第二話 金ぴか宮殿のトイレ
「こんなわけのわからない者の望みを聞き入れるとは陛下も物好きな」
さっきから目つきの悪いお兄さんがブツブツと独り言を言っている。そしてひっきりなしに私を見下ろした。
「まだトイレにたどりつかないのか?」
人様んちのトイレを借りる事態になっておいてなんだが住む場所が無駄に広いというのも考えものだな。あの髭モジャ、いきなりトイレに行きたくなったらどうするんだ。
「お前が使っても差し支えないトイレはもう少し先だ」
「ってことはもっと近くにトイレがあるのか。そっちを使わせてくれたら良いのに、ケチだな」
「そういう問題ではない」
「どういう問題なんだよ」
「うるさい。使わせてほしければ黙ってついてこい」
悪人みたいな顔つきのお兄さんに案内してもらったのは金ぴか宮殿の外にあるトイレだった。同じようなドアが並んでいるところを見るとこの金ぴか宮殿に住んでいる人間はけっこういるらしい。
「逃げようなんて考えるなよ」
そう言いながらお兄さんは腰に下げている剣みたいなものに手を置いた。逃げたらアレで〝お仕置き〟が待っているらしい。
「分かってるよ。だけどもう少し離れて立っていてくれないかな。こんな近くで立たれていると思うと落ち着いてできないから」
「……」
なにを言っているんだお前は的な顔をしてお兄さんはその場で腕組みをした。どうやら離れてくれるつもりはないようだ。したないのでそのまま個室に入った。
部屋がまぶしいぐらいの金ぴかだから、トイレもさぞかしキラキラして落ち着かないことになっているんだろうと期待して入ったら意外と普通だった。パッと見は。
「……なんていうか落ち着かないトイレだな、これ」
トイレは洋式で使い方は問題ない。ただ流すレバーが見当たらなくて入る前にお兄さんに質問してみたら上をさされた。天井近くに四角い箱があってそこから鎖がぶら下がっている。なるほど、これを引っ張ると四角い箱にたまっている水が流れる仕組みらしい。
「……」
陶器の白い便器には木製ではあるが我が家のトイレと同じよう蓋がついている。それを上げれば木の便座。木製で見た目は温かみがあるものの温かい便座に慣れている自分としてはなんともいえない微妙な冷たさだった。そして問題は便器の中だ。なんで便器の外側ではなく便器の中に色とりどりの花や鳥の絵が描かれているのか?
「立ってする男でないと絵が見えないじゃないか、これ」
いや、そういう問題じゃない。こんなところに絵が描かれていて落ち着いて用が足せるのか? っていうかどうして便器の中に花や鳥の絵を描く必要性がある?
とりあえずもう我慢の限界なので使わせてもらうことにする。トイレットペーパーも多少ゴワゴワしてはいるものの我が家と似たような感じだ。良かった、なにか違うもので拭けとか言われたらどうしようかと思った。
そしてその横に神社にある手水舎にあるような手水がそびえたっている。ただしこちらの手水は大理石のようなやつでキラキラした石やら何やらでデコってあった。それに出たぞ、柄杓が金ぴかだ!
