テニス部、本入部、熱血コーチ気合入る⑥
その夜、部活動を終えて部員たちが帰宅したあと。
校舎二階、人気のなくなった職員室の一角で、柔らかな声が響いた。
「――篠原。少し話そうか」
声の主は、テニス部顧問の中村慶三。
白髪が目立つ丸眼鏡に、少し猫背気味の背中。年齢の割にまだ声は張りがあるが、その口調は穏やかだった。
生徒や若い先生からは「おじいちゃん先生」と親しまれ、無理を言わない顧問として知られている。
篠原はどこか落ち着かない様子で椅子に腰を下ろす。
練習後もまだ顔に熱が残り、額に汗が浮いていた。
「先生、今日の練習のことでしょうか」
中村は静かにうなずいた。
「三年の子たちから、不満の声が届いていてね。外周にダッシュ、ラダーに四隅ダッシュ……。正直、やりすぎじゃないかと」
篠原はすぐに顔を上げる。
「全国を目指すなら、あれくらいは当たり前です。いや、まだ足りないくらいだ」
「だがな……」
中村は眼鏡を外し、ハンカチでレンズを拭いながら言葉を続けた。
「時代はもう、気合や根性だけじゃ子どもたちはついて来ないんだ。今の子は無理をすればすぐ離れる。怪我をすれば、二度と戻ってこないことだってある」
その口調には叱責ではなく、諭すような柔らかさがあった。
だが篠原には、それが余計に引っかかった。
「先生……俺が現役のときは違ったじゃないですか」
篠原の声が低くなる。
「冬の外周十キロ、真夏の坂道ダッシュ、声が枯れるまでの応援――全部、先生がやらせたことですよ。俺たちはそれで県ベスト16まで行った。あの熱さがあったから、俺は今でもテニスを続けていられるんです」
中村は苦笑した。
「そうだな。あの頃は、私も若かった。……だが、今は時代が違う。あのやり方を今の子たちに押しつけても、心はついてこないんだよ」
「違いますよ!」
篠原は椅子から身を乗り出した。
「心がついてこないんじゃない。引っ張る熱さが足りないだけです。伊吹を見ましたよね? あのサーブ、あのフォア。彼がいれば、このチームは全国にだって行けるんです!」
その熱に、中村の瞳がわずかに揺れた。
かつての教え子が、あの頃と同じ目で未来を見据えている。
だが同時に、年を重ねた教師としての責任が、その情熱を肯定できずにいた。
「篠原……気持ちは分かる。だが、部活は教育の一環だ。子どもたちを壊すような練習は、私は認められん」
その言葉に、篠原は拳を握りしめた。
(……やっぱり変わっちまったんだ、先生は)
唇を噛み、篠原は低く吐き出した。
「先生……あの頃の熱さは、どこに行っちまったんですか」
中村は答えなかった。
ただ黙って、拭き終えた眼鏡をかけ直し、深いしわの刻まれた顔で穏やかに微笑んだ。
その笑みは、肯定でも否定でもない。
ただ――“もう戻らない過去”を受け入れた者の表情だった。
篠原の胸には、どうしようもない虚しさが広がっていた。




