29話 choices
「ホントに……いいの?」
「ああ、思いっきり頼む」
包丁を握り締めた結梨と、腐りかけの左手を差し出す俺。肩の関節はまだ生きているので、ある程度は動かせる。
――この体が、もし役に立つなら。
「見たくないな……」
「左手以外を刺されたらたまらないからな……目は開けといて」
嫌々といった表情で包丁を握り直し、まっすぐ、机の上に置かれた左手に白刃が降りる。
突き立てられた刃は、骨にでも妨げられなのか途中で止まる。予想通り、痛みはない。
「うえっ……ホントに大丈夫なの?」
「ああ、痛みはない。変なことに付き合わせてごめん」
右手で思いっきり引き抜く。この包丁はもう使えないだろうな。
「包帯、置いとくよ」
「……どうも」
見栄えの問題さえ除けば、常に釣っておく必要はない。
「なーちゃんに、それ見せないでね」
そんなことを言われてしまったら、隠しておくしかないじゃないか。
仕方ないので、元どおりの骨折風に固定する。将来的に肩や、それより上まで飲み込まれたら、どうなるんだろう。
「それで、そっちの話したいことってのは?」
「実は、涼君が寝てる間に外に出てたんだけど、見つけたんだよ。生きた人たちのグループ」
「……この辺にいたのか」
そもそも、何で1人で外を出歩いたのかと問いただしたいが、今はそれはいい。それよりも、生存者だ。
「接触したの?」
「ううん。遠くから見えただけで、多分気づかれてはない……けど、どうする?」
頼れる人間は、俺たちの中にはほとんどいない。自分はこの体だし、頼れそうな人がいるなら合流するのがいいような気もする。
――ただ、問題は。
「相手の素性と、あとは俺の体か」
俯く結梨は、自分の不甲斐なさを責めているのか。俺から言わせれば、永峰氏の件は完全にあっちが悪いと思うが。
「うん……涼君はただの感染じゃない気がするし」
「俺が消えたから、二週間以上はたつんだっけ」
普通なら、もう恐らく感染者の仲間入り。それなのに、左手以外に目立つ発症はない。正気も保っている。
もっとも、多少記憶に違和感はあるが。
「……実を言うと、ウチも涼君と一緒に行くのはちょっと怖い」
「……だろうね」
感染しかけの奴と、好き好んで一緒に歩く人はいない。頭では分かっている。でも、一抹の寂しさは抑えられない。
「行ってみようよ。みんなで」
諦めたように、話す結梨。
「……それは、俺も含むみんな、で?」
「うん」
正直に話して、受け入れられるはずがない。つまり――。
「隠せばいいよ。きっとうまくいくって」
「やめとけ。ロクなことにならない」
「じゃあ、どうするの?」
言葉に詰まった。どうする? 今の4人で行くのか。不安因子の塊みたいなこの4人で?
「俺以外で、いけよ」
女の子3人、拒まれるかもしれない。普通に考えれば足手まといだ。それでも、自分がいるよりはマシなはず。
「……できると思うの?」
「そのぐらい、やってくれないと……死ぬ」
もう俺を、頼りにしちゃいけない。奇跡は、少なくとも長くは続かない。
「それなら、騙してみせてよ」
知らず知らず晒していた目が、その言葉に引き戻される。
「そんな偉そうなこと言うなら、たかが数人、騙してみせて」
涙を含みながらも、笑うその顔。罪を知ってなお、背負うとする少女は、必死に笑っていた。
「この間見たのは、ここだったハズ……」
結局、俺はついてきている。死にたくない、一緒にいたい。そんな感情があることも理解している。
「あの辺り。多分だけど……」
「OK。行ってみるしかないな」
騙すのなら、最後まで騙し通さねばならない。
これから会う人々は、仲間にはならない。ただ利用するだけ。自分たちが生きるために。
「気をつけて。どこから出てきてもおかしくない」
嘘をつくことへの罪悪感は、思ったより薄い。結局、自分のためにしか生きていないってことだろうか。
ポケットの中の銃は、なおその重さを主張してくる。
目的は分かってる。自分たちのため。他のなんでもない。この3人が、無事に安全な場所に身を置くこと。
――その後、俺はどうなる?
どうだっていい。あの日の贖罪とでも割り切ればいい。
――俺はただ、意味が欲しかった。
何かのために生きる、その対象が必要だった。自分が生きていく理由づけが欲しかった。
これから会うのは、人間じゃない。ただの、道具だ。
なんで結梨が、こんなになった俺を頼ろうとするのか、すぐにはわからない。
それでも、誰かに頼られることは、他に得ようのない満足と、生きる意志を与えてくれる。
俺にはそれが、必要だった。




