囚われの姫系女子
文章が増えすぎちゃったのでまさかの話が追加で増えました。(ヒント:この話の投稿日時)
……なんで???
微睡みの淵を揺蕩っていた私の意識は、不意に全身を駆けた激痛によって現実へと引き戻された。
「んッ、ぃっッ…!」
沈んでいた意識が覚醒する。
「…最ッッ悪の目覚めね」
当然のように目覚めは最悪だ。
インフルエンザの時みたいな気怠さと、焼けるような背中の痛みで目が覚めたのだから。
背中に感じる痛みからくる熱とは対照的に、それ以外の所は恐ろしく寒い。血が相当足りてないってことなんだろうと、どこか客観的に自分の現状を捉えた。
「どこだろ…ここ」
動ける範囲であたりを見渡すが、あまり見知った覚えのない教室だった。
ということは逆説的に利用したことがない教室ということであり、かなり選択肢が限られてくるが――
(—————ッ、痛みが酷い…出血し過ぎたかしら)
痛みによって思考がキャンセルされる。
背にできた大きな切り傷。見ず知らずの男子生徒をかばって出来てしまった裂傷が私の思考を許さない。
…何度かポカをやってピンチに陥ったことはあったが捕まったのはこれが初めてだ。
こんな危険な状況であっても慌てていないのは、日々の訓練の賜物か。それとも単純に脳に回す血が足りていないのだろうか。
ヤケに眩しいLED照明から逃げるように視線を下にずらすと、私の体は金属製のチェーンで御丁寧に縛り上げられていた。
しかも南京錠のオマケ付きである。オマケに巫女服のスカートは長時間血溜まりに浸かっていた為かドス黒く変色していた。
「…ははっ、これじゃ、さっきと真逆じゃないの…」
私が今ぐるぐる巻きにされているのは兄弟を封印術式で拘束した仕返しだろうか。そう思うと乾いた笑いと一緒にポロリと言葉が零れた。鎌鼬のヤツ、皮肉が効いている。
「———————鎖で雁字搦めにされとるというのに、楽しそうで何よりだのぅ」
心臓が握りつぶされるような冷たい声が私の背後から響く。まるで今現れたかのように不意をつかれた私の体はガチガチに硬直する。
「!?」
慌てて振り向こうとすると顔の両側を前足で固定され、そのまま無理やり真上を向かされる。
目が合った。
私の眼前には紅く血走った部分と対照的に美しいほどの青い虹彩。
血なまぐさい臭いを振りまきながら、荒々しい呼吸音がハァハァと静かな教室に響く。比喩ではなく目と鼻の先に、先ほど私の背中を切り裂いた妖怪———鎌鼬の1匹がいた。
「質問、答えてくれるよのォ?」
軽い口調とは裏腹に、無理やり合わされた鎌鼬の瞳は寸分たりとも笑っていない。それはむしろ殺意に満ち満ちていた。
間延びした口調。それに全く似合わない殺意を浴びせる視線。本当だったら今すぐ殺したいくらいなんだろう。
しかし、殺せない理由がある。その理由は考えるまでもなく1つしかない。
「弟を封印した匣、どこに隠したのかのォ?一通り隈無く漁ったが見つからんのなァ!」
「ぐうぅっッ!?」
疑問を解消するより前に、私の頭に添えられていた両腕が、万力のような力で徐々に頭を締め付けていく。
少しずつギリッ、ギリッと私の頭蓋骨が悲鳴をあげていき、最も重要な器官を保護するための骨の軋む痛みが私を襲った。
「あ、ぐあ、うァああ!!!!!」
「おっと、痛めつけちゃァ話せるもんも話せなくなっちまうわなァ、すまんすまん」
「っがッ、はぁ〜…はぁ〜〜…」
私の頭蓋骨が粉々になる前に鎌鼬はその両腕から力を抜いた。解放されたはずの頭は今だにジンジンと鈍い痛みを伴い私に命の危機を主張する。
「…なるほど、拷問、ってわけね」
「…ひひ、ひひひひっ!!ご名答!お前さんにはこれから存分に苦しんで…苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんでッッッッ!!!!!苦しみ抜いてもらう――――これから少しずつ鎌でお前の肉を剥ぐ。存分に後悔して死ね、若い祓い屋」
しまった、目が本気だ。
