メタモルフォーシス
メタモルフォーシス
「あかりちゃん、あかりちゃん…!!」
自分が嫌いで、生きるのが辛くて。
「どうして、どうして、こんなこと…!!」
本当に、一体どうしちゃったんでしょうね。
「何もかもが嫌になった。」
「え?え?なんで…。どうして…。」
握った包丁からそろり、と赤い血が垂れる。
血は、思った以上に鮮やかで。
へえ、と思った。
自分の体が、まだ、生存、状態にあるのだということに、感心した。
分からないよ、私にだって。
世界はずっと同じに回っているのに、私の世界だけ突然時間が止まってしまった。音がなくなってしまった。色がなくなってしまった。匂いも、明るいも暗いもない。ここには私一人。ーーいいえ、ずっと私は一人だった。もう、ずっと古代から、ずっと。
「ねえ、一体どうしちゃったって言うの…。」
「ママ、」
みんな嫌い。ママも、パパも、お兄ちゃんも、友達も、学校も、過去も、未来も、今も、何もかも。みんなみんな、消えてなくなればいい。死んでしまえ。
「休もうかな、仕事。」
中学生になれば、高校生になれば、大学生になれば、何かが変わるかもしれない。就職すれば、或いは…??
「休む。」
「あ、あ、うん、そうだね、そうしな。うん、休んだほうがいい、疲れてるんだよ。」
包丁を流しに置く。
「明日届けだしてくる。」
「うん、うん。」
ママが泣く。
鏡に自分の顔が映る。首に赤い筋。
「あはは。ハハハハハッ!!アハハハハハ!」
ママが泣いている。
家を出て、古い空き家に住んだ。
叔父さんのつてで、田舎に空いている家に、ただで住まわせてもらえることになった。
心の療養にはちょうどいいって、ママが心配そうな顔で送り出してくれた。
一日、一日。
耐える。
やり過ごす。
とりあえず、今日は、生き残ろう、って。
だけどそんなの、生きてるとは…、言えるの?
え?どうなのかな?生きてるって、思う?これも?
生きてるって、なに?
世界は、灰色。
もうすぐ一年が過ぎる。
また春が来る。
私は今も、動けないでいる。
ずっと同じ場所に、じっと、固まったまま。
もうすでに一年卒業が遅れて、でもだからって学校に戻って、普通に卒業して、普通に就職とか、無理。多分。
死にたい。
そんなことなら、死んだほうがマシ。多分。
うそ。
本当は生きてたい。
生き返りたい。私は。
変容して、綺麗になって、堂々と、人々の前を歩き、喋り、大いに笑い、怒り、泣き、友情など、育んで…、みたいのですが。
「ああ。」
縁側に寝転んで太陽に手をかざす。
光が差さない時間を過ごしてきた。
毎日、毎日、寝たり寝なかったり、起きたり起きなかったり、食べたり食べなかったり、排泄したりしなかったり、しながら、ただ、時間が経つのをぼんやりと眺めている。
時間が経つのが怖い、そう思っていたのも、もう、もっと前の話。
今はただ、ただ、そこに、在る、だけ。
考えてみれば、わたしはいつからこうだったんだろう?
小学生?幼稚園?それより、もっと前?
わたしはいつから、生きていなかった?
多分、結構長い間。
いつから、何も見えなくなっていたのだろう。
最近、世界は明るい、ということに気づいた。
太陽が出ていれば、世界は明るいのだ。
青い葉が光を通して、さらさらと風に揺れている。
静か。
一人。
この一年、自分がどれほど、他者を恐怖してるかを知った。
他者と交流するたび、静電気のように、ピリッと痛みが走って、涙を浮かべて、ああ、もう嫌、って、自分の巣に飛び戻る。布団に潜ってぶるぶる。もうやめよう、やめにしよう!こんなことは…!!
くそ、くそ、くそ…!!
医者はダメだった。カウンセラーはダメだった。神父はダメだった。
誰も、助けてくれないんだ。
誰も、あたしを助けられないんだ。
だって、私に、助かる気がないからなんだ、それは。
暖かい風が吹く。
ごろん、と寝返りを打つ。
こんなふうに生きながらえていて、一体何の意味があるのだろう、とか、
今こうやって頑張っていればいつか楽しい時がくるのか、とか、
やっぱり私はこのまま死んでいくのがらしいんじゃないか、とか、
ばからしいことを、ぐるぐるぐるぐる、同じことばかり、考えている。答えはどうも、出ないらしい、のですが。
「あかりなら大丈夫だよ。」
「あかりは強いね。」
「あかりはいつも笑ってるね。」
「先生たちは信じてるよ。」
「あかりは一人でも大丈夫だね。」
大丈夫じゃないよ。
あかりは、そんなに強くないよ。
あかりだって泣くよ。
あかりだって傷つくよ。
あかりだって、ひとりぼっちは、寂しんだよ。
「あ。」
蝶のサナギだ、あれ、きっと。
木の葉の裏に、緑の物体がぶら下がっている。
小学校の頃クラスで観察した。
完全変態、だったかな。
完全変態:metamorphosis
Metamorphosis: a complete change of form, structure, or substance, as transformation by magic or witchcraft.
魔法、または超自然力により、
一部の神経、呼吸器以外はドロドロに溶解する。
少しの振動などの刺激でも容易に死亡する。
小さな部屋のようなものを作って、外敵から身を守る。繭をはったり、地中に潜ったりする。
この劇的な変容のメカニズムは未だ解明されていない。
幼虫の体は養分を得るためだけの単純な構造だが、成虫には飛翔能力を含めた高い運動能力が備わり、異性にアピールするため美しくなる。
人間に、変態はあるか。
そのとき、私は確信したのだ。
青天の霹靂のように、ばりりと、私の脳天を突き刺したのだ…!!
ああ、あるとも!
そう、われわれは、飛翔能力を含めた高い運動能力を得、高く、美しく、舞い上がるのだ!
私は蛹だ!
完全変態だ!
一部の神経、呼吸器以外はドロドロに融解し、
小さな刺激からも身を守るため、外界とは隔絶された小さな部屋に住み、
飛翔を夢見て、一人静かに眠っている。
それが、わたし…!!
ああ、太陽よ!
風よ!木々よ!虫たちよ!
共に歌おう。
我が大いなる飛翔を願って、共に歌いたまえ!
世界は明るい!
私は蛹!
人々に忌み嫌われ、蔑まれてきた幼虫よ、おさらば!
私は完全変態を遂げ、成虫となり、飛翔能力を含む高い運動能力を得、そして高く舞い上がる!
あの、青く遥かな、
空へ…!!
「ふう。」
ごろりと寝返りを打つ。
「なんて、ね。」
お風呂で塩素水に浸かっていてふと思いつきました。
明るく楽しく生きていきたいですねえ。