9【増殖】
祐一郎は汐里のパソコン画面を一心に見つめていた。
本当に、これらは汐里の自作自演なのだろうか……僅かながらに祐一郎に疑問が沸き起こる。
自分の知らぬ間に他人となって自分にメールを送る。しかもその相手は三人もいるのだ。そんな事がありえるのだろうか……
しかし四人が同じアドレスで、こうも問題なくメールのやり取りができるはずが無い。ありえない。
設定によって同じアドレスを複数のパソコンで使用する事は確かにできる。しかし、そんな事をしたら、送信してサーバーに置かれたメールは宛名を無視して、次に最初に繋いだ人のパソコンに入ってしまう。
それこそ、送った本人に帰ってくる場合もある為、合理的とは思えない。
「ううんん……」
汐里が僅かに身体を動かしたのを見て、彼はパソコンの電源を落とした。
* * *
「そうか……そんなややこしいことを彼女は無意識に……」
受話器から聞こえる孝作の声が言った。
「無意識でそんな事するのかな」
「ありえない事じゃないさ」
電話の向こうが一瞬沈黙した。
「彼女は、時々性格が変わったりしないかい?」
「特に……少なくとも俺の前では。ただ、今はメールに対して異常に脅える程度かな」
「人が変わったように?」
「いや、そこまでじゃないと思うけど」
祐一郎はそう応えてから不安が広がった。
「やっぱり、病気なのかな?」
「まだ判らないけど、多重人格障害の可能性もあるな」
「多重人格?」
「正確には解離性同一性障害……それなら、他の人格が行動している間の記憶が無いのは辻褄が合う」
いくら辻褄が合っても、祐一郎にはショックな事には変わりなかった。
「じゃあ、汐里の中には他に三人の人格がいると?」
「いや、そうとも言えないな。もうひとりの人格が三人を演じている可能性もある」
「もう一人が三人を?」
本当の人格でもない者がそんな複雑な行為をするのか? 何だか気味が悪い……祐一郎は孝作の話を聞いて正直そう思った。
「治るの?」
「難しい場合もあるが、きちんと治療すれば治る場合も多い。さり気なく病院の受診を進めてみたらどうだろうか」
孝作が優しい口調で言った。
「精神科に行けなんて言えないよ」
「ま、俺は電話でしかアドバイスできないから、いざとなったら覚悟を決めて言ってみるんだな。それが彼女の為でもある」
多重人格障害……? 汐里が? 普段はそんな素振りは全くない。しかし、同じアドレスでメールをやり取りしてる以上、意識的、無意識的にしろ彼女が受けたメールは彼女が配信したものに違いない。
いくら他の要因を探しても、彼はそれを見つけ出す事はできなかった。
ここ数日おとなしいのが救いだった。このまま何事もなければ、彼女はもう自分宛にメールを書くことも無いかもしれない。
その夜、祐一郎はそんな事を考えながら、何時の間にか眠りに引き込まれていった。
しかし、深夜遅く祐一郎の携帯が鳴った。
彼は半ば寝ぼけたまま電話を手にした。
「祐一郎くん、大変なの。あたしどうしたらいいのか……」
その電話の相手が誰からなのかは、声で直ぐに判った。
「汐里か? どうしたんだ?」
「メールが、メールを送ってくる相手が増えてるの」
「えっ?」
祐一郎はまだ半分寝ぼけていた為、彼女の言っている意味が理解できなかった。
「どうしよう。どうして知らない娘が増えてるの?」
「ちょっ、ちょっと待って。どう言う事?」
彼はここでようやく眠気を振り払って、上半身を起こした。
「さっきメールチェックをしたら、知らない娘から……マリたちの言う通りあんたは最低だって……どうして?」
「知らない娘って?」
「だから知らない娘だってば。いままでメールだってやった事のない娘よ」
どういう事だ……ていうか、そんな友達でもない娘からのメールは完全に無視すればいい事だ。しかも、アレだけ中傷メールが来ていたにも関わらず、彼女はわざわざメールチェックをしているのか?
いや、彼女にしてみれば、『メル友』が仲直りのメールを送ってくるのを待っているのかもしれない。
それを、自分自身が出しているとも知らずに……
「大丈夫だよ。そんなわけの解らない娘からのメールは気にしなくていいよ」
「でも……彼女も三人の仲間に加わるって。彼女、きっと元々マリの友達なんだわ」
汐里は息を切らす勢いでまくし立てた。
……そうじゃないんだ。マリはキミ自身なんだ。だから、その友達もキミなんだよ。祐一郎は言葉を飲み込んだ。
「大丈夫だ。電話では詳細も解らないから、明日話そう。明日そのメールを見て考えよう。大丈夫だ、俺が付いてるから」
祐一郎はひとつ息をつくと
「だから、汐里もちゃんと明日学校においでよ」
「うん……」
彼女の声は遠くで小さく聞こえた。
「汐里? 判ったかい? 明日学校で会おう」
「判ったわ。ゴメンね、こんな真夜中に……」
「いや……いいよ。少しは落ち着いたかい?」
「ええ。もう大丈夫よ。おやすみなさい」
「ああ、おやすみ。じゃあ、明日、いやもう今日だね。学校でな」
汐里もクスリと小さく笑ったような気がして、祐一郎も安心した。
彼は、汐里が電話を切るのを確認してから自分の携帯を切った。