8話 Die
「荷物、大丈夫?」
目が虚ろだ。頷く気力もないのか、現実が見えなくなったのか。
「……行こう」
子供の世話をするには、俺はまだ若すぎる。こんな状況なら尚更のことだ。仕方ないじゃないか。
「東に……静岡に向かおうと思う」
例のメモ。兄貴からとは思えない。文書作成ソフトを使って、その上プリントする余裕があるはずがない。
――じゃあ、誰だ?
さっきから何度も繰り返した思考。わざわざ、プリントした文書で俺に連絡を取る必要がある人間がいるのか。
そして場所が浜名湖だ。ここからは、全国的に見れば比較的近いかもしれないが、子供を連れて歩いていくと考えれば相当な距離。
正直、思惑が見えない。
考えながら歩く間も、周囲の警戒を緩めることはできない。なんとも疲れる道中だ。
泊まる場所も、考えなくてはいけない。一旦市役所に宿をとるべきかもしれない。
「もう、わけわかんねぇな」
嘆息がわりに、そんな言葉が口をついて出た。
「おお、君か。早かったな」
「出戻り決め込んだみたいで、気が引けますが……」
「気にすんな。1人2人増えたところで状況は変わらんよ」
結局、この警官のところに戻ってきてしまった。
「あの医療班の女性、まだいますか?」
「ああ、南野さん」
そんな名前だったのか。
「まだここで活動してくれているよ。……犠牲者は、何人か出てしまったけどな」
ここでも、か。あの時見た人も、もういないんだろう。
「後で顔を出すといい」
「喜ぶとは思えないんですが」
「生きていてくれるだけで、救われることもある」
そんなもんだろうか。
「君は、どこか行くあては決まったのか?」
「一応は……」
そこに何があるのか、見当もつかないけど。
「そうか。良かった」
無謀なことだってことくらい、分かっている。
「ところで、俺と一緒にいたあいつ、あの後見ていませんか。連絡が取れなくて」
圭のことが分かるとすれば、この人くらいしかいない。
「ああ。そのことで……」
「なにか?」
嫌な予感がした。
「南野さんのところ、一緒に行こうか」
「……はい」
こういう時の予感ってのは、大体当たるもんなんだ。
「ああ、生きてたの」
喜ばれてるような気はしないな。
「この子を届けるまでは、死ねませんから」
「心がけは認めるよ」
そいつはどうも。
「南野さん……彼のことを……」
彼?俺か?
「ああ、教えておくの」
「何か、俺にあるんですか?」
ふん、と値踏みするような目で見られる。あまり気持ちのいいものじゃない。
「君の友人かな。藤堂 圭。彼の話だよ」
「圭が、何か……」
「亡くなった」
――死んだ、か。
「相変わらず鉄面皮なのね」
「……予想はしてました」
予想はしていた。していたはず。
「……彼が亡くなった時のこと、聞かなくていいの?」
「有益な、情報があれば……」
背後で警官が、息を飲む音がした。
友人が死んでも、悼むより先に何かを得ようとする人間。それは、最早人間だろうか。あの日あの時から、俺はずっと、こんなことを考えている気がする。
「前例と比較しても、別に変わらない」
「……どうも」
警官の手が、肩に置かれる。すまない、とでも言うかのように。
「話は、それだけですか」
「君にはね。私は、そっちの女の子と話したいの」
那槻ちゃんと?
「これは多分、君のためにもなることだから」
席を外せ、と目が語っている。
「……分かりました。外で待ちます」
「それでいいわ」
侮られている。動揺しているのが悟られているからか。
「君も、まだ人間よ。安心なさい」
バカにされている、ささくれ立った神経は、そんな風にしか物事を捉えられなくなっていた。