1【友達】
残虐シーンなどはありません。ナチュラルホラーなので、肩の力を抜いて読んでいただけると有難いです。
引越し先へ向う自家用車は高速道路を降りるところだった。
全ての荷物は引越し業者の大きなトラックで運ばれる為、旅行にでも出たような身軽さだった。
何の変哲も無い白いミニバンは、家族三人で乗るには充分すぎるほどゆったりしていた。
父親は鼻歌混じりでハンドルを握り、母親は居眠りをしている。
彼は後部座席を独り占めして、見慣れない長閑な外の風景を眺めながら、i-Podで自分の気に入った音楽に聴き入っていた。
カーナビが目的地に向う為の高速の出口を、音声と画面で指示していた。父親はチラリとナビの画面をみて、再び鼻歌を奏でる。
ラジオに切り替えているカーオーディオからは昼のニュースが流れていた。
『昨夜、千葉県松戸市に住む○○さんの長男○○さんが自室で死んでいるのが家族によって発見されました。遺体に外傷はなく、部屋に何者かが侵入した形跡もないとの事で、死因を解明すると共に事件事故、両面での捜査が進められる模様です。尚、似たような事件が今年に入って各地で数件起きており、それらの関連性を追うと共に………』
それは、数ある事件や事故のニュースとして、ただ聞き流されるだけに過ぎなかった。
* * * *
低い建物ばかりが目立つ町並みは、三方向から交わる高速道路に囲まれ、上空を覆いつくす水色の空は日本海に続いていた。
望月祐一郎は高校二年生。この春この地に転校して来たが、クラスに溶け込むタイミングを外してしまい、親しい友人を作る事に失敗した。
元々一人が苦にならない祐一郎は、ついそのまま時を過ごしてしまい、もう衣替えも終えた初夏だと言うのに、休みの日に遊ぶような仲間もいなかった。
彼は週に三回ほど学校の図書室へ出入りしている。ほとんど一日おきだ。
本の好きな祐一郎は、以前の学校よりもかなり充実したこの学校の図書室を気に入っていた。
生徒数も少ない地方の学校図書館に、どうしてこんなに多くの書籍が揃えてあるのか疑問さえ沸き起こる。
その日の放課後も、本を返すついでに何か借りようと図書室へ立ち寄った。
普通の教室を三つ繋げた大きさの室内には、天井に届きそうな高さの本棚が窓に対して直角方向にずらりと並べられている。
出入り口は一つしかなく、その近くに大きな整理棚を背にした受付カウンターが在る。
受付前の少し広いスペースには小さな丸テーブルと椅子が二組在った。
最初の本棚には図鑑や絵本が並んでいて、その陰に本格的な読書スペースが設けてあり、大きな長テーブルと複数の椅子が並んでいる。しかし、誰かの姿を見た事はほとんど無い。
その向こうには、奥までびっしりと本棚が並び、整理中の書籍は通路に無造作に積み重ねてある。
祐一郎は奥のハードカバーや文庫の棚をゆっくりと見て周り、気になる本を手に取ってゆく。
そして、何時もより緊張した趣で受付に足を運んだ。
どうして彼が緊張していたかというと、今日こそは声を掛けようと心に決めている娘がそこにいたからだ。
いつも視線を下げて読書をしている彼女は、何かの時も必要最低限しか顔を上げない。
「キミ……」
祐一郎が差し出した本から図書カードを抜き取っていた彼女は、その声に反応すると、肩に着かない黒い髪を耳にかける仕草で視線を上げた。
「キミ、何時もここに居るけど、他に図書委員っていないの?」
それは、何時もカウンターで受付をしている娘に向けて言ったものだ。
図書委員は普通交代で当番をこなすはずなのに、彼女は何時来てもその場所にいるのだ。ずいぶん前から何度も問いかけようと思いながら、今日やっと声を掛けた。
もちろん、視線をまともに交わすのも初めてだ。
「あたしが当番じゃ、不満?」
彼女はちょっとだけ笑みを浮かべて言った。
「いや、そう言うわけじゃ」
祐一郎は、初めて声をかける話題をそれにしただけで、彼女の仕事ぶりを問うものではなかった。
しかし、彼女は別に気分を害した様子は無く、再び視線を図書カードに向けると
「他にもいるけど、みんなあたしに押し付けるの……」
「そりゃひどいな。先生に相談してみれば?」
「ううん、いいの。あたし本好きだし。本の匂いに囲まれてると、何だか落ち着くから」
彼女はそう言いながら、もう一度顔を上げると
「あなたも本が好きなのね」
何時も彼女が当番だから、祐一郎が頻繁にここへ来る事は当然知られている。
「まあ、そうだけど」
「あなた、春に三組に転校して来たんでしょ。友達いないの?」
彼女の率直な質問に、祐一郎は頬を紅くした。
「別に、友達なんていなくたって平気さ。キミだって、親しい友達がいるようには見えないけど」
彼女が誰かと話している姿を、祐一郎は見たことがない。それは時々廊下で見かけるときも含めてだった。
「友達ならいるわ。学校の友達じゃないけどね」
「へぇ、どんな?」
彼女は再び落ちた髪の毛を耳にかけながら
「そんなの内緒よ」
傍目の印象よりも、ずっと明るく笑う娘だった。髪の毛を耳にかける仕草が癖らしい。
それ以来、祐一郎は彼女と頻繁に会話を交わすようになった。
今までも週に3回は来ていたのだから、いくらでも顔を合わせられるし、それを不自然とは思わなかった。
彼女の名前は柊木汐里。同じ二年生で、クラスが一組と言う事は、だいぶ以前から祐一郎は知っていた。
この学校のクラスは二年と三年が四クラス。一年生は三クラスしかなかった。
「川崎って、どんなところ?」
「そうだなぁ、工場が多いかな。住宅街は意外と閑静だけど……暴走族が多いかな」
「バイクの?」
「ああ」
「あたし、テレビでしか見たこと無いわ」
汐里は少しだけ楽しそうに笑うと
「でも、人はイッパイいるんでしょ」
「そうでも……まあ、ここに比べたらそうかな」
彼は、低い町並みを見渡すようにして言った。一瞬、東京との人口を比べてしまったが、そんな事はここでは無意味だと思った。
図書館の閉館間際までいた祐一郎が外へでると、梅雨時期特有の細い雨に景色は滲んでいた。
昇降口のひさしの下に立っていた彼に、後から汐里が声を掛けたのだ。
「傘、入っていく?」
傘にあたる静かな雨音が二人の耳に響き渡るほど、あたりは沈黙した情景に包まれていた。雨による湿気に、何時もは感じない汐里の香気が漂って、祐一郎の嗅覚をほのかに刺激する。
その日から祐一郎と汐里は、一緒に帰るようになっていた。
でもそれは祐一郎が図書室に立ち寄る日に限る事で、何を借りていくか迷っているふりをして四時半の閉館までいるのだ。
彼女を誘うためだけに図書室へ訪れる勇気は、祐一郎には無かった。
白い肌がしおらしいほどに清楚なイメージを際立たせる汐里だったが、制服のスカートは人並みに短かった。
彼女は自転車通学だったので、途中まで二人乗りをしたりして時折お巡りさんに捕まったりする事もあったが、彼にとってはそれも楽しいひと時だった。