冗談抜きで、私はこれから薄くスライスされて死ぬのだ。
我ながらひどく冷静にその事実を飲み込んだ。
(……芦屋の奴、よっぽど残酷な方法でコイツの兄弟を殺したみたいね)
元はと言えば…隣町担当の馬鹿がしっかりと鎌鼬を倒していれば、こんな事態にはならずに済んだ。
そう思うと腹が立つ…こともない、もはやそんな気力すらない自分に吃驚すらする。
ダメだ。私はもう疲れた。
もうすぐ死ぬというのに、重圧とか、責任とか、この歳で背負いこむには重すぎるものばかり思い出す。そんな自分の人生に悲しさすら覚えてきた。
ツイてないってやつなのだろうか。単身の初任務で目撃者を完全に巻き込んじゃうし…この後殺されるだろうし。
未だに疼く背中の痛みと、ひび割れそうな頭蓋から意識を逸らすための現実逃避…いや既にこれは走馬灯に近いのかもしれない。なんとなくぼんやりと”死”を感じていると、再び頭が締め付けられ始める。
「あ、あがッっ…!?」
「おっと、目に生気が全くないのう…これではちと面白みに欠ける」
「っ、ァッッ!!?」
「――というわけで、もう少し絶望してもらおうか」
殺意しか感じなかった視線がもっとおぞましいものに変わる。鎌鼬の口角が攣り上がり、その隙間から血濡れの凶悪極まりない鋭い牙が顔を出す。
数センチしか顔が離れていなくて、表情もよくわからないはずの動物の顔でも分かってしまう。
その愉悦の表情に私はとても嫌な予感を感じた。
「━━お前さんが寝てる間に、お前が逃がそうとした小僧は儂が喰い殺して八つ裂きにしてやったわいッ!!イヒひひひひひひひひっ!!!」
鎌鼬は三日月の様に口角を釣り上げ、血に汚れた牙をギラギラと光らせ狂気的に嗤った。
何が何だ。わからない。呆然。違う。わかりたくない、わかりたくない。
笑い続ける鎌鼬が何を言ったか理解できない。理解などしたくない。しかし数瞬惚けた脳みそは、否が応でもその言葉の意味を理解させてくる。
そしてその意味を理解した瞬間、ただでさえ血の足りていない体からは血の気が一斉に引いた。
「……………え?」
せめて巻き込んでしまった彼だけは逃がそうと、そう思って攻撃されるあの一瞬でできる限りを尽くした。
逃げ切れるように気配を完全に断つ符を彼の背中に貼り付けつつ、私の仲間が彼を保護できるように匣を彼のポケットに忍ばせた。
そう、できる限りの、万全の対策をしたのだ。
「ちがう、そんなはず…ちゃんと、にげられ、る…ように」
「そうだ、絶望しろ!儂らが兄弟を喪ったときのように、自分の無力さを嘆けッ!!イヒヒひひひひひ――
ヒトデナシにとっては最高の娯楽なんだろう、妖怪は愉しそうに嗤った。
その不愉快な笑い声が遠のいて、心がどんどん暗い底に沈んでいく感覚。
目の前が段々と輪郭を失って、時間の感覚と痛みが曖昧になっていく。
そうか。私は何も成せないんだ。
―――――キーンコーンカーンコーン。
――ひひ、ひ?」
もう、目の前の化け物と私しかいないはずの学校。この夜の帳が下りた伏魔殿では聞こえるはずのない日常であるチャイムの音。
こんな夜には、人為的にしか鳴らすことができないはずのチャイムの音だ。
「チャイム…?」
そんなチャイムから少しばかり聞き覚えのある男の声が鳴り響いた。
『−––ステス、マイクテス、アーホンジツハセイテンナリ。う゛ッう゛ンッ!、おトイレにお住まいの鎌鼬さん!わざわざ教室の電気を付けてくれたおかげで何処にいるか丸わかり、馬鹿なの?』
私を突き刺していた悪意に満ちた視線は、人を小馬鹿にしたスピーカーの方に向いた。
動物の表情は読み取りづらいものだけど、心做しか鎌鼬の顔に血管が浮いてピクピクとしている気がする。
『まあ所詮獣畜生って事だよねぇ!?仕方ないか。多分お気付きのことと思いますがお前の兄弟は俺が預かってっから、と言っても絶対見つけらんないと思うけどネ、ジッサイお前馬鹿だろ、見た目が動物だし』
(ちょっと煽りスキル高すぎない…?)
