2【遥かなる友人】
学校で親しい友人を作らない柊木汐里には密かな楽しみがあった。
家に帰ると真っ先にパソコンの電源を入れて、メールソフトを立ち上げる。昨夜来たメールをもう一度読み反して、丁寧に返事を書く。
学校での出来事、昨日読んだ面白い本やくだらないテレビドラマの事、街ですれ違った気持ち悪い男の事など、どんな話題を書いても、そこには彼女が共感し合える友達がいた。
汐里がメールをやり取りしている相手は三人いるが、三人とも趣味や考え方が似ていて、まるでストレスを感じない。
自分勝手な学校の連中に嫌気をさしていた汐里は、三ヶ月前に知り合った彼女達がいれば、もう学校に友達はいらないと思っていた。
身の回りの出来事や好きなタレントの事まで何でも話し合える友達に、汐里はつい祐一郎の事を書いてしまった。それは決して自慢などではなかった。
直接笑顔を交わし合う身近な友達は、やはり汐里の心を癒してくれた。同じく彼女の心を癒してくれる友人に、その思いを報告したかっただけなのだ。
しかし彼女は、三人の友達と以前交わした約束を忘れてしまっていた。いや、軽視していたのかもしれない。
「学校以外での友達って?」
祐一郎と汐里が一緒に帰るようになってから、二週間が過ぎようとしていた。毎日一緒に帰るわけではないから、祐一郎にとってはあっという間の事だった。
彼の認識する日々は、何時の間にか汐里と一緒の日だけになっていった。その他の時間は在っても無くてもいいようなものだった。
それは、この学校に来て以来、汐里が最初の親しい友達だからなのか、彼女を好きだからなのか、祐一郎自身よく判らなかった。
「えっ?」
「ほら、前に言ってたろ」
「ああ、あれね」
汐里は少し俯く仕草で言いよどんで、表情を曇らせた。
「彼氏……とか?」
祐一郎は今まで訊けないでいた事。そして訊きたかった事を思いきって口に出した。
学校内に親しい友人がいなくても、他に彼氏がいないとも限らない。もしかしたら、それで彼女は『友達』の事を話したがらないのかもしれないと思った。
「えっ」
汐里は俯いた顔を上げると
「ううん、そんなんじゃない。みんな女の子の友達よ」
慌てるような口調でそう言った。
「そうか……」
それを聞いただけで、彼はホッと息をついた。相手が女性なら、それがどんな友達でも自分には関係ないと思った。
しかし、汐里は相変わらず浮かない顔をしている。
「どうかしたの?」
「実は……」
彼女は一度言葉を呑みこんでから、渋々口を開いた。
「実はあたし、メールをしている友達がいるの」
「そうなんだ」
メル友……世間一般にはそう言う友達を持つ連中はゴロゴロいる。それに、最近は携帯電話のメールなら誰だってやっている。
「よその学校の娘?」
祐一郎は軽い気持ちで訊いた。
汐里はコクリと頷くと
「でも、近くじゃないの」
「遠くの?」
彼女が再び頷く。
「一人は宮崎」
「宮崎って、宮崎県?」
「ええ。で、もう一人が名古屋、そしてもう一人が北海道なの」
祐一郎は、一瞬言葉を詰らせた。
確かにメールの友達は住んでいる場所を問わないが、まず会えるチャンスはなさそうな距離だと思った。新潟のこの町から見ると、どれもかなりの遠距離にあたる。
「みんな遠くの人なんだね。三人だけ?」
「ええ、でも最近何だか関係がギクシャクして……」
彼女は再び言葉を呑み込んだように見えた。
「けんかでもしたの?」
メールのみでのやり取りは、文面の些細な取り違いなどで相手に不快感を与えてしまう事もある。表情や感情が直に伝わる直接会話と違って、文章だけの言葉は微妙なニュアンスが伝わり難いのだ。
顔文字や絵文字は、単に画面の装飾だけで無く、そういった感情の表現を補う役割も果たしている。
「言葉に誤解でもあった?」
「ううん、そういうのじゃない……たぶん」
汐里は小さく首を振ると、少し躊躇いながら
「祐一郎くんの事、少しだけ書いたの」
「俺の事?」
「北海道の和実って娘なんだけど、彼女も本が好きで、だから本が好きな男の子と仲良くなったって……それだけなんだけど」
汐里はみるみる顔を青ざめていった。
「彼女、その和実って娘はなんて?」
「メル友以外に友達は要らないって言ったくせに、嘘つきって……」
「そんな……メル友以外に身近な友人がいるのは当たり前だろ」
汐里は再び小さく首を振った。
「あたし、友達を作るのが苦手で、だから本当に親しい友達はいないの。だから雑誌に載っていたメル友募集に応募して」
彼女は恥ずかしそうにそんな話を続けた。
「だから、あたしたち、メール以外の友達を作らないと約束したの」
「あたしたち?」
「彼女も、身の回りに友達がいないみたいだった」
「そうか……だから、和実って娘は身近な友達を作ったキミに嫉妬してるんだ」
祐一郎は納得したものの、その感覚は信じられなかった。
遠くの親より近くの他人。と言うほどに、身近な人との交流は大切だ。もちろん、祐一郎自信、それを言う資格があるとは思えなかったので、口には出さなかったが……
「とにかく、少しの間距離をとってみたらどうだい? その娘だって、悪気があってそんなメールを送ったんじゃないかもしれないし」
「ええ、そうしてみる」
汐里は祐一郎がメール相手の話題に触れた事で、忘れかけていた鬱屈した思いが蘇えったらしく、彼と別れると、肩を落としたまま去って行った。
祐一郎はちょっぴり申し訳ないような思いで、彼女が最初の角を曲がるまでその後姿を見送った。