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序章――ホルムズの赤い火

「おう、南部(なんぶ)! また総員起こしだな!」

 野暮ったい大声が、配管の走る狭い護衛艦艦内の廊下に響いた。寝室である第一居住区から飛び出した南部史郎(しろう)は、目の前の大柄な隊員の前で立ち止まった。

「何だ、館野(たての)か……あ、いや、館野一尉! おはようございます!」

 館野(たけし)を見上げながら、南部がびしっと敬礼する。

「よせよ、そういうの! 同期じゃねえか、俺たちはよ……」

『……救難信号を受信した。本艦はこれより、信号の発信源に向け……』

 慌ただしい足音が錯綜する中、艦長風間(かざま)ジェミニ二等海佐の声が艦内にこだまする。困ったような顔の館野に、にやっと笑って敬礼を解いた南部は、館野と並んで人の行きかう廊下を歩き始めた。

「救難信号か――どうせ大したことじゃないんだろ?」

 南部が横を歩く館野に話しかける。

「戦争も収束に向かってるし、海峡も封鎖が解け各国の艦船がそれぞれの国に向かって帰り始めてるって時に……」

 数か月前に突然始まったアメリカとイランの戦争の、難航していた停戦交渉も、数日前にようやく「合意」が成立し、ペルシャ湾に閉じ込められていた各国のタンカーが、次々とオマーン湾に向かい始めている現下の状況に思いを巡らせた南部は、はたと立ち止まり、

「あ! もしかしたら、混み合ったタンカー同士が海峡内で衝突したとか?」

「だからさ、行ってみなきゃわかんねえだろ?」

「まあな~……しっかし風間艦長、今日も張り切ってるなあ」

 揶揄るように言って、南部は再び歩き始めた。

『本艦はこれより第一戦速で急行する。総員第一戦闘配備にて……』

「第一戦闘配備? はぁ~、まさに『イケイケイケメン艦長』面目躍如、ってな!」

「馬鹿、冗談言ってねえで急げよ! 飯塚(いいづか)先任伍長にどやされんぞ!」

 館野が大きな手で南部の肩をぶっ叩いた。

「いってぇ! 乱暴すんなって!」

 文句を言う南部の声に交じって、廊下には、最大戦速に切り替わった機関の独特の唸り声が響く。

「でもさ、大げさなんだよ艦長、戦闘配備必要か?」

 ぼやく南部に、館野も、

「まあなあ……飯塚さんも、風間艦長は独断専行が過ぎるっていつもぼやいてるからなぁ」

「しかし、いよいよお前んとこの立入検査隊も、出番なんじゃないの?」

「かもな……けど射撃管制員(しゃげきかんせいいん)のお前の出番は永久になさそうだけどな!」

「俺たちは『出番がないのが良いこと』なんだよ」

「ちげえねえ、じゃな!」

「おう! 救命活動行くんなら、十分注意してな!」

「わかってらぁ!」

 巨大な館野の後ろ姿が配管剥き出しの天井の廊下の曲がり角に消えていくのを見送ってから、南部は自身の持ち場であるCIC(シーアイシー)(戦闘指揮所)に入った。


「南部! 遅いぞ! 何をやっとるかぁ!」

 CICに足を踏み入れた南部の耳に、いきなり怒声が突き刺さった。

 思わず首を竦めた南部は、入り口のすぐ脇に鬼の形相で飯塚先任伍長が仁王立ちしているのを認めた。

「すぐに持ち場につけ! たるんどるぞ!」

「も、申し訳ありません!」

 護衛艦『ぎんが』の現場乗員のトップ、飯塚先任伍長の怒号に、南部は直立不動の姿勢から素早く頭を下げ、そそくさと主砲の管制コンソール席に向かう。このCICの主である桧垣(ひがき)一尉――TAO(ティーエーオー)(戦術行動士官)――が、自席から厳しい視線を送って来る。南部は小さく目礼し、自席に腰を下ろすと、卓上に置かれたインカムを手に取った。

