35話 Conviction
「この野郎、不死身か!」
不死身じゃない。ただ死にたくないだけ。頭部さえ守れれば、即死はない。
言い返したかったが、口は言葉を紡いでくれない。なら、それでもいいか。
右手で鉄パイプを振りつつ、感じた方向に素直に左手を伸ばす。こいつ、疾い。
――いい加減に、死ねばいいのに。
ボディに拳が入る感触がある。諦めろよ、お前の拳じゃ俺は殺せない。殺すのは俺だ。俺だけのものだ。
「死ねよ! いい加減にッ!」
足を払われ、地面に倒される。鉄パイプを奪い取るつもりか、掴んで来たが、それより先に顔面に左手を叩きつけた。
――今のは効いたか。
一瞬だが敵意がうすれ、身体がよろよろとふらついているのを感じる。視界なんてもう必要ない。息遣いから表情まで読み取れる。
――そこか。
振り下ろした鉄パイプは足を直撃し、叫びが辺りに響く。なんだろう、表情が動かせない。笑ってやりたいのに、口がもう、笑ってくれない。
殺す。殺したい。殺そう。殺します。
「この……バケモノが……!」
――知らないよ、バケモノだからなんだってんだ。
そっちから仕掛けて来たんだ。俺はただ、自分を守っただけだ。惨めだな、そのまま地を這いつくばって死ねばいいんだ。
死ねばいい。そう、死ねばいい。惨めな体を晒し、苦しみと悔恨の中で、無様な屍になればいい。
「だけどな、残念ながら俺の勝ちだ」
何を言っている? 今からお前は死ぬんだ。あの拳銃の、2人目の獲物だ。鉛玉の味を、ゆっくりと味あわせてやる。
「もう、見えねぇか? お前の後ろにいる人間がよ」
……後ろ?
そう言われて、初めて気配に気づいた。全感覚をこいつに集中して、誘導されていたのか?
そこにいるであろう、6人の男女。その表情は見えない、でも分かる。恐怖を知らないはずの体が、震えた。
――そうか、それがお前の目的か。
バケモノが、バケモノであることを示すことが。
遠い。今までのいつよりも、彼らが遠く感じる。俺はもう、引き返せない。帰れない。力が抜けた右手から、鉄パイプがするりと落ちていった。
――なんで、俺はこんな所に立っているんだろう。
後ろから押し倒され、体が地面に這いつくばる。誰か、何か話している。誰だろう。もう、誰でもいいか。人の言葉なんて、もう必要ない。
体に、何か突き刺された。地面に釘付けにされる。無様な姿。でも、仕方ない。狩りが終わって、彼らは少しだけ平穏を取り戻す。
もう、戦う意味もないんだ。ここで終わりだ。いや、ずっと前にもう、終わっていたのかもしれない。
声は辺りに響く。今更、ゆっくりと視界が戻って来た。変にぼやけて見える世界は、なぜか懐かしい。これまで、一度も愛しくなんて思ったことのない世界が、懐かしい。奇妙だな。
見慣れた人々。もう見ることのない人々。俺がもう、戻れない場所。帰りたい、ずっと昔に。できるなら、他の形で会いたかった。他の形で生まれたかった。
――ごめん、最後まで嘘つきだった。
鉄パイプが引き抜かれる。体に穴が空いているってのは、こんな感覚なんだな。俺が殺して、殺して、殺し続けて来た感染者も、こんな気分で死んだんだろうか。
振り上げられる、断罪の刃。そして、割り込んで来た、ひとつの人影。――誰だ?
「やめて」
聞こえないはずの耳に、なぜか響いた声。
……椿?
「この人は、殺させない」
聞いたことのない、力のある声。違う、この声は。懐かしく、暖かい日々が脳裏に蘇る。
「……さく、ら」
動かない口から、声が出た。桜が、生きていた。生きていてくれた。薄い視界に、希望が映る。
――いいんだ、桜。俺はもう十分だ。
「思い出したから。私は」
凛とした、通る声。あの、いつも背中に飛びついて来た小さな妹が、こんなに強くなった。最期に、こんなものを見せてくれるのか。
「お兄ちゃんは、私のもの」
どこか狂気を孕んだ後ろ姿は、しかし神々しい。
「邪魔をするなら、誰も許さない」
意識が遠のく。桜が生きていた。その事実に安心した。それで十分、生まれ方を間違えたバケモノには、十分な生涯だった。
視界はまた暗闇に飲み込まれ、感覚さえ閉じられていく。そっと世界に、さよならを告げた。




