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chapter1 人生最大級の事件






――神官殿が見ちゃったんだってさ、白と黒の化け物を。













 空はやたらと澄んでいた。

冷たい風は意地悪くびゅうびゅう吹くし、息を吐けば、ばかみたいに白い息が出る。

朝日は弱々しくて、影もおぼろだ。

 この島、フューネアル島は四季がはっきりしていて、秋の次にはゲンキンな感じで冬が来る。


フューネアル島の民はむかしから伝統を大切にし、島を愛してきた。

――とかなんとかこの島のことを紹介されてるのを、どっかの図鑑で見たことがある。

けどさ、今時そうやって島の民って(ひと)(くく)りにしないでほしいよ。だってぼくは伝統なんかどうだっていいし、こんな何の変哲もない島になんか、執着はないんだから。

ぼくはもうじきこの島を出る。

それはまだ決まってないんだけど、学校の先生たちが確実だっていってるんだから、ほとんど決定事項なんだ。

本州に5つある国立上級学校(略して国学)へ行く生徒には、国からの援助金が出る。援助が出るって事はそれなりに難しい試験も受けなくちゃならない。でも都合がいいことに、ぼくは勉強が得意だった。

ぼくみたいな受験生たちは、島の援助で1年前から特別学級(略して特級)っていう施設に通う。施設っていっても島役所のなかの部屋を使ってるだけなんだけどね。


この国は多数の島から成り、当然本州に首都がある。その国学に生徒が送られるのはかなり名誉なことだから、特別学級には島一番の教師達がつく。この教師に選ばれることも、島では相当に名誉なことなんだ。もちろん受験生になることも。

島役所への道は、すなわち国学へつづく道。家から遠いのにはうんざりするけれど、あと何ヶ月かの辛抱だ。

「おはようティオン。今日も寒いな」

いきなり呼びかけられて、ぼくはびくっと肩を揺らす。ぼくは動揺したのを隠しながら、つとめて朗らかに笑みを作ってから振り向く。相手は声でわかる。

「おはよう、ライ」

ライはぼくと同じ、国学の受験生だ。

「いつもこの場所で会うな」

 ライはにっこりと、知性溢れる笑顔で言った。ぼくらは毎朝のように、島役所の前の噴水の広場で挨拶をする。お互いの家は反対方向にあるから、ここではじめて会うのだ。

「家が遠いからって余裕もって出発して、必要以上に早く着いちゃうんだよな」

 ぼくは困った笑顔にして言った。

ライとはプライベートではあまり関わらないけれど、ぼくらはそれなりに話が合ったし、彼みたいな優等生と話すのは嫌いじゃなかった。ライはみんなの憧れだ。

まず成績は一番だし、スポーツ万能で、顔もいいし、品行方正で、島警察の幹部の息子だから裕福だし。とにかく例を挙げるのにも時間を食うくらいの完成品なんだ。ほんとに同じ14歳かよ。

「俺もそうなんだ。はは、実は似たもの同士なのかもな」

ライの声は上から降ってくるから、ぼくは見上げないように注意して一緒に笑った。 

彼は雲の上の人だから、ぼくも素直に憧れているけれど、ライの背が平均よりもかなり高いってことには閉口した。こればっかりは不公平ってもんだ。ちょっとくらい分けてほしいよ。

ぼくらはそのまま他愛もない話をしながら歩いた。けれど島役所の前に来たとき、その話題は回ってきた。

「ティオン、もしかしてもう知ってるかもしれないけど」

ライは前置きして言った。ぼくは先を促す。

「フューネ小神殿が、何者かに壊されたらしい」

 その瞬間、ぼくは目を見張って固まった。町の騒音が、一気に遠くなった気がした。  


◆ ◆ ◆ ◆


 特に思うところも無いこの島の中で、神殿には唯一、大切なものがあったんだ。

もう授業どころではなかった。一刻も早く現場に行きたかった。

そういうわけで今日のぼくは、典型的な劣等性になってしまった。上の空で先生に注意されて、みんなに笑われるっていう貴重な経験もした。

終了の鐘とともに、ぼくは教室を飛び出した。島役所の中をバタバタと駆け、かばんは走りながら閉める。

特級は、平日午後七時まで開講している。外はもうどっぷり夜だった。

今日は大通りが込んでいたので、人ごみをすりぬけて、電灯の光も届かないような狭い通路を通って急ぐ。

出発しかけたバスに滑り込んで、停留所で扉が開いたら、サラブレットの出走みたいに走り出した。

 石畳の道を駆け抜けて、ぼくは町のはずれの小山に向かってもう一度走り出す。


「着いた」

ぼくは膝に手を置いて、ぜいぜい息をした。あれから長い階段を上がって、小山の頂上に登ったんだ。真冬なのに汗をかいた。コートはとっくに途中で脱いで、腕に引っ掛けていた。 

