葛藤⑧
放課後の図書室は、静けさに包まれていた。
窓から射し込む夕陽が机の上に伸び、白い紙を赤く染めている。
伊吹陽太は、その紙を前にして腕を組んでいた。
――生徒会選挙の演説原稿。
配布された用紙には「2分程度」「自分の考えを述べること」とだけ書かれている。
だが、何をどう書けばいいのか分からない。
(……模範的な言葉なら並べられる。でも、それじゃ心に残らないだろう)
「生徒会の活動を通じて、皆さんと共に成長していきたいと思います」
そんな文面を下書きしてみたが、白々しく見えてすぐにペンを止めた。
「お、やっぱり詰まってる?」
向かいの席に腰を下ろしたのは、もちろん三谷莉緒だった。
カーディガンの袖をまくり、ペンをくるくる回しながらにやりと笑う。
「アンタ、難しく考えすぎ。演説ってもっとシンプルでいいんだよ」
「シンプルって……例えば?」
「文化祭でクラスTシャツ作りたいとか、体育祭でダンス盛り上げたいとか。そういうの」
莉緒は自分のノートを開き、走り書きしたアイデアを見せてくる。
「みんなで楽しめる学校にしたい」とか「勉強も部活もやるなら、楽しいほうがいい」とか。
まるでSNSのつぶやきのようにラフな言葉が並んでいた。
「……軽すぎないか、それ」
「逆に重すぎるほうがウケないんだって。アンタが“模範生徒”っぽいこと言っても、みんな『ふーん』で終わるよ」
ずばりと言われ、伊吹は苦笑した。
(……確かに、俺が教科書みたいなこと言ったら、ただの優等生アピールにしか聞こえないか)
莉緒はペンを走らせながら、横目で伊吹を見た。
「アンタさ、本音で言えばいいじゃん。『俺は完璧超人に見られてるけど、実はそうじゃない』って」
「バカ、それ言えるかよ」
「言ったら案外ウケるって。隠してるより楽になるし」
伊吹は言葉を失った。
――完璧超人。
入学式のスピーチから、ずっと貼りつけられたレッテル。
本当は逃げたいのに、背負わされ続ける「期待」。
(……そんなのを自分で壊せたら、どれだけ楽なんだろうな)
だが同時に、それを口にする勇気はまだなかった。
莉緒はノートを閉じ、椅子に背を預けて伸びをした。
「ま、アンタのキャラに合うかどうかは別として。うちは“文化祭盛り上げたい!”でいくけどね」
「お前は……ほんとブレないな」
「だって、やりたいこと言わなきゃ意味ないでしょ」
その言葉に、伊吹の胸がかすかに揺れた。
(……やりたいこと、か)
ペンを持ち直し、紙に向かう。
すぐに正解の言葉が浮かぶわけじゃない。
けれど、優等生としての仮面を外し、自分の声を探してみようと思えた。
「……とりあえず書いてみるか」
小さく呟き、ペン先を走らせる。
窓の外、赤く染まる空が夜へと移り変わっていく。
その光の中で、伊吹陽太は初めて「自分のための言葉」を探し始めていた。