思わず声を出そうになるほどの畳み掛けるような煽り文句。無関係の私ですら、かなりイラッとするような煽りだ。
つまり、当事者はその何倍も鶏冠に来るわけで…
鎌鼬がおもむろに私の頭を押さえつけていた前足を床に下ろすと4足状態になる。それはまるで、陸上選手の”クラウチングスタート”への姿勢移行の様。
鎌鼬の体は扉の方へ向き、既にその表情は見えない。しかし悍しいほどの殺気がだだ漏れだった。
『で、あとはお前をチョチョイと倒すだけなんだけど、特別に、特別にな?俺優しいからさ、しばらく放送室で待っててやるから――――
終始軽薄に続いていた声に、急に剣呑な雰囲気が現れた。その声色にはどこか苛立ちや恐怖が混ざっているようにも思える。
―かかってこいよ獣野郎ッッ!!』
「そこにいたか!殺してやるッ!クソガキィッッ!!!!」
スピーカー、私の目前。その2方面からの啖呵が夜の教室に木霊する。
”ぞわり”と背筋が震えるほどの殺意が振りまかれた直後、台風なんか目じゃないほどの暴風が吹き荒れ、吹き飛ばされた私は壁に背中を強く打ち付けた。
「ッ……っあっ…ッ!」
背中に悲鳴すらあげられないほどの痛みを覚え、空気が漏れるような声とも呼べないナニカが出る。
よほど怒り狂ったのだろう。術者の私を放置して既に目の前に鎌鼬はいない。
それよりなによりだ。
(——————とりあえず、私の行動は無駄じゃなかった)
彼が生きていたことに少し安堵を覚える。意識は前向き、でも当然空元気だ。
背中を強く打ち付けたことと、緊張が抜けたからだろうか。背中を襲うその堪え難い激痛に全身から嫌な汗を流れ始めた。
無理やり体を動かすが、べっとりと私の血の染みた服が重たい。
拘束されていることもあり這うように体を動かす度に床とチェーンの擦れる金属音が耳障りだった。
「それにしてもあんな挑発なんてして…もしかしてアイツって自殺志願者だ、ッっ…!」
目の前にいた敵がいなくなった安堵でアドレナリンが切れたのか、背中に焼けるような激痛が走っていた。
ふと吹き飛ばされる前にいた所を見れば、真っ赤な血溜まりが広がっていて、私の脳裏に恐ろしい現実を想起させる。
(…もしかしなくとも、これ、出血多量で死ぬ?)
ふと、そう思った瞬間に、生気の失われた顔で赤い水溜まりに横たわる冷え切った自分の姿が脳裏に過る。そしてそれはこのままだとほぼ確実に自分の身に起こりうる事だ。
薄ら寒く感じたわけでもないのに、自然と体が震える。
―――怖い。
先ほどまでは希望もなかった、だからこそヤケになっていた。でも私が逃がしたあの生徒は生きていて、あまつさえ鎌鼬と私を引き剥がしてくれた。逃げ出すための千載一遇のチャンスが私には訪れている。
でも私は、そんな勇気ある一般人を巻き込んで、死に体で捕まっていて…とても、とてもここから逃げ出せる状態じゃない。
「は、ははっ…」
いっそ哀れだ。なんかもう笑えてきた。
肺から空気が漏れているだけの笑い声がむなしく響く。だんだんと視界がぼやけていく。
眠りにつく少しまえのように。
くらりくらりとする…
いしきが……もう、なんか、ゆれてる…ねむい……。
「いやもう無理、呼吸が続かないっ…!」
「…えっ」
突如として掃除用具箱が勢いよく開くと、中から現れたのは、つい先ほど放送室から聞こえていたはずの声の主。
絶対に、こんなところにいるのはおかしい筈の人間。
「あっ、ええと……。大丈夫だった?元気?」
…この状況で『大丈夫だった?元気?』…だと?
冷え切っていた私の身体に怒りの熱が宿る。コイツ、後で絶対にシバく。
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