呼吸を整えて、暗い低木の群れを過ぎて、件の神殿に歩を進める。

目を疑うって言うのはこういうことっだったんだ。

多くのライトに照らされた光景は、まさに瓦礫の山だった。白い岩を積み上げて造った小さな神殿は、あちこち欠けて、天井も滑り落ちていた。島の反対の大神殿と対になる神殿は、その面影を残してはいない。警察と役人と、何人かの見物人がいた。

ぼくは息を呑んで、神殿の裏手に回った。

漆黒の闇を、持ってきた懐中電灯で照らしだす。

「うそだ…」

ぼくは愕然とした。そこにあるはずの石像の姿はなかった。石台だったものもバラバラになり、あたりには神殿と同じ白い石片が散乱している。

でも石像が壊れたにしては、石片の量が少ないのに気がついてしまった。とたんにある考えにいきつく。

「フューイの像は盗まれたんだ…」

 ぼくはその像が大好きで、よく会いに来ていた。美術の課題ではモデルにしたし、何かいやなことがあると、真っ先に此処へ来た。そのフューイの像を見ていると、心が静まって、またがんばろうって気になるから…。

「なんで…」

ぼくは神殿のほうに走り出した。そしてしゃがみこんで何か調べている役人らしき人に声をかける。

「なにか、わかった事はありますか!?」

役人らしき人はこちらを向き、『いや』と短く答えてまた作業に戻ってしまった。

 ぼくはもうどうしようもなくて、もういちどフューイの像のあった場所に戻った。

 フューイの像は神殿と一緒に建てられた古い女神像で、とっても綺麗だったんだ。

本州にいったあとでも、帰省の折には絶対に訪れようと思っていた。それくらい魅せられていたんだ。ほんとに不思議なくらいにさ。

 でも、壊されたって決まったわけじゃないのが、唯一の救いだった。

「還ってくるといいな…」

そう願って、ぼくはそのまま帰るしかなかった。


◆ ◆ ◆ ◆


「ティオン、ティオンってば」

 後ろの席のシェナンが鉛筆でつつく。ぼくはバッと立ち上がった。教室中でくすくすと笑い声がもれる。定期試験のテスト返しで、ぼくの番がまわってきたらしいんだけど、ぼくは上の空だった。

「どうしたの、昨日から様子が変よ?」

親切なシェナンに曖昧に笑いかけて、ぼくは教卓に向かった。

フューイ像のことばかり考えてたなんて、とても言えないよ。いまどき信心深い子供も多くはないし、身の回りに直接関わらないことに心を傾けすぎるのは、変人の特徴ってのがぼくらの常識。それから外れたら、気味悪がられてしまうだろうし。

「ティオン・ガーテスティ、よく頑張りましたね」

数学のハクトン先生が、解答用紙を渡しながらほめてくれた。見れば、前回よりずっといい点だった。ぼくは急に誇らしくなって、でもできるだけ平静を装って席に着いた。

そんなことをぼくは、次の時間もその次の時間も繰り返さなきゃならなかった。要するに、今回の試験は大健闘だったんだ。おかげで鬱々とした気分はだいぶマシになっていった。


「ティオン、放課後暇か?」

隣のクラスのライが声をかけてきた。特級は2クラスある。

「オレは別に暇だけど…」

ぼくは一人称を、きちんと‘オレ‘に直してして答えた。‘ぼく‘はガキっぽいって、昔からかわれたことがあるからだ。

放課後ぼくらが遊ぶなんて初めてだった。ただでさえ特級のメンバーはライバル同士。みんなさすがに表には出さないけれど、お互いに壁を作りがちだ。それは競争心をあおる教育をされているからか、人間関係にも多少は影をおとしているらしい。

そんな中ぼくらは国学行きが確実とされているし、誰といがみ合う必要もない。けれど放課後にこうやってつるんだ事もなかったから、なんだか変な感じがした。でもうれしかった。島役場に通い始めてから3ヵ月が経つ。まともな友達をつくるなんて半ばあきらめていたところだったから、よけいに気持ちが明るくなった。

そうだ、成績上位者ならすこし余裕があるだろうし、ちゃんと踏み込んだ会話でもしてみようかな。受験が終わったら、同じ学校の生徒になるかもしれないんだし、わりとすんなり親しくなれるやつも、結構いるかもしない。