「……なんて言うかさすが金ぴか宮殿のトイレと言うか無駄なところが派手派手しいよな。ここがこんなんだったら髭モジャの近くにあるトイレはどんなピカピカなんだ」
そんなことを呟きながらそこで手を洗わせてもらい個室というには広すぎる場所から出た。出たところには悪人みたいなお兄さんが悪人みたいな顔をしてそびえ立っていた。
「お待たせ」
「……」
お兄さんは黙ってうなづくと顎でついて来いと合図して先を歩き始めた。そして他の所を見ることもなく元の金ぴか部屋に戻ってきた。そこにはさっきの髭モジャ男もまだいた。
「貴様の用はこれで済んだんだな、さっさと帰れ」
そう言って私が出てきた場所を指さした。そこは大きな鏡が扉になっていて婆ちゃんちとつながっていたはず、なんだが。
「ちょ、入口ふさがってるし! なんで閉めるかな!!」
そう言いながら髭モジャ男をにらんだ。
「私のせいではないぞ。勝手に閉まったんだからな」
「閉まるの黙って見てたのか? なんで手で押さえておこうとか思わないかな、気がきかないな」
「お前が戻るまでここで待っていろというのか? そこまでヒマじゃない」
「トイレの中で変な格好するぐらいヒマなくせに」
髭モジャはこっちの言葉に顔を赤くしながらそんなことはしていない!と反論してした。いや、変なポーズしてたろ、ニヤニヤしながらこーんな感じでと真似をしてみたらさらに顔を赤くてやめないかと文句をたれてきた。
「それにここはトイレじゃない、私の部屋だ!」
「うちのトイレに入ろうとしたらここだったんだから、ここはうちのトイレの中じゃないか」
「陛下、とにかく一刻も早くこの者を追い出しませんと」
悪人みたいなお兄さんが口をはさんできた。そうだよ、食べかけのスイカも縁側に置きっぱなしだし私は早く戻りたいんだ。鏡の前にいってたたいてみるが扉のようなノブも取っ手もないし押してもうんともすんともいいやしない。どうするんだ、これ。
「どうやったら開くんだよ、なにか呪文でもあるのかな。私はトイレのドアを開けただけなんだが、あんたはなにかここでしてたのか?」
「陛下、最初にこの者と顔を合わせた時はそこでなにをしておられましたか」
その問い掛けに髭モジャは赤くなりながら困った顔をした。
「な、なにをって鏡の前ですることなんて早々ないぞ」
「変な格好してたじゃないか」
「だからしてない!」
「なにをしてましたか」
「……」
「陛下」
お兄さんがジッと髭モジャをにらみ続けると、髭モジャはあきらめたように溜め息をついた。
「……こんな恰好をしていた」
そして最初に私が見た変な格好をしてみせる。すると鏡面が光ってカチッという音がした。
「おおお、開いた!!」
「やれやれ……」
「さっさと帰れ。そして二度と来るな」
「そんなこと言ったってここはうちのトイレなんだからしかたがないだろ」
「だからトイレではなく私の部屋だと申しておるのに……」
「とにかくトイレを貸してもらえて助かった。ありがとう。またヨロシク」
そう言って開いた鏡のドアを開け放つと廊下越しに婆ちゃんちのテレビのある居間が見えた。おお、やっぱりここは婆ちゃんちのトイレなんじゃないか。
「まて、この者がトイレに来るたびに俺は今の格好をしなくてはならないのか?」
「この扉が開かないようにさっきみたいなことをしなければ良いだけの話だと思うのですが」
「……」
二人のやり取りを背中に私は廊下に出てドアを閉めた。そして念のためにもう一度ドアを開けてみる。
「……トイレだ」
今度は金ぴか宮殿ではなく普通にトイレの個室だった。
「ってことはやっぱりあの髭モジャの変な格好が原因なのか」
なんでトイレの前であんなポーズをしていたのか謎だ。そんなことを考えながら縁側に戻るとバイクのエンジンの音と共に婆ちゃん達が帰ってきた。リュックサックには戦利品のお菓子があふれんばかりに詰め込まれている。
「ただいま、亜子ちゃん。つうりんぐっていうのは楽しいねえ。今度は亜子ちゃんも乗せてもらうと良いよ」
お兄さんに助けられながらバイクからおりた婆ちゃんは御機嫌な様子でそう言った。
「それより婆ちゃん! トイレの中が金ぴかの宮殿だったよ! 髭のオッサンとめちゃくちゃ怖い顔したお兄さんが住んでた!」
私の言葉に婆ちゃんは変な顔をする。
「もしかして熱中症にでもなったかねえ……? 氷嚢でも作ろうか?」
そう言って心配そうに私の額に手を当てた。