分析系女子
やあ。記念すべき100話目だよ。
ここから始まるのはセイサンの物語だよ。
哀れに死んだ御霊を、彼女は拾い上げる事ができるのかな?
でもそれは、きっと神の所業かもしれないけれど。
蒸したタオルで全身を拭き、砂に塗れた衣服を全部取っ替えた聖は、先ほどと比べて少しすっきりとした表情で布団に腰を下ろす。
「さて、改めてあれについて伺えますか?」
「はい…こちらをご覧ください。」
視線は障子──その先に立っている浅田真の皮を被ったナニカに向けられた言葉であるというのは言うまでもないだろう。それを当然察した緑が懐から資料を取り出し聖に手渡す。
「…っ!?」
目を見開き、驚愕の表情で固まる。
聖はそこに書かれたデータに目を疑わざるを得ない。
「結論から申し上げます…あのシンと名乗る式神ですが、身長に学力、心理テストの結果、さらには体組織や記憶に至るまで、浅田真とはある一点を除いて完全に同一です。」
そこに記載されているのはありとあらゆる浅田真とシンのデータの比較である。
当然の権利のように学校で行われた数値を持ってきているあたり、教職の職権濫用の極みでしかないが其れはさておき。
身長は男子生徒にしてはすこし小柄な166cm、中肉中背で中性脂肪なども大した値ではない。学力は非常に平均的ではあるものの応用力に富んでいる。心理テストはやや思考が後ろ向きではあるが、逆境に対して強い。
そして、自身の出生や友人関係、自身の体質による不幸や幸運。聖と出会ってから今までに戦った鎌鼬や百目鬼、果てには津守や芦屋との交戦に至るまで事細かく覚えていた。
最も、自身の名前が真であると思い込んでいるようだが。
この結果はつまり、思考判断のプロセスに至るまでシンは真と限りなく等しいことを意味しているだろう。
しかし、不思議なことに。
ある一点だけはほんのわずかに差が存在していた。
「内面を含めてほぼ同一です…ただし」
「体重が21gだけ軽い、ね」
”ああ、なんと言うことだ” と。聖は全身から力が抜け落ち、布団に倒れ込む。
その体重のみ誤差レベルの相違。その差はたったの21g。
相違など水分量や排泄によって容易に変化する値ではあるが、魔術的な観点において、21gとは”たった”と呼称していい数値ではない。
故に、聖は顔を歪めざるを得ない。
信じたくはないが、ここまで明確に出た数値は、たった一つの答えを明示していた。
「つまり…あの体からは魂が抜け落ちている。
物質界における魂は21g、それが欠けていると言うことは……っぅぷ!?」
認めた難い事実が聖の脳を焼く。許容できない現実は吐き気として、既にすべて吐き尽くしたはずの聖の胃から、胃液だけを込み上げさせた。
やはりあの青い世界──魂の回廊で見えた真は、文字通りの魂の姿だったのだ。精神面での敗北を感じた聖を奮い立たせるために、最後の最後に姿を見せた真は、魂の残り火だったのだ。そう聖は確信を得てしまった。
「蘭丸を前に気を失って、ああ負けるんだって思ったとき、私の目の前にアイツが…真が現れたんです。
ありがとうって、楽しかったって…相打ちだったけど後悔はないってッッ!!!最後にそう言い残して…消えてった」
それは独白だった。懺悔だった。
ぽつりぽつりと言葉が溢れ、俯いた聖からもぽつりぽつりと何かが溢れ布団を濡らす。
「お嬢様……」
「でも私は……吹っ切るなんてできなかった。アイツ、最後は見たことないようなすっきりした顔で…私の脳裏からその顔が拭えない!消えないのッッ!!」
「……」
ゆっくりと、聖が緑の方へ顔を向ける。
「アイツは…私が殺しました。
私の枷はアイツが全部外してくれたのに、やっと誰かを好きになれたのに……なることを、許されたのに。
アイツは死ん…死んで、いや、殺し、た私が殺してしま、あ、ああっ…あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あッッッッ!!!!!」
緑はその日、初めて目撃した。
西洋魔術の才能がからっきしであると告げられた日も、党首である櫻に無理難題を申し付けられ望まぬ婚姻を迫られた時も。どんな時も気丈に振る舞い、弱音なんてほとんど見せなかった聖。
その聖の瞳から光が消えていた。
ほの暗い絶望と、後悔と、失意と、そして粉々になった恋心が、聖の心を粉々に砕いた。
(お嬢様…試合の最中に持ち直したように見えましたが、あれはお嬢様なりの強がりだったのですね…
そして、これだけ長い付き合いでありながら、それを見抜けなかった私にも落ち度がある)
確かに試合は勝つ事ができた。
無茶無謀だと罵られながらも、聖は現代日本でも有数の実力であると言われている芦屋蘭丸を降したのだ。
試合の後半、聖はまさに鬼神と呼べるほどに鬼気迫る表情で戦い、一瞬たりとも油断せず確実な勝利を得るために動いていた。
しかしそれは、真が最後に残した遺言を果たすため。今にも狂いそうな精神状態でありながら、その矛先を敵に向ける事ができた。
それ故に狂わなかった。いや、狂う暇もなかったと言う方が正しいだろう。
(きっぱりとした別れであれば、まだマシだったでしょう)