「なぁ、ティオンの家に行ってもいいか?」

ライはいつもの笑顔で言った。

「ああ、別にいいけど遠いよ?」

「別に構わないよ。まだ早いし」

今日はクインの日で、授業はいつもより早く終わって2時までだった。一週間はソイルから始まってコイル、ツァール、ネルル、ノエル、クイン、ニフルの順でめぐる。 

島学校のやつらはクインの日も休みで、一般的休日のニフルとあわせて2連休になるんだ。ぼくらのは1・5連休ってかんじかな。しかもあと半年くらいで、休日返上っていう恐ろしいハードルが待っている。ただでさえ朝7時から半日、完全拘束されてるのに、ほんと嫌になっちゃうよ。


「ティオン()ってパン屋だったんだな」

ぼくの家の前で、ライがつぶやいた。看板は『ガーテスティ・ベーカリー』とか芸のない店名を世間に知らせている。

 島役所からここまではバスと徒歩、合わせて1時間半かかる。ぼくの家の地域は階段の多い造りで、狭い路地も迷路みたいに入り組んでいるからバスも通っていない。ライの家は、役所を挟んでぼくの家の反対側で、通学時間は約40分。帰るのが大変じゃないのかな、と今更ながら、時計を見つつ思った。


「あらおかえりー!」

母さんが、ばかでかい声でカウンターから言った。そんな声を出す必要があるほど離れてなんかいないのに、恥ずかしいな。

夕時まで、まだ時間があるからか店は暇だった。父さんはたぶん奥でパンを焼いている。

「お友達連れてきたの?」

「特級のやつ」

すると母さんは‘あら‘を何回もくり返した。ぼくはそっぽをむいた。

「素敵なお友達ねぇ!ティオンったら学校変わってから友達の事ぜんぜん話さないから、友達が出来てないんじゃないかって心配してたのよ。ほらこの子、変にこまっしゃくれてるからさ、むかしっから難しくてねぇ。ほんと仲良くしてやってね」

ぼくは母さんをにらんだ。母さんは必要以上に話すから、裏口からこっそり入りたかったんだけど、そうすると後でオニババアになる。

昨日は帰りが遅くなって怒り狂ったあとだから、余計にひどい事になるだろう。普段でも、母さんのいない方から入ると小言クソババアになる。我が家の方針に従えって怒鳴ってさ。

「ええ、もちろん」

ライはきれいな笑みをして会釈した。

もうそれだけで充分だった。母さんはライにノックアウト、いちころって感じだった。目がすでにハートマークになっている。ぼくは顔をひきつらせた。するとライの奴は、満足げにニコッと笑って見せたんだ。


2階の部屋にあがって、ぼくは乱暴な仕草でベットにかばんとコートを放った。

「今回の試験良かったんだって?」

ライがベットに方向転換した椅子に座りながら言った。彼の皮製の上等なバックは、ぼくの机にきちんと置かれる。コートはその横に、礼儀正しくたたまれている。

「なんで?」

ぼくはちょっとぶっきらぼうに言った。一階の最悪な空気が抜け切っていなかったからさ。

「そういう噂はすぐにまわってくるよ。俺らにとっては一番の関心事だろ」

「そっか」

まぁ、納得だな。

「お前、俺のいっこ下だって」

「はぁ!?」

聞いて、ぼくは目をまるくした。順位が出るのは答案が出てからもうちょっと後のはずだ。本人も知らないような情報なんか、誰がいつ集めて発信しているんだろう。なんていうか、水面下の競り合いの激しさが伺われる現象だ。

「てことは2位!?」

ぼくはちょっと遅れてそのことに反応した。ライもいまの間を不審に思ったようだが、それを空気に出したのはほんの一瞬で、すぐに苦笑に直した。細かいところまでアカラサマでないのは流石だ。

まぁそれは置いといて、

「オレってすげー」

順位のこと、自画自賛してしまう。

前回は80人中7位だった。だいたい15位くらいが、合格者のボーダーライン。特級で切磋琢磨する中、順位を上げるのはかなり大変なことなんだ。

「なにか特別なことでもしたのか?」

ライは足を組んだ。

「いや別にこれといって」

正直に答えた。するとライは模範的な笑みをうかべる。

「ふぅん。セオリー通りの優等生の答えだな」

ぼくはドキッとした。なんだかライの瞳の中に険があるような気がした。なんとなくだから自信ないけど。

もしかして、嘘をついたとでも思われたのだろうか。でもほんとう、いままでどおり普通に授業を受けて、勉強時間だって増やした覚えは無い。これ以上なんて答えればいいんだろう。 