 照明が絞られた暗い室内で、数々のディスプレイが淡い光を放ち、すでに配置に就いている隊員の顔を照らしている。

 あっちゃあ、俺が一番最後かぁ……

 やらかした思いに内心で舌を出しつつ、射撃管制員(主砲等の管制を行う砲手)の席で南部がインカムを装着していると、

「バカ……何やってんだよ」

 隣のミサイル管制員、太田亮(おおたりょう)の小声の突っ込みに、

「うるせえ」

 南部も囁き返した。

『周囲の海域、異常なし』

 女性電測員の涼やかな声がインカムから流れてくるのを聞きつつ、コンソールを軽く叩いて所定の確認ルーティンを手早く済ませていく。

「いいか、何があるかわからん! 即対処できる状態にしておけ!」

 飯塚がCIC全体に銅鑼声を響かせる中、

「即対処ってもなあ……そんな、俺たちが何かやるって大変な事だぜ?」

 太田の囁きに、南部も、

「そうそう、救難信号だろ? 俺たちに出番はないよ」

 それきり、室内は静寂に包まれた。快調な機関の音と、各コンソールの電子音、そして飯塚先任伍長がCICをのし歩く靴音だけが、南部の耳に届いてくる。

 南部はぼんやりと船外カメラを眺めた。映っているのは暗い海原と星空。今日の海面は凪いでいる。

 まるで収束に向かおうとしている今の中東情勢そのままじゃないか……あーあ、帰ったらまた、親父が跡取れとか、お袋がお見合いだとか騒ぎ出すのかなぁ――

 南部の実家は『南部精巧』という下請け部品会社を経営している。南部はそんな父の跡を継ぐのが嫌で自衛隊に飛び込んだのだ。

 家族かぁ……

 南部は両親の「早くお前も家庭を持って俺たちを安心させろ」という“圧”を思い出し、大きく溜息を吐く。

 と、南部の頭に、肉汁を染み出させて湯気を立てるハンバーグが思い浮かんだ。

 そういやこの前、館野の官舎にお邪魔した時――(はるか)ちゃんのハンバーグ、めちゃめちゃ美味かったよなあ……

 南部と館野は入隊時の教育隊からの腐れ縁だ。教育隊卒業後、同じ『ぎんが』に配属され、その頃、二人はほぼ同時に彼女ができ、上陸すればその都度よく四人であちこち遊び回ったものだった。館野はそのままその彼女――遥――と結婚したが、南部は彼女と別れて、今は寂しいやもめ暮らしである。

 あの館野があんな可愛い瑠偉(るい)ちゃんのパパだなんて、世の中、判らないもんだな。

 館野と遥の娘、瑠偉の愛くるしい顔が思い浮かぶ――

 あの可愛さは、美人な遥ちゃん似だな……館野じゃない、絶対。

 それにしても瑠偉ちゃん、何だか俺にめちゃめちゃまとわりついて来て困ったっけなあ……

 自分の膝の上で抱っこをせがむ小さな瑠偉ちゃんを思い出して思わずにやける南部――そんな南部の眼が、船外カメラのディスプレイの暗い海洋の中央に、ポツン、と赤い光が灯るのを捕えた――


「炎、か?」

 思わずディスプレイに身を乗り出した南部の耳元で、飯塚先任の重い声が響いた。

 いつの間にか背後に飯塚先任が立ち、南部の席のディスプレイを覗き込んでいる。

 徐々に赤い光が大きくなっていく――

「おい……ありゃ……タンカーが燃えてるんじゃないのか?」

 隣の太田が唾を飲み込みながら言うのが聞こえてきた。

 太田の言うとおりだ。赤い炎は、巨大なタンカーの船首付近から噴き上がっているようだ……

「何だよ……こりゃやべえんじゃねえか?」

「何で発火してんだよ……まさか……攻撃?」

「いやいや、ねえよそりゃ、もう終わってんだよ戦争……」

 ざわつくCICの中で、飯塚の、

「お前らうるさいぞ! 黙って自分の仕事に集中しろ!」

 という銅鑼声が響く――その飯塚の言葉尻を喰うように、

『レーダーに感!』

 緊迫した女性電測員の声がインカムから聞こえた。

『右、二時の方向! 船です! 高速で我が艦に向け接近中!』

「何? 船?」

「高速だって?」

「静粛! 各コンソール、探知追尾を継続せよ!」

 TAOの桧垣一尉がCICの混乱を抑える。ほぼ同時に、

『主砲、打ち方用意! 目標、接近する敵艦船!』

 艦橋からの艦長の声がインカムから届き――一瞬、間を置いてから、

「た、対水上! 打ち方用意! ケいだつ(系脱)!」

 上ずった桧垣一尉の声が艦長の指揮に倣った。

「え? 打ち方用意?」

 トラックボール――デスクに上部半球が出ている、掌全体で操作する照準操作装置――を操っていた南部の左掌が、びくり、と止まった。と、飯塚が、

「聞えなかったのか? 打ち方用意、系脱! 急げ!」

「う、打ち方用意、ケいだつ!」

 弾かれたように、南部はコンソールを叩き――自分の指先が冷たくなっているのを自覚する――そのまま流れるような動作でトグルスイッチを跳ね上げると、ディスプレイ上の“SAFE”の文字に置き換わった“AERMD”の赤い光が、南部の網膜を焼いた。

 い、いや、“敵艦”って……嘘だろ? まだ決まった訳じゃ……

 南部の頭の中で意味のない思考が躍る――そこに、

『艦長! それは自衛権の逸脱ですよ!』

 副長の怒号がインカムから聞こえ、直後、

『主砲、てーっ!』

 艦長の声が響いた。一瞬、間があって、桧垣一尉が、

「……主砲、てっ!」

 やや震える声で命じた。

 ――は? う、撃つのか? 俺が? 本当に?