目下一番の問題はシンの存在だろうと緑は推測する。
自分を救い出した男と同じ顔の男が、まるで自分を神かのように崇め、懐いている。そんな状況に今の聖が耐えられるはずもない。
むしろ、自分の犯した罪をより自覚させるだけだろう。
「とはいえ、シン…彼は一体何なんでしょうか…真くんと全く同一なんてそんな事が……いや、本当にそんな事があり得ていいの?」
魔術世界において、いまだに構築がされていないものがいくつか存在する。そのうちの一つは”死者蘇生”、文字通り死者をこの世に蘇えらせる術式。
古今東西、ありとあらゆる魔術師が自身のもつ魔術体系において実現を目指し、敵わなかったもの。
しかし、まるで今の状況は──
「──まるで死者蘇生の術式、のようですね」
「うぁ、ッ……え?」
死んだ瞳で泣き崩れていた聖が、緑の漏らした言葉に反応を示した。
死者蘇生という命題は魔術師であれば必ず一度は考えてみるもの。そしてその”不可能”にすぐさま膝を折り、二度と挑戦など考えないものである。
「そう、ね。シンと真の相違点は21gの相違だけ…それ以外は完全なる同一と言っても過言じゃない」
感情の奔流によってぐちゃぐちゃになっていた思考がすっと冷えた。
冷静に考えてみるとおかしい。思考回路や知識などの精神的な部分まで全く同一と言う事があり得るのか。”宇宙空間で生身を晒し、平然と生きる方がよっぽど簡単”と言わしめるような難易度である死者蘇生を、本当に私はなし得たのか。
「…そういえば私、真との式神契約術式をまだ解析してなかったわ」
そもそも大前提として、人間を式神にする術式などこの世に存在しなかった。櫻の策謀から真の命を守るために苦渋の決断として、本来の術式に手を加え強引に契約した。
しかし少なくとも、聖はその術式の作成に頓挫していたはずなのだ。本来は魑魅魍魎、悪神土地神を人の使役できる枠に落とし込むための術式を、さして能力があるわけでもない人間に適応する形に作り替えるなどそうそううまくいくはずもない。
「だから私、あの時は全然うまくできなくて、時間も無いなかでイライラしてて…適当に書き殴ったんだった」
聖の瞳に少しずつハイライトが戻っていく。
「そして、なぜか機能した。そして真が謀殺される前に術式の見直しすらせず、強引に術式を起動した…でも、なぜ?」
その疑問は術式の起動に対してではなかった。
謀殺を防ぐにしても全く未知の術式を一から作成するなど、”いくら何でも強引すぎる”のだ。
「緑さん、私と真が式神の契約を結んだ日…正直に考えてみると、いくらでも他の方法ってありましたよね」
「え?…あ、ああ。まあ、そうでしょうね。それこそ私が護衛について回ればしばらくは回避できたでしょう。学校では教職という立場でいくらでも方法はありますし、真くんの自宅にはお嬢様が何らかの結界を貼ればいい。
それに、本人の体質的にも暗殺や謀殺はなかなかされにくいでしょうし」
「そうですよね…何であんな難しい方法しか思いつかなかったの…?いや、よく思い返してみれば、まるで」
「「まるで、何かに突き動かされていたかのように」」
そう2人して呟くと、しばらく言葉が発せられることはなかった。理外の恐怖もあり、理解の外でもある沈黙だった。
そんななか、先に口を開いたのは聖であった。
「緑さん、今にして思うと、あれは何らかの干渉があったとしか思えません。さすがの私もそこまでうっかりじゃないですし」
「え」
「……うっかりじゃないですし!」
しまった、と口を塞いで緑は黙った。
聖は咳払いをし話を続ける。
「それに今、気がついた事があるんです」
「というと?」
聖はかなり怪訝そうな表情のまま口を開いた。
「式神契約がなされている証である”魂接”…真と最後にあった魂の回廊、そこから目覚めた時には確かに切れていたんです。でも、今はあるんです、あの時失ったはずの”魂接”の感覚が。」
「……!?」
緑は一瞬だけ呆けたが、直後に理解し目を大きく見開いた。そして、自分が抱いたその疑問に対する答えを聖に求めた。
「それは、その”魂接”は…シンと繋がっているんですか?」
「──答えは、Noです……いや、Noと言い切れるかは怪しいですね。厳密にいえばシンとのつながりを経由して何か他のものとのつながりがあるような感覚、というべきでしょうか」
現に先ほどから”魂接”経由でシンに声をかけているはずなんですが中に入ってこないでしょう?と聖は言葉を続ける。
「ッ、それはつまり…!」
緑は一瞬言葉をためらったが、今度はしっかりと口に出した。その表情は先ほどの悲哀の表情ではなく、どことなく希望を抱いたかのようで─
「はい、術式を解析すれば、真の魂はサルベージできる可能性があります」
聖の両眼には、既に悲しみなどなかった。
その瞳には苛烈と思えるほどの熱情、それのみが宿る。
久しぶりだね、そこの君。
僕はね、バッドエンドは嫌いなんだよ。まあ、どういう終わりが好きかは伏せるけどね。
墜ちるまで堕ちれば、あとは登り上がるだけかもね。
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