葛藤③
放課後のテニスコートには、柔らかな西日が差し込んでいた。
フェンス越しにオレンジ色の光が斜めに伸び、乾いたボールの弾む音と、時折混じる笑い声が響く。
「よし、次は俺がサーブな!」
「おい、真ん中狙いすぎ!」
「へたくそー!」
軽口を叩き合いながら、ボールを追う部員たち。
昨日の厳しいトレーニングはまるで夢だったかのように、雰囲気は“いつもの双峰”に戻っていた。
アップも外周一周に縮み、ストレッチも軽め。
そのあとは球出しを受けて体を動かし、最後はシングルスやダブルスをローテーションで回す。
真剣さと遊び心の中間にあるような、独特の心地よい空気。
「楽しい部活」と評される所以だった。
伊吹もその輪の中にいた。
相手のボールを軽く返し、時折フォアで強打を放つと、周囲が「うおっ、速ぇ!」と歓声を上げる。
「伊吹くん、やっぱすげぇな!」
「ラディアンスは違うな!」
彼は苦笑しながらも、返事は曖昧に濁した。
(……まただ)
口では何も言わない。
けれど胸の奥では、昨日の篠原の言葉が蘇っていた。
――「伊吹、お前と全国に行きたい」
その熱のこもった声。真剣な瞳。
自分の過去を知った上で、それでも「信じる」と言われたこと。
(……俺は、ただ楽しくやりたかっただけなのに)
目の前で弾むボールを追いかけながらも、心のどこかで“引っかかり”が抜けない。
軽い笑い声や、先輩の冗談が耳に入ってくるのに、自分だけが一歩外から見ているような感覚。
「伊吹、ナイスショット!」
同じ1年の大谷が明るい声で叫んだ。
「さすがだな!」
伊吹は「いや、たまたま」と小さく返す。
その笑顔の裏で、心臓は妙に重く跳ねていた。
――この雰囲気。
間違いなく、自分が望んでいたはずの場所。
勝ちに飢えた名門スクールの空気とは正反対で、気負わずにラケットを振れる時間。
(なのに……どうして俺は、楽しみきれないんだ)
ボールを追う足が一瞬止まりかける。
慌ててラケットを伸ばし、辛うじて返球。相手の先輩が笑って「おい、集中!」と声をかけてきた。
「すみません」
反射的に頭を下げる。
心の奥に巣食う、重たいざわめき。
昨日の会話が影を落とし、伊吹はその渦から抜け出せずにいた。
(……俺は、また“見られる立場”に戻るのか)
夕暮れの光の中、和気あいあいと続くラリー。
楽しそうな声の輪にいながら、伊吹だけがひとり、心の奥に冷たい影を抱えていた。