 目の前のコンソールが遠ざかっていくような錯覚――南部は、訓練で何度も反復してきたはずの動作が、ここにきて石化したかのように動けなくなってしまっていて――

「馬鹿野郎! 発砲命令だ! 撃て!」

 飯塚の叱咤が耳元で弾け、無理やり現実に引き戻された南部は、そのまま、

「てーっ!」

 叫んで、主砲の発射ボタンを押していた――


 カチリ――

 『FIRE』と書かれた透明なカバーで保護されたボタンを、南部は押した。

 いつも以上に感じないボタンの手応え――

 刹那、CICがぶるぶると身悶えした。護衛艦『ぎんが』の主砲、単装速射砲が、銃弾を恐ろしい速さで撃ち出す時に発生する揺れだ。赤く発光する銃弾が、真っ黒な『敵艦』に吸い込まれて――

 ほぼ同時に、『敵艦』の船首あたりが断続的に発光した。

 ガンガンガンガン!

 速射砲の揺れとは違う異質な金属音。

 足元から突き上げるような衝撃に、南部の身体はびくりと硬直し――

 ほどなく『敵艦』から大きな爆発が起こり、”敵”の進撃は――止んだ。

 南部は呆然と、自身のディスプレイの中の、真っ赤な炎を見続けている。

 発射ボタンから離れた右手の人差し指の指先の感覚が、妙に生々しい――

 訓練で何度も押してきたボタンだとは思えなかった。

 まるで、初めて押したかのような――

 CICにピーンとした緊張が張り詰めている。やがて誰かが、

「おい……撃ったのか?」

「それより……撃たれたのか?」

 ざわめく室内に、

「も、目標沈黙! キル、確認!」

 桧垣一尉の、最初はやや戸惑うような、しかし最後は決然とした声が響いた。

「右舷前部に被弾あり! 応急班、確認急げ!」

 別の士官も指示している。

 そんな室内の声を、南部は何か人ごとのように聞いていて――

 と、南部の右肩に、どかっ! と、誰かの手が置かれた。

 はっとして見上げると、飯塚先任伍長が、厳しい目で南部を見下ろしていた。

「先任……」

 呟く南部に、

「南部、よくやった!」

 飯塚先任の、しわだらけの顔の中で、唇がにっ――と笑いに歪んだ。

 南部の中で、何かが、どっ……と落ちる気がした。大きく息をついた南部は、

「あ、ありがとうございます!」

 そんな南部を見て、飯塚は頷きながら踵を返し、

「他にレーダーに感はないかぁ!」

「ありません! この海域には、本艦とタンカーだけです!」

「よぉし! だが、何があるかわからん! 引き続き警戒を厳とせよ!」

「はい!」

 レーダー担当の女性の凛とした声が響く。

 と、太田が、

「おい……あれを見ろ」

 艦外を映し出したディスプレイには、熱源に赤く包まれた『敵艦』と、そこからこぼれ落ちる赤い光の玉が映し出されて――

 え――あれって……

 南部の心が硬直した。

 あれは――俺が撃ってしまった、敵艦の乗員?

「救助……するのか?」

「当然だろう……見捨ててはいけない……」

 騒然とする室内に、艦長のマイクが響く……

『総員へ、艦長。敵性艦船は排除した……これより本艦は、同胞のタンカーの乗組員救助に向かう』

『艦長! 正気か? あの人たちを見捨てるのですか!』

 副長の怒鳴り声がCICを揺らす――が、

『敵性艦船の乗組員を救助している暇はない。全責任は私が取る。タンカーに向けこのまま前進し、救助活動を開始する』

 淡々とした風間艦長の声が届き、副長の、

『艦長! 待て! そんなことは司令が』

 ここでブツっ……と、放送が切れた。

 ややあって――

「おい、まじかよ……見捨てるのかよ」

 呆然とした声が室内に響く。

「いや、燃えてるタンカーやばいだろ……事態は急を……」

「あの人たちを見ろ! 必死に泳いでるんだぞ!」

「撃たれたんだ! 敵だ、あいつらは!」

「うるさいぞ! 今は自分の持ち場に集中しろ!」

 揺れるCICを、飯塚の怒声が締めた。

 そんな中、南部は、船外ディスプレイの、自分が「撃った」敵艦と、波間に見え隠れする赤い玉――敵艦の乗員たち――を見詰めた。

 そして、それらがゆっくりと遠ざかっていくのを――黙って見続けていた……


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