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江戸あやかし水幻記  作者: 猫塚ルイ


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第6話

神田川を割ったあの日から、江戸を襲う陽光はいっそう鋭さを増していた。


青空はどこまでも高く、雲一つない。


けれど、それは「恵み」ではなく「災い」だった。


ひと月近く雨が降らず、井戸は干上がり


作物は枯れ、江戸の八百八町は焦土のような熱気に包まれている。


「……瑞樹さん、顔色が良くないですよ?」


八百万堂の縁側で、私は心配そうに彼を覗き込んだ。


瑞樹さんの肌は、いつも以上に白く透き通り


碧色の瞳は濁ったように沈んでいる。


水神の化身である彼にとって、この異常な乾燥は命を削る毒と同じなのだ。


「……おかしいのだ。空に雨の気配はある。なのに、何かがそれを強引に捻じ曲げ、吸い上げているような……」


瑞樹さんが掠れた声で呟いた、そのとき


表通りから、威勢のいい太鼓の音と、人々の熱狂的な唱和が聞こえてきた。


「雨を呼ぶ神子様のお通りだ!皆々様、道を開けよ!」


慌てて外へ出ると、白装束の集団が神輿を担いで練り歩いていた。


その中心に座るのは、金色の装飾を過剰に纏った男。


新興宗教『天水教』の教祖、天全だ。


「さあ、見よ!我が祈りに、天が応える!」


天全が印を結び、大仰に呪文を唱える。


すると、どうしたことか。真っ青な空の一点にだけ黒雲が渦巻き


神輿の周囲にだけ、土砂降りの雨が降り注いだのだ。


「おおおっ!本当に雨だ!雨が降ったぞ!」


喉を枯らした町民たちが、泥水に這いつくばって歓喜する。


けれど私の耳には、その雨の中から「悲鳴」が聞こえていた。


(苦しい……放して…瑞樹様……助けて……!)


「瑞樹さん、あれ!あの雨、瑞樹さんのことを呼ぶ声が聞こえるんですけど……!」


私の言葉に、瑞樹さんが目を見開いた。


彼はふらつく足取りで神輿へと歩み寄る。


「……貴様、その力をどこで手に入れた」


瑞樹さんの静かな、けれど怒りを孕んだ声が天全に突き刺さる。


教祖・天全は冷ややかな笑みを浮かべ、瑞樹さんをじろりと見下ろした。


「ほう。まさかこんな掃き溜めに、本物の『器』が落ちていようとはな」


天全が懐から取り出したのは、歪に輝く青い宝玉だった。


それを見た瞬間


瑞樹さんが激しく胸を押さえて膝をつく。


その宝玉は、瑞樹さんの体から奪われた「神気の欠片」だと言う天全


天全はそれを利用し、江戸全体の雨を一点に集中させ、民を欺いていた。


「瑞樹さん!」


駆け寄ろうとした私の前に、一人の男が立ち塞がった。


編笠を深く被り、抜き身の刀を提げた浪人風の男。


だが、その刀身からはパチパチと火花が散り


周囲には焦げ付くような硫黄の匂いが漂っている。


「……久しぶりだな、裏切り者の水神。天界では、貴様は死んだことになっていたのだがな」


男が編笠を脱ぐ。


その額には、人間にはあるはずのない、鋭い一角が生えていた。


「我が名は雷王が配下。貴様の息の根を止めに、天より降りてきた」


瑞樹さんの過去を知る刺客。


日照りに喘ぐ江戸の空の下、瑞樹さんの奪われた力を巡る戦いが、今まさに始まろうとしていた。


「さよ、下がれ……」


瑞樹さんが、震える手で地面を突く。


彼の指先から、わずかな水滴が溢れ出し、氷の刃へと形を変えていく。


「俺が何者であれ……この町から雨を奪う奴を、俺は許さない」


かつての同胞、そして己を陥れた影。


瑞樹さんの失われた記憶の断片が、血の匂いと共に、静かに疼き始めていた。

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