あれ、待てよ、ていうかその前に、そんなこと責められるいわれなんかないよ。

第一ライ本人が、どうあがいても誰も敵わないような天才タイプだって地元でも有名だったらしいから、ぼくがガリ勉していようがいまいが気にすることでもないんじゃないかな。やっぱ気のせいか。

困惑しているぼくを見てライは、

「俺、そう答えて失敗したことがある」

と言って頭の後ろで腕も組み、そのまま椅子に軽くのけぞった。

 ああそうか。たぶんライは、さっきのぼくみたいに答えて、嫌な空気を向けられたことがあるんだ。それで何か思い出したんだろうな。きっとそうだ。

  

「ライ、小神殿のことなんだけど」

そう言っただけで、ライは欲しい答えをくれた。

「犯人の目星は付いてないらしい」

ライの父は警察関係者だ。だから何か情報が得られるかなって思ったんだけど、聞かなきゃ良かったな。

「そっか」

ぼくは肩を落とした。もう話題を変えよう。

「ライは、家族そろって本州に行くんだよな」

ライの父は今年度で島警察の任期が切れて、来年度に家族そろって本州で新生活をはじめるってことだった。年度始めは9の月だから初秋だな。

「ティオンは寮住まい?」

「ああ、なんかせいせいする」

そしたらやっと小言から開放されるんだ。待ち遠しいくらいだよ。

「ふぅん。不安はないのか?見知らぬ土地で、勉強も大変でさ、しかもハイレベルなライバルたちに囲まれて」

「別に。行ったら行ったでなんとかなるんじゃねぇ?ていうか、それならライも同じだろ」

「まぁ、そうだな」

「それに地方出身のやつなんて、ほとんどは寮だし。みんなができるならオレにもできるよ」

ライは軽く目を見開いた。

「ティオンって、強いんだな」

「そう、なのか」

よく分からないけど、ほめられてしまった。別に、特別な事なんか言ったつもりはなかったんだけどな。でもまぁ、悪い気はしないからさ、素直に喜んどこう。

妙に照れてしまってぼくはライの方を向いていられなくなった。あさってを向こうとすると、

「ティオン、言い忘れたことがあるんだ」

ライの声に止められた。

「何?」

「小神殿な、実は不審な点があるらしい」

ぼくは突然真顔になって迫った。ライは引いているが、気にしてなどいられない。

「変な話なんだけど、まぁ、落ち着け、くだらないって笑うような事だから言い忘れてたんだ」

「早く言え」

ぼくはさらに迫った。もう鼻先がくっつきそうな距離だった。だからライはぼくの両肩を押しやる。ぼくはそれでもまだ迫ろうとする。

「わかった、離れたら言う」

すんなり離れてやった。ライはため息をもらす。

「どうやら神殿の破損部に、歯形らしきものがあったそうだ」

ぼくは口を空けたまま固まってしまった。

「なにそれ」

「な?おかしいだろ」

「なんだそれ」

「どうした、笑えよ」

「見に行く」

「は?」

ライは目を見開く。

「何しに行くんだよ」

「だから、見に行くっつってんだよ」

「まさか、今からか?」

ぼくはうなずいた。

「ここからだって、近くないだろ。俺はさすがに行けないよ」

「1人で行く」

ライは面食らって何か叫んだ。でもぼくはライの言葉も聞かず、ベットのかばんとコートをわし掴み、そのまま階段を滑るように降りた。裏口を通ろうとするが、急ブレーキして店先へ行く。上からまたライの声が聞こえたが、耳を通過してしまう。

「母さん、ライの接待して!!」

カウンターの母さんに捨て台詞。

「は!?」

母さんがその後なんて言ったのかはわからない。ぼくはすでに通りを走り、バス停を目指していた。



時計を見るともう5時近い。ぼくはまた、ぜいぜい息を切らしながら町はずれの小神殿に来ていた。

冬は日の沈むのが早くて、太陽は西の山々にさしかかっている。南には遠くまで広がる街並み。その先の入り江、輝く海原。島全体はオレンジ色に染まっていた。

島の中心ではアングルード大山がきれいなような、不気味なようなたたずまいで全てを見渡していた。

 ぼくは小神殿のほうへ歩く。人影はない。太い紐で張り巡らされて『立ち入り禁止』の看板がいくつか吊るされていた。

 小神殿は本当にこぢんまりとした神殿で、もともと神官は住んでいない。この小山のふもとに交代で住んで、管理の必要からひとりふたり見回りに来るだけだった。これからはどうなるんだろう。

