28話 return
遠いな。
どこに来たんだろう、俺。体を感じない。ついに死んだのか、それとも。
そもそも、俺は何をしていたんだ?
覚えているのは、雨。あとは――。
真っ白だった視界が、戻ってくる。手の届かなかった現実が、目の前にあった。
「ここは……」
隣で寝ているのは、那槻か。安らかで、汚れのない寝顔はちゃんと記憶の中にある。
体をゆっくりと眺め回し、異常を確認する。左手は固定されているが、痛みはない。動かないのは、固定具のせいだろうか。それとも、麻酔か何かされているのか?
「起こすのは、かわいそうかな」
安心しきった寝顔には、涙の跡が伺える。まだぼんやりとした世界を見回すと、どうやら屋内らしい。右手を動かすと、思ったより違和感は少ない。
――結梨や、椿は?
人の気配がする。この感覚は? 見えないし、音も聞こえないのに、そこに誰かがいることが分かる。
――俺は、どうなった?
那槻を起こさないよう気をつけながら、ゆっくりと体を起こす。肩や背中は硬いが、動かないことはない。掴まれそうなものはないので、よろよろと立ち上がる。
「とりあえず、生きてることは生きてる、か」
意識が冴えてくるのに乗じてか、頭痛も自己主張を始めて来た。おぼつかない足取りで、人の方に歩く。当たり前だが、見たことのない家だ。
「あ、起きたんですか?」
見つけたのは、食料品を数える椿。無事そうな笑顔に、少しほっとした。
「あんまり無理しないで、寝ていてください。意識はしっかりしてますか?」
「とりあえず、歩けるぐらいにはあるよ。でも、どうしてこうなったのか……全然分からない」
立ち上がって体を支えてくれる椿に助けられながら、椅子に腰を下ろす。情けないことだ。
「結梨さんは、外の様子を見てくると。帰ってくるまでに、覚悟しておいた方がいいと思います」
「……俺、なにをやらかしたんだ?」
「本当に、覚えてないんですね……」
茶化した顔から一転して、心配そうにこちらを見る椿。やはり顔をみると、桜にしか見えない。
「結梨さんが帰って来たら、みっちりその話をされると思います……なにか食べますか?」
「ああ、いや……いいよ。もう少し休ませてもらう」
立ち上がる時にも、肩を貸してくれた。気の利く優しい子でよかった。
「ここにお水、置いておくので飲んでください」
毛布のそばにてきぱきとタオルや水を用意する椿。手際が良いというか、妹と言うより母親かもしれない。そんなことを思って苦笑が漏れた。
「……どうか、しました?」
「いや、ありがとう。帰ってくるまで休んでるわ」
小さくうなずいて、食料品の所に戻る椿。脳裏には、幼い頃の桜の記憶が描かれていた。
「まだ寝てるの?」
「疲れてると思います。今日くらいは……ゆっくり」
結局、一睡もできなかった。お陰様で、叩き起こしたがる結梨と止めようとする椿の会話も丸聞こえだ。
椿に悪いし、大人しく出て行こうか。
「起きてる。久しぶり」
気の利いたセリフは思い浮かばなかった。
「……久しぶりだね、確かに」
「悪いけど、全然状況がわかってないんだ。言いたいことは多いと思うけど、教えて欲しい」
結梨、苦労したのだろうか。顔に疲れが見える。多分大半は俺のせいだが。
「分かってるよ。ちゃんと話す。座って」
椿が椅子を引いてくれた。心底心配してくれているのだろうか。
「簡単に言うけど、涼君、二週間くらい消えてた」
……二週間?
「それで戻って来た。なぜか永峰さんが持って行った荷物と、なーちゃんを連れてね」
永峰さん……と、別れたのか。
「それで、そのまま倒れちゃって、昨日からずっと寝ていたんですよ」
椿の補足が入って、なんとか事態を飲み込む。
「それで、一体俺は何をしてたんだ?」
「ウチだって知らないよ。むしろ知りたいし」
那槻を連れて来たってことは、最初に会ったのは那槻なのか。それにしても、永峰さんはどうした?
「永峰さんは、なんで那槻を連れて……」
「ケンカ別れで、半分人質。ナイフまで出されて……どうしようも、なかったから」
歯切れ悪く言うが、他にやりようもなかったのだろう。結梨は臆病ではないけど、凶器を使われていれば恐れるのも無理はない。
――じゃあ、誰がそいつを止めた?
「……ねぇ、自分の左手みた?」
「ああ、固定してくれたんだろ? あんまり痛みは感じないけど」
気まずそうに、顔を見合わせる2人。その表情から、嫌な想像が掻き立てられた。
「え、違う……のか?」
「それね、ケガじゃない」
次の言葉は、なぜか分かってしまった。
「発症、してるの……涼君」




