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時は王宮での殺戮からおよそ2日後。 農民が着る麻の衣服の上下に仮面をつけた男が西部都市トーガンの薄暗いスラム街を歩いていた。
いたるところに動物の死体が横たわり、泥水は浅紫色を帯びている。 むろん、その動物の中には人間もあり、犬猫と同じくらいの数の死体があった。
なぜ、この男がこのような汚いスラム街にいるかというと連絡のため……ということではなくただの散歩である。
普段は任務終了したらすぐに西部都市トーガンと帰るロエだが、久しぶりの大量殺戮をした後の気持ちの高揚から抜けるべくこうして人が見つかりにくいスラム街を散歩しているのである。
散歩してある程度、太陽が傾きだした頃。気持ちもある程度落ち着くことができた。 腐敗臭やら糞尿の匂いが混ざりあったような空気が漂う最底辺のスラムであってもロエにとってはさして重要なことではなかった。
この場所に移動してからずっと遠くからつけている薄い気配がさらに接近していることにロエは気づいた。
歩みを止めると薄い気配は警戒しながらも近づいてきた。
「ずいぶん暇なのですね? 任務は完遂致しましたし、情報は皇帝陛下直属隠密部隊 副部隊長エン殿がこうして遊んでいることを考えるとすでに陛下のもとに届いているということなのでしょう」
後ろを振り向かずに声をかけると気配がはっきりしたものに変わっていく。
「ふん、おまえのような者がいると我々の存在意義というものがひどく危ぶまれる。 お前が王族を含む王国の重要人物殺しは完遂したとすでに陛下のもとに届いている頃だろう。 おそらく、3日以内に帝国に対抗していた国が一つ減る」
「隠密の癖におしゃべりが過ぎると陛下直属隠密部隊 副部隊長エン殿は他の隠密部隊の方から言われたことはないのですか」
ロエの後ろには全身黒一色の服装に顔は布で半分隠した身長170㎝前後の女が頭に手を当て半ばあきれながら立っていた。
「お前のような化物が人の心配をするとは私はついに耳までダメになったらしい」
「いえいえ、隠密部隊 副部隊長エン殿の耳も隠密としての気配操作術もパァーフェクトなので心配いりませんよ」
「そうか、ひとりで一国を崩壊させる化物にそのように言われるとなかなかどうして捨てたものではないようだな」
「まったく、副部隊長エン殿はひどいですね。 人を化物だなんて傷ついちゃいますよ」
仮面の上から涙を拭う真似をするロエ。
それをスルーしたエンは懐からA4用紙くらいの羊紙を取出しロエに投げ渡す。
「どうでもいい話はここまでだ。 次の任務についてはその羊紙を見ろ」
「わかりましたエン殿……あぁ、消す肩書きがもう残ってない。 なんか他に肩書きないんですか?」
「どうでもいい。 伝言は伝えたぞ」
最後に頭痛に耐えるように片手を額に当てていたエンは音もなく消えた。
一人残されたロエは紙を広げて内容を確認し懐にしまい、再び歩を進める。
次に目指す場所は帝国よりはるか遠くにあるゲンゼルダンという王も皇帝もいないという蛮族の国である。
「楽しみですね、次は殺さない時間が多めですね」
ロエは独り言をつぶやきつつ音もなくその場から消えた。
一方その頃、帝国中心部ハーブンの城では皇帝と将軍が隠密部隊長より報告を聞いていた。
「ただいま、敵国襲撃が完了したとの連絡が入りました」
「ほう、ロエ様がやると聞いたときは驚きで瞼をしばらく塞ぐのを忘れるほどだったが……さすがとしか言えんの」
今年で76歳になる将軍リンマはその皺の目立つ顔を驚きに染めていた。
「ふん、先代からの命令だからこれまで使ってやっていたっが。 なるほど、一芸も持たぬ道化にも特技はあったということか」
今年で25になる皇帝ゲボスはあまり整っているとは言えない顔を歪ませて笑う。 それと同時にスイカのように膨らんだお腹が揺れる。
「陛下! お言葉ではありますが、ロエ様は先代の皇帝陛下より重宝されていたお方でありますぞ」
「それがどうした? 昔は知らんが今はただの無駄飯ぐらいであったことには変わらんし、それに現皇帝は我である」
自分の言いたいことを言い終わると皇帝ゲボスは席を立つ。
「陛下どちらに?」
「リンマよ、おまえにすべて任せる。 我は用事があるのでな」
重い足音を鳴らしながら皇帝は女を囲いに目的地に向かう。
足音が遠くなると将軍リンマはため息をつきつつ作戦道理に行動しているであろう西部都市トーガンの情報を隠密部隊長から聞き空を仰ぐ。
いまはまだこの国は何とか作動している。 しかし、現皇帝はロエを軽視している。
このことがやがて彼がこの国に牙をむけることにならないように願いながら老体に鞭をうって執行室へと向かうのであった。