 さまざまな検証は、もうなされた後のようだ。文化財として重要なものだろうから、下手にさっさと撤去もできず、とりあえず立ち入り禁止にしている、といったところか。

 ぼくは躊躇せず、紐をくぐり中に入った。

 どうしてもいま、来なくちゃいけない気がしたんだ。この目で確かめたら、もしかして何か分かるんじゃないかって思ったから。

ぼくは何かの専門家ってわけじゃないけど、こればっかりは人任せにするなんて、とてもじゃないけどできなかった。

 ぼくは手当たりしだい、瓦礫を見て回る。けれどおかしな点なんてどこにもない。

「歯形ってなんだろう」

きっと、そう見えるなにかがあるはずだ。

と、そのときぼくは妙な音を聞いた。

じっと息を殺して、神経を集中する。なにか、ゴリゴリという、硬いものがこすれるような音だ。かすかな音。

 心臓が早鐘を打つ。冷や汗がつうっと頬を伝う。逃げ出したほうがいいのだろうか。

いや、ここまできて、まだ何もわかっていないじゃないか。腹を決めろ、ティオン。

ぼくは唾をのんで、胸のあたりをかるく叩いた。よし、いける。

できるだけ気配を消し、音のするほうに歩み寄った。

 崩れた壁にぴったりと背中を押し付け、その影から、そうっと裏をのぞこうとする。なにかの襲撃に備え、しっかりと構えて、しかし逃げの構えも同時にして、裏を、そうっと見た。


「う…」

 ぼくは目をひくつかせた。思いっきり力が抜けた。

なんの事はない。少なくとも想像していたよりもずっと。

そこには小汚い茶色いフードを被った女の子が、壁に背を向けてしゃがんでいた。両手には神殿の白いかけら。たぶんすり合わせてゴリゴリやっていたのだ。

力いっぱい警戒してこれだ。ぼくは変な気恥ずかしさから妙にむかついてきた。

むっとした表情で女の子を見下ろす。顔はフードに隠れているけれど、袖から見える手首とか指の感じがどう見ても女の子のそれで、背格好から考えてぼくとそう変わらない年頃のようだ。

