スプーン
ある日の午後、大学終わりのことである。その日も私は、ほとんど客のいない喫茶店のテーブル席で、一人プリンを食べようとしていた。窓際、午後の光がテーブルと自分、そして黄金色のプリンを照らしている。私は窓のほうを見て一通り黄昏た後、不意にため息をつき、スプーンを手に取った。
そんなときだ。カラン、とドアベルが鳴り、ふと入口のほうへ目をやると、小柄な彼女と目が合った。
彼女の見た目には何だか不思議な印象を受けた。灰色基調に赤のリボンがついたセーラー服、そしてチェック柄のスカート、彼女の大きな瞳とウェーブがかった髪の色は水色にも紫色にも見える。
――そして頭の上には猫の耳のようなものがあった。
そんな彼女が私にふっと微笑んだかと思えば、まるで旧知の友人かのように、向かいの席に唐突に座ってきたのである。
「やあきみ、それは、何という食べ物なんだい?」
「え?……プリンだけど。」
「そのなかには、卵は入っているかい?」
「……うん、入ってる」
「ぜひ、わたしにも一口食べさせてほしい。一口でいいから。」
「……えぇ。」
急にそんなことを言われても困る。第一、君は誰なんだ。
……と、言葉にする前に、その答えを彼女は言った。
「わたしはモード。スィーラという星からやってきた。まぁ、いうなれば宇宙人だ。」
当たり前みたいに言う。しかし、その言葉を疑えないほどに彼女の雰囲気は奇怪で、人外的だった。
「わたしはこの星のお金を持っていないんだ。礼はするから、どうかおごってくれないか?」
「……まぁ、別に一口ぐらいならいいよ。」
持っていたスプーンとプリンを彼女のほうへ寄せる。彼女は一口食べると、心底おいしそうに頬を緩ませた。
彼女は目を閉じ、もう一度ゆっくり咀嚼するように味わってから、ほうっと息を漏らした。
「……これはすごい。甘い卵に、溶解したほろ苦い砂糖。まるで星雲みたいだ」
「星雲って……食べたことあるの?」
「あるよ。あれは甘くはないけれど、重層感がとてもよく似ている。」
そんな感想は初めて聞いた。けれど、彼女が言うと妙に筋が通っているような気がした。
ひとまずプリンは満足したらしい。するとモードは、テーブルの上のメニューに気づいて、興味津々といったふうに身を乗り出した。
「なぁ君、ほかにも卵料理はあるのかな?」
「……ええっと、この中だと、オムライスとかかな。」
「食べたい。ぜひ、食べさせてほしい」
さっきの一口ですら戸惑ったのに、今度はオムライス一皿である。意思が強いのか無邪気なのか判断がつかない。
だが、彼女の期待に満ちた眼差しを正面から受けると、断るという選択肢はどこかへ消えてしまった。
「……わかったよ。マスター?オムライスを一つ。」
「ふふ、ありがとう。君はいいやつだな。地球人は優しいと、帰ったら周りに伝えておくよ。」
「そりゃどうも。」
モードは窓の外を眺める。猫耳がピコピコと動いているのを見ると、やはり飾りではないらしい。
「卵料理というのは不思議なものだ。私の国では、エネルギー源としての“卵”はとても貴重でね。だから調理方法というのも、だいたい科学処理か、栄養抽出が一般的なんだ。こんなふうに楽しむことはできない。」
「へぇ……君は卵料理を食べるためにこの星に来たの?」
「ああ。わたしは色んな星を巡って、卵料理の比較研究をしているんだ。大学の卒論でね。」
モードはそういうと、窓の光を受けるプリンの方向を見た。
「――この星の卵料理には“物語”がある。味は一瞬だが、そこには膨大な歴史による創意工夫が存在し、その余韻は永遠に、我々の心に残る。」
「……ふぅん?」
ちょうどそのとき、店主がオムライスを運んできた。
湯気の向こう、ふわりとした薄焼き卵が美しい。赤いケチャップの線が引かれたこの一皿を、モードは愛しげに見つめている。
「……ふふ、では、いただこう。」
彼女は新たなスプーンを手に取り、次の瞬間には黙々と食べ始めた。まるで調査をするように、しかしとても幸せそうに。
「……あっ。自分も食べなくちゃ」
モードに一口与えたまま、すっかり食べるのを忘れていたプリンに目をやる。スプーンを手に取り、一口食べようとする。
「あっ、そうだ。少し待ってくれないか?」
彼女はポケットを探るような仕草をしたあと、一つ小さな銀色のスプーンを取り出した。表面には象形文字のようなものが小さく彫られている。
「君にこれをあげるよ。今日の礼だ」
「……スプーン?」
「そう、これはただのスプーンじゃない。スィーラの叡智の結晶さ。試してごらんよ」
言われるままに、プリンを一口すくって食べてみた。
――瞬間、世界に味があふれ出す。
プリンの甘さは、光の粒になり、無数の泡となって舌に触れる。
やがて全身にかけて、温かい波のように味が広がり、今まで食べ物に味わったことのない壮大な物語を感じた。
「なにこれ……」
「ふふん、すごいだろう。このスプーンは、味覚を介して感情の潮流を増幅することができる代物なんだよ。」
「スィーラの食事はこの星ほど料理にバリエーションがないからね。このようなスプーンを使って食事を楽しむ文化があるのさ。」
「……ところで、そのスプーンを使ったことで、少し感覚が変わったりしているんじゃないかい?例えば鼻がよくなったとか、周りの音が聞こえやすくなったとか」
言われてみると確かに、周りの音がクリアになった気がする。匂いも今までより繊細に感じ取れる。それに驚いている様子を見て、彼女は妖しげに笑った。
「ふふ、ほかの星の人間がスィーラの文明に触れると身体に変化が起きるんだ。……ふぅ、さて。いいデータが取れた。」
彼女はスプーンを置く。いつの間にか完食していたようだ。
彼女は水を一口飲み、ふぅっと息を吐く。
「……もう行くの?」
「ああ、行きたいところが沢山あるからね。――それでは、また会おう――」
モードがそういうと、視界の中心にいたはずの彼女は、いつの間にか消えていた。
静かになった喫茶店、再び一人になったテーブル席で少し寂しくなった私は、彼女から貰ったスプーンを眺めて、いつもよりクリアに聞こえる喫茶店のBGMに耳を傾けながらふと自分の猫耳をさする。
――――ん?待て…猫耳だと……?
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