第1章 -1- 『伝承の正体』
イギリス:ウィストマンズウッドの森
「こちら、B地点。対象を目視にて確認」
「A地点、こっちも準備OK!いつでもいいよ」
無線を介して聴こえる生真面目な美声と、愛嬌のある声に白髪の青年は応じる。
「早いな、半径3㎞圏内に人は居ない・・・。やるぞ、始めろ」
青年の指示とほぼ同時に、鬱蒼と木々が生い茂る森に突如、凄まじい爆音が轟く。
「おい、現世への被害は最小限に抑えろよ!?長官からの圧が半端じゃないんだから」
「すみません、先生。力の加減を間違えました・・・」
反省は大いに結構であるのだが――――――、
「いやいや、アイズさん・・・、毎度間違え過ぎじゃない?」
青年の目に映るのは、大砲の如く木々を薙ぎ払った開幕の狼煙だ。アイズと呼ばれた女性は生真面目な声で謝罪を乞うが、その爆炎は遠巻きから見ても、火力の無駄遣いであり、常軌を逸している。
「それからさ、ヘルパ・・・。何してる?」
「何って?そこから見えない?追撃中ッ!」
破壊の爪痕が一直線に伸びた、さらにその先でドミノよろしく森の木々が斬り倒される光景に、隊の長は大きく溜め息し、腹を括る。
「また、減給かぁ」
「アイズ、そっち~!」
「はい!」
そんな溜め息など聞く耳持たず、形振り構わず攻撃を続ける二人に、青年は被害を最小限に抑えるべく森を疾駆する。
「攻撃止め、二人はサポート。火力は最低限でいい」
「了解・・・」
「う、ぅ。はーい」
苔生し岩にシダ、地衣類に覆われたナラの木々を駆け抜け、跳び、霧の掛かる不気味な森を人外の速度でひた走る。両名の返事に嘆息しつつ、その二人が攻撃していた何かを捉えるべく―――。
イギリス南部に位置するダートムーア国立公園に広がるこの森には、幾らかの伝承がある。
それが、
「あれ、か」
妖精 ヘルハウンド
この地に纏わる伝承の一つ。
妖精などと嘯かれてはいるが、その正体は【悪異】によって憑かれた野良狼である。
「目視にて確認。殲滅する」
空振りに終わった、先の砲撃と追撃により警戒心剥き出しの黒々しい巨大な狼、否―――ヘルハウンド。
ギラつく赤眼に、筋骨粒々の体躯は優に3mを越えており、既に狼のそれではなく、化け物の類いに相違ない。黒々しいまでの体毛は一本一本が針のような硬度を誇り、唸る牙の隙間から溢れる涎が地面を覆う苔を溶かす。
ゆっくりと、両のレッグホルスターに収まる短刀を引き抜き、右手を掲げ、合図を送る。
「アイズだけに・・・、」
空を裂く銃声音が聞こえた頃には、刹那を置いて相対するヘルハウンドの後方、逃げ道が爆ぜる。木々が燃え盛り、爆炎の壁が出来上がるも、その熱波は尋常じゃない。
しかし、その影響を受けるのは白髪の優男だけだ。迸る熱風を諸ともしない黒狼は、さらに獰猛な唸り声を上げると、前足に体重を掛ける。
「おい、こら!火力が尋常じゃないだろ!鼓膜が破れたらどうすんだ!」
燃え上がる明かりで風貌が顕となる青年は、吹き荒れる髪が真っ白という点以外はとくに目立ったものはなく、ごく普通の青年にしか見えない。白と青で仕立てられた隊服と両手に携えた漆黒の短刀と純白の短刀というのにも眼を瞑れば、だが。
「すみません、今のはわざとです」
爆音による耳鳴りに頭を振りながら、肌を焼き付ける熱風から顔を覆って守る。
今にも襲い掛かりそうなヘルハウンドを視界の端に捉えながら、自身も得物を構え直し、耳鳴りが止まない白髪の青年は三度、隊員に指示を飛ばす。
「もう二人とも待機!誰かさんのせいで耳おかしくなってるから、とりあえず終わったら集合で」
「自業自得じゃん。アイズ、その手の親父くさいギャグ嫌いなの知ってるくせに」
「本当です・・・。次はないですから」
投げやりな指示を無線で言い渡すも、聞こえるはずのない誹謗中傷を感じながら、両手に携えた短刀の感触を確かめつつ、相手の出方を窺う。
「遠慮すんな、来いよッと!?」
挑発染みた台詞が勘に触ったのか、恐ろしい速度で喰らいに掛かるヘルハウンドに気付いた頃には、夥しいほどの牙がびっしりと並ぶ大口が眼前。しかし、青年もまたそれを上回る反応速度で回避すると、避けざまに通過していく巨大な体躯の側面を漆黒の刃で薙ぐ―――が、