そんなやつが、こんなところで一体なにやってんだよ。人のこと、驚かせやがって。

勝手にビビってたってのはこのさい置いといて、ほんとに腹が立ってきた。

「おい」

ぼくはかなり不機嫌な声で呼びかけた。女の子の肩がびくっと揺れる。

「あ、おい!」

少女は突如走り出そうとした。驚いて、ぼくはとっさに彼女のフードを掴んだ。

反動でくいっと一瞬彼女の首が絞まり、女の子はかるくのけぞって、しりもちをついてしまった。

「え…」

 いきなり目に飛び込んだのは彼女の真っ白な髪だった。

不揃いなおかっぱは、まぎれもなく純白。こんな髪の色は見たことがない。女の子はぼくに背を向け、うつむいたままだった。

「あ」

ぼくは面食らったまま掴みっぱなしのフードを見た。かなり強くひっぱってしまったから、首、痛いんじゃないかな。悪いことしたな。

気が動転して、ぱっと手を離す。けれど彼女は逃げなかった。

「…ィオン…」

女の子はちいさな声でつぶやいた。なんだ、いまのは。

なにかの聞き間違いかとおもったけれど、その声は今度こそはっきりと聞こえた。

「ティオン…」

ぼくは後ずさった。

「ティオン…」

女の子はその言葉しか知らないみたいにくり返した。ぼくは何が何だかわからなくて、動くことさえできない。

そうこうしているうちに、彼女はゆっくりとこちらを向いた。

「あ…」

ぼくはさらに後ろへ引いた。

女の子は、作り物みたいにきれいな顔をしていたんだ。

肌は象牙くらい白くて陶器のように滑らか。切れ長の大きな瞳は、深い森を思わせる澄んだ濃いグリーン。すっと通った高い鼻に、うすく色づいたちいさな唇。

 どこまでも整っていて、髪の色と合わせると天使をおもわせた。

あれ、待てよ、てことは…。

「もしかしてぼくは、知らないうちに死んじゃったのか?」

突拍子もないことを口走って、とっさに頭を振った。いまのアホらしい発言による反応を見るために、彼女の方を見たけれど、女の子は無表情で首を傾げてみせる。

「ひょっとして、言葉が通じないのか?」

首がさらにかたむく。

「どうしよう」

落ち着け。思うにこれって人生最大の事件になるかもしれないんだぞ。

廃墟となった神殿、謎の少女。おそらくは異邦人だ。小汚くてボロいフードのコート一枚を着て、隠れるようにうずくまっていた綺麗な女の子。

「もしかして、人身売買でもあったのか?おまえ、そこから逃げてきたんじゃないのか?」

やはり少女は表情を変えず、大きな目をぱちくりするだけだった。

「ティオン」

そうだ、大事なポイントを忘れてた。なんでこいつ、ぼくの名前を知ってるんだろ。しかもぼくの顔も見ずに呼んできたし。

「なあ、おまえは誰なんだ?」

だめモトで聞いてみたけどやっぱりだめだった。

ぼくは自分を指差して。

「ティオン」

と言う。そして少女を指差した。もう一度同じ動作をして、再度彼女を指差す。

 すると女の子は軽く目を見開きはっとして、

「フューイ」

とだけ言った。

「はぁ?!」

ぼくは表情筋をフルに使って『なに言ってんの』という顔をした。すると彼女はぼくを指差し、

「ティオン」

それから自分を指して、

「フューイ」

と言った。ああそうか、そうきたか。まぁ、ちゃんと考えれば想像もつくよな。これだけ綺麗だったら、親にしたって娘に女神の名まえくらい付けたくなっちゃうか。しかしまぁ、マニアックだな。なんだってこんな地方の島の女神の名まえなんか付けるんだよ。なんかの神話の本でも読んで、知ったとかなら納得いくけど。

「じゃあフューイ、おまえ、ここで何してたんだ?」

またもやフューイは目をぱちくりさせた。ああもう、めんどくさいな。ぼくは神殿の白いかけらを拾い、フューイにそれを手渡して指差した。つぎに彼女を見る。

「なにしてたんだ」

フューイは聞いていないのか、じいっとその石を見ている。

すると何もいわず、彼女は石に顔を近づけていき…。

「え」

そのまま。

口をあけて。

かぶりついたんだ。

「う、うお」

フューイは石を、パンみたいにほおばってゴリゴリやっている。

食っている。さっきの音の正体はこれだ。

ぼくは腰が抜けてしりもちをつき、そのままの姿勢でカサカサと後ずさる。

「お、おおおお、お、これは、な、なな、うおお」

大混乱して口をパクパクさせる。たぶん顔は真っ青だ。

怖い。

けれど目が離せない。

ゴリゴリ…ゴリゴリ…

ぼくの頭もかじったら、あんな音がするのかな。と思った瞬間、恐怖が頂点に達した。本能が逃げろと言っている。けれど背中を向けたら追いかけてきそうだ。

身動きが取れない。けれどこのままじゃ…。

「ティオン」

「よ、呼ぶなぁ!!」

ぼくは涙目になって叫んだ。なんだっていうんだよ。なんでぼくのこと知ってるんだよ。なんで石食うんだよ。わけわかんないよ。

「ティオン…」

ぼくの訴えをよそに、フューイはまた呼んだ。

「黙れよ!!だいたい…」

言葉は途中までで途切れた。フューイが、うすく微笑んでから、どういうつもりか突然歌い始めたからだ。

「チュメタイクァデニ フクァレタラ 

アッタクァイ オウティニ クァエイマヒョ…」

知ってる、このフレーズ。発音は変だけどこう言っている。『冷たい風に吹かれたら、あったかいお家に帰りましょ』

「なんで…?」

フューイは続ける。

「クァナシィ クィモツィニ ナッタナア…」

悲しい気持ちになったなら。そうだ、僕は続きを知ってる。

「きれいな おはなを さがしましょ」

 ぼくが歌うと、フューイは半分開いた目でぼくを見て、またうすく笑った。

どういうことなんだよ。だって、その歌。

「おまえ、それ、どこで聞いたんだ?」

ガキのころぼくは、よく女神像の前に来て泣きながらその歌を歌っていた。ちょっとバカらしい話なんだけど、悲しいことがあるたびに。

どこかの本で見た詩に、子供特有の自作のメロディーをつけて完成させた歌だ。誰かの前で歌ったことなんかない。

ぼくは立ち上がり、フューイの像のあった台座のほうへ行き、試しにそこを指差してみる。

するとフューイも立ち上がり、ぼくのほうへ来て、ガタガタになったその台座の上に立って微笑んだ。

いったい、なんだっていうんだよ。まさか、おまえがあの女神像だとでもいうのかよ。ありえねぇよ、そんなの。絶対信じるもんか。だいいち姿だって全然ちがうじゃないか。しかも女神像はこんなガキじゃなかったし、背丈は階段2段分くらいの大きさだ。

