第一話 出会いはトイレ
「はあ……」
世間はセミの鳴き声とスイカとかき氷の夏休みだ。
「ヒマだ……」
そう呟くとスイカの種をプッと縁側から庭に飛ばした。
学校で山のように宿題が出さているのだから、ヒマだなんてつぶやくことなんて無いはずだ。だけど夏休みが始まってまだ五日、とても手をつける気にはなれない。
「都会の喧騒が懐かしい……」
いま私が怠惰な夏休みをすごしているのは母方の祖母の家。
言っちゃあなんだがド田舎だ。夜にクシャミをしようものなら、その地区すべてに響きわたりそうだし、徒歩三十分圏内にコンビニも無ければ大型スーパーも無い。あるのはお隣さんに行く途中の道路わきにある自動販売機。まさに無い無い尽くしのド田舎だ。
「婆ちゃん、まだ帰ってこないのかな……」
そんなドが付く田舎で年寄りが一人で暮らしていけるのかと言えば、これがまたなんの不自由もなく暮らしていけるのだから信じられない。
『時代はネット通販だよ、亜子ちゃん』
さすが日本。こんなド田舎でもイ、ンフラ整備はしっかりと整っていてネット環境は抜群に良い。そして宅配サービスも充実しているから、たいていのものはお取り寄せが可能だ。そんなわけで、婆ちゃんちには我が家より高級なパソコンがあり、婆ちゃんは私よりネット通販に長けている。
そしてお取り寄せだけでは飽き足らず、婆ちゃんはお隣の家に帰省中のお兄ちゃんに頼んで、町まで買い物に出かけている最中だ。しかもお兄ちゃんが乗って帰ってきた大型バイクに乗せてもらって。年甲斐もなく、〝若い子のバイクに乗せてもらうよ、タンデムだよ、ウヒャヒャヒャ〟と笑っていたのを思い出して生温かい気分になった。
「……私より冒険してるよね、婆ちゃん」
お土産に色々と買ってきてくれるらしいから、まあ良しとしよう。
「……スイカ、食べすぎたかな」
トイレに行きたくなって、食べかけのスイカをお皿に戻すと立ち上がった。
ああ、そうそう。ド田舎でも婆ちゃんちのトイレは洋式でちゃんとした水洗だ。昔、ボットン式だった時、子供だった伯父さんがうっかりまったことがあって、爺ちゃんがすぐに水洗にしたらしい。お蔭で小さい頃から遊びに来ても、トイレが怖くて行きたくないと泣く羽目になったことはない。伯父さんありがとう、爺ちゃんありがとう。
縁側の突きあたりにあるトイレまで行って、いつもどおりにドアを開けた。
「……」
目の前に広がった光景に速攻でドアを閉める。気のせいかトイレではないものがあったような気がする。
「……今のはなんだ?」
ドアを開ければ、いつもの木目調のお洒落でこじんまりした壁に囲まれた洋式トイレがあるはずだった。だけど今しがた私が目にしたものは、なにやら金ぴかでだだっ広い部屋だったような気がするんだが。もう一度そっとドアを開けてみる。
「……金ぴかだ、どこもかしこも金ぴかだ……」
顔だけ中に突っ込んで周囲を見渡す。そこは宮殿かというぐらい豪勢な調度品が並んでいる部屋で、トイレの片鱗さえ見えない。うちのピンクの便座カバーのついたトイレは一体どこに?
「トイレはどこに消えた?」
どう考えても正面に見えるのは暖炉だ。そして天井からは、キラキラしたシャンデリアがぶら下がっている。重たそうなカーテンが下がっている窓からは、日差しが差し込んでいた。なかなか日当たりの良い部屋だ……じゃなくて。
「どう考えてもうちのトイレじゃないな、ここはベルサイユ宮殿か?」
ベルサイユ宮殿なんて実際に見たことないけど。
そうこうしているうちに、窓とは反対側にある両開きのドアの外でガチャガチャと騒がしい音が聞こえてきた。その音はどんどん近づいてくるし、なにやら人の話し声も聞こえてくる。ま、まさかトイレの神様ご降臨?! ドアが開きかけたところで慌てて首を引っ込めてこちらのドアを閉めた。
「……トイレの神様って、こんな洋風なところに住んでいる設定だったっけか?」
いや、それよりトイレだ。私はトイレに行きたいんだから。思い切ってドアをもう一度開ける。
「わああああああ!! ひげぇぇぇぇぇ?!」
「誰だ、きさまぁぁぁぁぁぁ?!」
ドアを開けたとたん、目の前で変なポーズを取っていた金髪のヒゲ男と顔をつきあわせてしまい思わず叫んだ。だが驚いたのはあちらも同じだったようで、その金髪ヒゲ男も大声で叫んだ。しかも日本語で。
トイレの神様が金髪だったなんて聞いてないよ!と慌ててドアを閉めると、ヒゲモジャ男が飛び出してきても逃げられるようにとその場を離れた。
「いや待て、落ち着け私、落ち着くんだ!! 今のは幻覚だ、トイレの中がベルサイユ宮殿だなんてどう考えてもおかしいから!! あの金髪ヒゲモジャも幻覚だから!!」
振り返って閉まったままのトイレのドアを見つめる。
幸いなことに、あちらからなにか飛び出してくる気配は無い。だいたいトイレのドアを開けてそこがトイレじゃないなんてありえない。アニメや映画でも、そういう変な場所につながっているのはクローゼットとか机の引き出しとか押し入れと相場は決まっている。
「うむ、トイレはトイレのはずなんだ」
そろそろと抜き足差し足でトイレのドアに近づく。ドアの向こう側からはなんの気配も感じられない。
「よし、開けるぞ……開けるからな……」
当然のことながらドアが返事をするわけがない。
「本当に開けるぞ? 私は本気だからな? よし、ちゃんとトイレ出てこい!」
思い切って開けると、そこにはさっきの金髪ヒゲモジャ男がこちらをのぞきこんでいた。しかもその横にもう一人、逆三角形みたいな目をしている人相の悪い男が増えているじゃないか!! 神様は二人なのか?!
「「「うわあああああああ、でたあああああああああ!!!」」」
だ、駄目だ。もう漏れそう。この際、トイレの神様が金髪だろうが人相が悪かろうがかまうものか。とにかくトイレに行かなければ私の膀胱がヤバい。
「あ、ああああああの!! すみません、私、トイレに行きたいんですが!!」
それが私とトイレの神様との出会いだった。
……いや、正確にはトイレの神様じゃないらしいんだけどな。