「硬いな、刃が通らん。そういう能力か?何にせよ、殺すけどな・・・」
圧倒的な速度で繰り出される猛攻を躱し続けるも、こちらの両刃は向こうの体を傷つけるには至らず、時には牙を受け、爪を弾き返し、距離を取る、そんな決定打に欠ける攻防の繰り返しも長くは続かない。
Cランク程度の任務に手こずるほど落ちぶれた隊長でないことを隊員の二人は知っているし、無論、本人は余裕綽々に涼しい顔をして、その瞬間を待っているのだから。
都合3分程度の戦闘を経た辺りで、白黒の両刀が淡い燐光を放ち始めると準備完了の合図だ。
「やっと解析終了したか。じゃあ、本体にゃ悪いけど、これもお仕事なんでね」
淡い光を帯びる青年の武器に警戒はするも、文字通り、目にも止まらぬ速さで件の青年めがけ攻撃の手を止めないヘルハウンドと、その瞬く間もない攻撃を寸での所で悉く躱し続ける青年の何度目とも知れない攻防は端から見れば、異常と呼べる光景に違いなかった。
何せ、両手に携えた立派な武器があろうと、彼の見た目は隊服を着ただけの青年で、生身である。人の身の丈を当然の如く超えるような化け物の、不規則で反応の隙など与えない俊敏さを、噛まれることはおろか針山のような体毛に巻き込まれてもお陀仏となる攻撃を、にも関わらず、その全てを見切り、幾度とその刃を獣に叩き込むに至らしめる理由は、単純明快。
彼を筆頭に、先の規格外な攻撃で周囲に余計で甚大的な被害を及ぼした二人の女性隊員も、既に人間の枠を超え、人間ではないからだ。
「アイズ、今度は確実に狙え!」
「はい!」
四肢に力を溜め、弾丸のような速度で標的に迫る青年、メシアの指示通り、今度こそ完璧な射撃が迎撃の態勢を取ろうとしていた黒狼の前足を穿ち、見えない狙撃手に意識が向くと、
「どこ見てんだ!」
「―――ッ!?」
刹那をおいて獣との距離を消し去れば、側面から体毛の薄い腹を真上に蹴り上げる。軽く200㎏はありそうなものが、サッカーボールよろしく遥か頭上へと舞い上がり、悶絶する無防備なヘルハウンドは露とも自分が蹴り上げられるとは思わなかっただろう。
[朧絶-残光]
そこへ、無慈悲な斬撃が交差し閃くと、剣山のような体毛を無視して両断―――、肉塊と化す。そうして、斬り裂いた巨躯は、空中で見る見る内に縮み、メシアと共に着地する頃にはバラバラの各部位は元のサイズである狼に戻っていた。
「各個、位置に着け!」
「もう、居ます」
「今日は、余力ありまくりだかんね」
燃え盛る木々を背にする二人の女隊員は、メシアの戦闘が終えるのを考慮し、その着地地点付近に前以て待機していたらしい。
メシアより少しだけ背が低く、女性にしては少し上背のあるブロンドヘアーの巨乳美人―アイズは清んだ声で応答し、佇んでいる。
青と白で調えられた隊服が端正で美しい四肢、張り出た双房、抜群のプロポーションを際立たせている。清楚の権化と言えるほどの美しさと、その表情、肢体は男ならば、誰しも下心を抱いてしまいそうだ。
その隣、自分の身の丈を越える長大な剣に寄りかかる、藍色髪の少女の見た目はせいぜい高校生にしか見えない。ツインテールに、生地の厚い隊服の上からでも、そこそこの成長を見せる身体。そんな形では、到底持ち上げることは出来ないだろう剣に軽く触れると、淡く光ながら、大剣はその形を小さな球に変え、少女―ヘルパの発展途上の胸に吸い込まれる。凄腕のマジシャンでも、真似できない芸当だ。
「何か付いてますか?」
じろじろ眺めるメシアの視線に恥ずかしがるアイズは自身の顔をペタペタと触り、ありもしない付き物を取るのに躍起になっている。
「アイズのおっぱいでも見てたんじゃない?えっちぃ~」
「きゃ!?」
からかうヘルパの言動を真に受け、胸に手を当てて羞恥から蔑みの眼差しへと変わる頃に、こと気づく。
「なわけあるかぁ!顔色見てたんだよ。両方とも大丈夫そうだけど、一応・・・やれそうか?」
ヘルパの小悪魔的な補正を真面目な問いで一蹴すると、メシアの足下が前方の燃え盛る炎壁に負けないくらいの光量で輝く。