だからといって、じゃあなんだと言われれば、結論なんか出せない。ぼくは何かの専門家でもないし、結局なにを目の当たりにしても、なんの答えも出せやしないんだ。

保留にするしかないじゃないか。結局わかっていることは、こいつが石を食う怪物で、ぼくの名まえを知っていて、あの歌を知っているって事だけなんだから。

そうこうしてる間に、フューイは台座をかじり始めた。

ほんとうに、人生最大の事件だ。こんなわけのわかんないものに遭遇するなんて。 

「ありえねぇ…」

でもそのときのぼくは知らなかったんだ。

その‘人生最大の事件‘が、それから容赦なく更新され続けることになるなんて。


◆ ◆ ◆ ◆


「あんた、なに考えてるの!!」

目を吊り上げて、赤鬼になった母さんが、家全体を揺るがすように怒鳴った。覚悟はしていたが、やっぱりすごい迫力だ。父さんが奥で苦笑いしている。

「あれから大変だったのよ!ライ君たら怒った様子も無く『おいとましますね』とか言ってくれて、母さんは身の縮む思いだったわよ!!だいたい昨日もやたら遅い時間に帰ってくるし、どういういう事なのよ、いい加減にしてちょうだい!!」

「昨日の分は昨日怒ったからいいじゃん…」

まずい、口が滑った。

「ティオン!!」

落雷だ。

ぼくは強烈な平手打ちを食らい、それから夕飯抜きでみっちり説教されたのだった。



「うあ、疲れた…」

さんざんしぼられて、へとへとになってから部屋にたどり着いた。

思ったとおり母さんは、ぼくがコートを着て帰らなかったことには気づかなかったようだ。

 ぼくは窓際に向かう。1時間ちかく待たせちゃったな。

 窓を開け、下を見る。通りと反対側の裏庭にいる人影に手を振った。

ぼくのコートを着たフューイだ。あのまま置いてくるのはなんとなくかわいそうだと思って、子犬や子猫を拾うノリで、連れてきてしまったんだ。

これは、ぼくなんかには目もくれず白い石ばかり食べていたので、人畜限定に無害と判断した結果だ。

フューイには、ボロコートじゃバスに乗せられないからって、ぼくのロングコートを着せてある。まぁ裸にコートで、髪の毛を隠すためにフードを被っている、なんてスタイルじゃ、人からの冷たい視線は免れなかったんだけどね。近所の人に見られないように、裏道使って大変だったよ。

 フューイも手を振り返す。そして、ぼくはよく本で読むようなことを実行した。つまり、カーテンとかシーツをつなぎ合わせ、ロープを作って垂らしたんだ。地面には届かないけれど、フューイが掴めるくらいには長かった。

あれ、でも本ではこのロープの先っぽを、どこにくくりつけてるんだろう。この部屋には柱もないし、ベットの足にくくりつけなんかしたら、すれて母さんたちのいる    1階の部屋に響くぞ。

 ぼくは下を見た。開けっ放しの窓からは、信じられないくらい冷たい風が入ってくる。

フューイのコートが寒そうに揺れる。

やるきゃっないね。

「ん〜、う、くぅぅぅぅ」

ぼくは、こめかみの血管が切れるんじゃないかってくらい、力を込めて手製ロープを引っ張った。声もできるだけ控えめに、柱の代わりをはたそうとする。

でも、なんかおかしいぞ。引っ張ってるのにいつまで経っても登ってくる気配がない。重さはかんじるのに、どうしてだろう。

一度力を抜いて外を見下ろした。するとフューイはロープの先を掴んでいるだけだった。

ちがうよ、ぼくが引き上げるんじゃなくて、おまえが登ってくくるんだよ。くやしいけど、そこまで力はないんだぞ。

 ぼくはまさに言葉に表せないくらいの苦労をして、ジェスチャーでそれを伝える。引っ張り合って確認し、ようやくフューイが登ってきた。

 ドサッ

登りきったとき、フューイも疲れたのか窓枠から落ちてきた。しかもぼくの上に。

「痛ぇな…」

重いので腕で押して、どかした。すると彼女のコートがはだけて足の大部分があらわになった。ようするに、(もも)とか…。ついでに髪が乱れて白いうなじまでのぞく。うつろな瞳なんかも。

 ぼくは急いで目をそらし、彼女からすばやく離れた。

「ティオン…」

「こっちくんな、いま、ちょっと待って」

手をぶんぶん振って、顔で語る。ちょっと、落ち着けよ、オレ!!

