく瞬いた。
驚いて閉じていた目を見開く。
いつの間にか化け物の体に張り付いた2枚の札が薄ら紅いスパークを迸らせると、直後爆発したかのように大閃光を発する。
「あ゛ぁぁぁぁァッ!!??!!!」
「………えっ?」
直後、化け物の不愉快な叫喚が閑散とした廊下に響き渡る。薄目越しからでも伝わる激しい閃光と、雷の迸る音が廊下一帯を完全に支配。
状況の移り変わりの早さに理解が置いてきぼりになる。
雷光が収まったのを感じて薄眼を開けると、鎌を振り上げていたハズの化け物は、俺の目の前からその姿を消していた。
「なんだ、何が起きてんだよっ…?!」
「はぁっ…はぁっ…」
自身の背後、札が飛んできた方角から浅い呼吸音が響く。鬼が出るか蛇が出るか、先ほどと同じような心境で背後へ振り返る。
そこに立つのは鬼でもなく蛇でもない第三者、真は唖然とする他なかった。
そこに立つは巫女。
自分とは頭一つほど小柄。身体の動作に合わせゆらりゆらりと艶めく綺麗な黒髪。上は真っ白い白衣で腰より上で留められた鮮やかな緋色の袴のようなスカート。
一見それは神社で見るような巫女服のようにも見えるが、腰には明らかにミスマッチな茶皮製ベルトと同色の皮のポーチが巻かれている。さらに本来ならくるぶしまで見えないほど長いはずのスカートは、何故か膝上まで丈が明らかに改造されていて、すらっとした生脚が丸見えだった。
「…み、こ?」
「ええ、素敵な巫女さんよ。──ところで、逢魔ヶ刻に学校に一人っきり、しかもここは人祓の結界の中なのだけど…」
なぜか、その目はまるで仇を睨んでいる様に鋭い。
最小限の動きからスムーズな重心移動、それによって巫女が蹴りの姿勢をとった。降り抜いた足はそのまま的確に真の太ももへと振り抜かれる。
「がッッ?!!」
なんの脈絡もない暴力に回避なんてできるはずがなく、気づけば真はあまりの痛さに床を転げ回っていた。
あまりの痛さに胃の中身がひっくり返りそうになるが、それ以上に身に覚えのない暴力に真の理解力は完全に機能停止していた。
「まさか2匹目の妖怪がいるなんて思わなかったけど……どうやら相当の間抜けね。私の蹴り一発でそれだけ食らってるってことは本当に唯の木っ端妖怪、か」
「よ、妖怪…っ、何言ってんだよアンタ!?」
巫女は床で転がる真を見下しながら、感情から怒りだけを絞り出したかのような表情でこちらを睨みつける。軽蔑したような視線のまま腰のポーチから一枚、不思議な文様の描かれた符を取り出すと真目がけて投げつけた。おおよそ薄い紙製とは思えないような速度で飛来した符はそのまま真の頭部に命中する。
「いてっ」
ペチリ、と軽く肌を叩くような音と共に額に軽い衝撃と痺れが走る。反射的に口にしただけで大した痛みはないものの、札の所為で真の視界が半分以上急に塞がってしまった。
「…?」
何もかも理解が追いつかない。
真はパニックになりながら張り付いたモノに目を凝らす。張り付いた符は和紙のような材質で、どういう原理なのかわからないが、瞬間接着剤でくっ付いてると思うほど額から剥がれる気配がない。
そして何より札を剥がそうにも、金縛りかの如く体が全く動かない事実がさらに真を混乱させる。
「え、…っ!?」
「この程度で拘束出来るなんて…やっぱり雑魚、か。まあ正直そっちの方が符の消費が少なくて助かるんだけど」
気付けば符はバチバチと音を立てて紅いスパークを迸らせ、軽い静電気を常に浴びているような痛みが奔り始めた。
「それじゃあ───さっさとブッ飛びなさい!」
「へ、待っ?!」
やたら物騒な掛け声に呼応して、顔面に貼り付いた札が突如赤色に眩く輝きだすと、
ボフンっ!!
━━どこか間抜けな音と共に札から勢いよく大量の白煙が吹き出した。
顔面に貼り付けられた札から出てきた煙など、当然回避することなんて出来ず、真の気道に、魚臭いような土臭いような、なんともいえない奇妙な匂いの白煙が入り込んでいく。
「コフッ…ゴッホっ!…ヴェっ…ッふぉっ………か、漢方薬みたいな臭いが、鼻にっ、っごっはッ!!!」
「……あれ?」
鼻の奥にどこか薬品みたいな感じの奇妙な臭いが染み付く。気管に流れ込む大量の白煙が目にしみて、肺いっぱいに入り込んだせいで途轍もなく噎せていた。
真の涙で歪んだ視界が次第にはっきりしだすが、未だに巫女は真との間に一定の距離を保ち、未だに右手を腰に当て即座に動けるように中腰を維持して膠着の状況が続く。
「え〜っ、っと、その」
しばらくすると謎の巫女服ははっと表情を変え、眉を顰めて数秒考え込んだような様子を見せると、蚊の羽音みたいな小さな声でどこか申し訳なさそうに呟いた。
「…もしかして、ひょっとしてよ?人間…だったりする?」
「………どっからどう見ても人間だろうが!!」
この状況、真は流石にキレても許されるだろう。
掠れた風が窓を揺らし、カラスが1匹、外で「かあ」と鳴いた。
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詰まる所。
状況を整理すると、『見ず知らず巫女がヒトを妖怪と間違えてきて攻撃してきた』という状況に真は陥っているワケである。字ズラはともかく真は、言葉にすると余計わけわからん状況であることだけはわかった。
改めて、真は攻撃を仕掛けてきた巫女服を眺める。
その姿を見て、先ほど目の前で繰り広げられていた情景を思い出す。信じられないが、真はあの化物を追い払ったときに使ったのはどう見ても『魔法』とか『呪い』といったそういうゲームでお馴染みの非現実的なものにしか思えなかった。
「さては、ドッキリ…?」
一番最初に思いついた答え、『手の込んだドッキリ』。
そう言い切れたら楽だが、残念ながら真は主観客観的に見てもどこにでもいる只の男子高校生。
加えて、あんなリアルな化物とこんなタイトな巫女服は放送コード的に出てきちゃマズいだろう。子供はギャン泣き、大きなお友達がわっしょいしてしまう。
「ンな訳ないでしょ」
どうやらドッキリではないらしい。
「じゃあ、え〜…っと、どなたですか?」
「……巫女よ」
明らかに答える気はなし。
真は苛立ちと尊敬を込めて、とりあえずいつまでも巫女服呼ばわりするのはあれなので、仮称を『電波女』とした。
怒りが頂点まで達して呆れに変わったんだろうか、真は冷静に分析こそしているが何だか悲しくなってきた。変な臭いの煙がタダでさえ目に沁みており、実際に涙がダダ漏れなのがどこか哀愁を誘っていた。
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