「やれます」
「余力ありまくりって言ったじゃん」
地に伏した元ヘルハウンドの肉塊を中心に三点、二人が持ち場に着くと、メシア同様に足下から眩い光が漏れ出す。
「では、【祓滅の儀】に入る。気合い入れろよ!」
三者三様に、拳を付き出すメシアから一筋の光が線となって地を伝い、手を横に踏ん張るヘルパの足下の光と交わると、再び光線は地を伝い、胸の前で手を重ね、祈るアイズの元へと注がれ、メシアへと戻って来る。
そして、完成した美しい正三角形は中心に美しさの欠片もない肉塊を据え、三角推へと形を変えた。
【祓滅の儀】
端的に言えば、御祓いの上位互換みたいなもので、憑かれた【悪異】を祓い、死んでなお憑き動く生物が再び現世に舞い戻ることがないようにする儀式なのだが――――、もっとも、【悪異】による【祓滅の儀】と俗に言う御祓いを比べること自体、次元が違い過ぎる。
「アイズ、足りてない!」
「く、ふっぬ、ぬ」
豊満なお胸の前で両手を重ねて力を込める金髪美女は、額に玉の汗を浮かべ、儀式に必要な精神力のありたっけを儀式に注いでいる。いつもの真面目口調もどこ吹く風か、見た目のお姉さん系に反して、その姿、口調は可愛らしい。
「けど、そう言うのは言い訳にはならないぞ・・・。それからヘルパ!馬鹿力も悪くないが、全体の出力に合わせろ。均衡が崩れかねん」
「なんの話しを、してるんですか・・・、くっ」
「む、むむ~!!」
一方で、藍色のツインテールと体全体を震わせるほど力むヘルパも、その姿だけ見れば、なんとも愛らしい恰好ではあるものの、【祓滅の儀】において重要な要素は、単純な念力と全体のバランスを保つ均衡力、その二つに掛かる精神力である。
苦しそうな表情で力を注いでいるアイズは、均衡力だけ見れば一級品なのだが、単純な念力が足りていない。対して、力むあまり超振動を見せるヘルパは念力には目を見張るものがあるものの、均衡力が絶無なため、作りあげた結界が歪になりつつあった。
そうしてる間にも、バラバラとなった肉塊が独りでにモゾモゾと動き出していることを、隊長であり、二人の教育係でもあるメシアは瞬時に悟る。このように、儀式そのもが長引くと失敗に繋がるため、潮時と判断する彼は、早々に結界のまとめ上げに掛かる。
「はぁ、まだ練習しないとダメか。全体的に・・・」
それぞれの足元から形成される光は黄が掛かった色であったが、溜め息と今回の任務の総合評価を吐露すると、一人メシアの足元が蒼白い光へと転じ、蒼白い光は黄色を侵食すると共に、三角錐の結界そのものも徐々に収縮を開始する。
あっという間に、三角錐は数センチ程度まで縮み、その中には言うまでもなく凝縮された件の狼が収まっており、程なくして結界ごと消滅した。
「はい、お終い!とは言え、今回の減給と説教は確定したな・・・」
眼前、火の手は周囲の木々にまでは燃え移っていないものの、C級程度の【悪異】を討滅するのに、現世へ及ぼす被害が釣り合っていないことを、しばらく立ち尽くしながら茫然と考えるメシア。
「まぁ、生まれ変わって二ヶ月・・・こんなもんか」
ポツリとこぼす独り言に、視線を落とすと―――、ヘバりきっている二人と目が合う。
「任務も終わったし、野次馬が来る前に帰るぞ。修繕部の人もその内、来るだろうし」
その道80年となる青年は余裕の貫禄であるが、
「ちょ、もうちょっと、休憩させて~」
「はぁ、はぁ、同意です」
苔に覆われた地に腰を着き、息も絶え絶えな二人に頭を抱えて、メシアは思う。
自身で選んだ二回目の生であっても、年端もいかない娘らが、本物の命を賭して戦わなければならない残酷さを、【リベンジャー】となった彼女たちの選択と今後を―――――――――――――――、
今年で、実に101歳となる青年は自身の過去をちょっとだけ思い出し、苦悶するのであった。
三日に一回、更新を目標に・・・。
日々の業務にもよりますが、それでも読んで下さる方に楽しんでもらえるよう頑張るのと、
自分自身、楽しく、無理なく、書いていきたいです。