フューイはまた無表情で首を傾けた。

―――とまぁわかる人にはわかるピンチを乗り越えて、ぼくは平静を取り戻した。

その後窓を閉めて、部屋をもとのように戻し、フューイを薄手の毛布でくるんで、ぼくは人心地つく。カーテンやシーツがよれよれしているのはまぁ、洗えば直るか。

「外寒かったろ」

何をどうエネルギーにしてるのか、フューイには体温があった。だから当然寒いところにいたら冷えるだろう。当然なんて言葉があてはまるかどうかは別として。

 ぼくは一度下に降りてホットミルクを作って持ってきた。

「飲んだら?」

フューイはカップを受け取った。けれどそれを飲もうとしない。カップの熱いうちはそぅっと、持ちやすい温度なったら心なし、いとおしそうに持っていた。

 やっぱり相当寒かったんだな。表情の変化は小さいけれど、よく見るとわかるのが面白い。

「やっぱ飲まないのか?……て、おいっ」

フューイはカップをかじった。カップには歯形がついている。ぼくは口をわなわなさせる。

一時(いっとき)忘れかけてた怪物っぷりを、まざまざと見せつけやがって。こんな調子でこいつ、文化財たる神殿を食ったんだ。ほんとにもう、なんでさっき、こんなやつに変な気なんか起こしちゃったんだろう。

 見れば、フューイは眉根をよせて『まずい』という顔をした。なにそれ、味の違いとか、好き嫌いとかあるわけ?

「ってああ!!もう一箇所食って確認すんなよ!!」

フューイはカップを再びかじり、味の確認をした。思った通りまた『まずい』って顔になる。

ぼくはカップを取り上げて、中のミルクを飲みほした。うえ、ちょっとかけらが混ざってたみたいだ。

フューイはぼくの様子なんか意に介さず、部屋の中心に吊るされた電球を眺めている。

これはもしや…。

「電球食うなよ………だから食うなって!!」

 ベットに立ってから電球に顔を近づけていくフュ―イの頭を、ぼくもそこに立って、大急ぎで両手で掴んで固定した。


ティオン、なにしてるの?

 

下から母さんの声。ぼくはどきっとした。でも思い直す。

母さんは昼間でなければめったなことがない限り、普段は上には上がってこない。夜はぼくが勉強しているからだ。夜食を持ってきてくれることもあるけれど、今日はさすがにないだろう。いまだってちょっとうるさかっただけだし。でも、気をつけなければ。

ぼくは枕の上に座り込む。フューイはまだ立ちっぱなしだ。

「座れよ」

ぼくは小声で言って、布団をぽんぽん叩いた。しかし彼女の反応はない。仕方ないのでぼくはもう一度立ち上がり、彼女の肩に手を置いて、重さをかけて座らせた。ったくもう、こいつ言葉が通じないだけじゃなくて、ひどく察しが悪いんだ。 


 時間はまだ相当早いんだけど、ぼくは2つのベルが付いた目覚まし時計を枕元に置いて毛布を被る。

フューイが普通の女の子なら、ベットに寝かしてぼくは別のところで寝るんだろうけど、相手は怪物だからそんな気使いはしない。それにこの寒さは耐えられないし。

 フューイはぼくの真似をして、ぼくの横にころんと横たわった。厚手の毛布は3枚あって、2枚をいまぼくが被っている。怪物とはいえ『入ってこいよ』なんて口が裂けても言えない。  

やっぱり外見は同世代のむちゃくちゃ綺麗な女の子だ。

「ぼくのコートも着てるし、平気かな」

 ぼくの言葉なんか関係なしに、フューイは長いまつげを伏せる。また不思議なことに、それからすぐに寝息を立てはじめた。

まるで人だな。ものすごく変なものばっか食べるけど…。

 ぼくは垂らしていた紐を引いて証明を消した。

 そしてさらに不思議なことにも気がついた。こいつ、汗までかくのか。

「おまえの頭、(くせ)ぇ…」

 明日になったら洗ってやろう。マジにおまえは何なんだよ。

 今日はほんとにいろいろなことがあったな。思ったよりも相当疲れていたのか、まぶたを伏せると、すぐに意識は沈んでいった。


       

ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。次回、とてつもなく胡散臭い人物が登場します。乞うご期待ですm(>▽<)m

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