テニス部、本入部、熱血コーチ気合入る④
息を整える暇もなく、篠原の声が飛んだ。
「次はラダーだ! 敏捷性を鍛える。フットワークはテニスの命だぞ!」
コートの片隅に、カラフルな梯子状のラダーが並べられていた。普段の双峰の練習では、まず使われることのなかった道具だ。
三年生たちは顔を見合わせる。
「ラダー? なんだそれ」「部活でサッカーでも始めんのかよ……」
半ば茶化したように笑う声。しかし篠原の視線に射抜かれると、誰も文句を続けられなかった。
「片足ずつ、リズムよく。引っかかったらやり直しだ。十本!」
号令と同時に、先輩たちが仕方なく走り出す。だが普段やらない動きは、案の定ぎこちなく、つま先がラダーに引っかかり、ガチャッと音を立てる。
「ちっ……めんどくせぇ」
「こんな細けぇ動き、試合で使わねぇだろ……」
不満が次々に漏れる。
一方、伊吹は無言で列に並んでいた。
(……懐かしい)
ラディアンス時代、フットワーク練習は嫌というほどやらされた。コーチの怒号とタイマーの電子音。少しでもリズムを崩せば容赦なくやり直し。
(あの頃は、失敗するたびに「才能がない」って言われてる気がして……嫌だった)
だが身体は覚えていた。自然にリズムを刻み、軽やかにステップを踏む。列の後ろでそれを見ていた二年の一人が、思わず小声を漏らした。
「うわ……伊吹、速ぇ」
「やっぱり本物だな……」
伊吹はその声に背筋が冷たくなるのを感じた。
(やめろ……俺は見せたいわけじゃない)
だが皮肉にも、彼のフットワークは他の部員よりも正確で、スムーズだった。
十本を終える頃には、三年の何人かが息を切らし、苛立った声をあげる。
「くそっ、もう足が動かねぇ」
「意味わかんねぇよ、ラダーなんて……」
そんな空気を切り裂くように、篠原の声が重なる。
「次はコートの四隅ダッシュだ! 前後左右、反応を鍛える! 一セット四方向、これを十回!」
部員たちの顔から血の気が引いた。
「じゅ、十回!?」「ふざけんなよ……」
コートの中央に立ち、前・右・左・後ろの四隅へ全力でダッシュし、また中央に戻る。これを一セットとする。短い距離とはいえ、全身のバネを使う苛烈なメニューだ。
一年の大谷が拳を握りしめた。
「よっしゃ、やってやる!」
元気に飛び出す姿に、伊吹は苦笑する。
(……やっぱ、俺とは違うな。アイツは本気で全国目指すつもりなんだ)
伊吹の番。中央に立ち、篠原の笛が鳴る。
「前!」
土を蹴って前方へ。
「右!」
反転して右へ。
「後ろ!」
急停止して後方へ。
瞬発的な動きが連続し、肺が焼けつくように熱を持つ。
――だが、身体は反応していた。ラディアンスで叩き込まれたフットワーク。重心移動は自然で、反応は速い。
(……やっぱり、抜けねぇな)
嫌でも「本気の動き」が滲み出てしまう。
周囲のざわめきが耳に届く。
「伊吹、やべぇ……」「あの動き、スクール仕込みか」
「全国クラスだろ、あれ……」
伊吹は歯を食いしばった。
(頼む……今だけは、黙っててくれ)
一方、三年の不満は頂点に達していた。
「ふざけんな! こんなん続けられるか!」
「俺らは遊びでやってんだよ! 受験生に無理させんな!」
声を荒らげ、四隅ダッシュの列から抜ける者まで出てきた。
篠原は一瞥し、低く言い放つ。
「やりたくないなら帰れ。だが残った奴は最後までやれ」
その一言に、空気はさらに張り詰める。
三年の一人が苛立ちを隠せず、吐き捨てる。
「結局、伊吹が入ったからだろ。アイツがいるから、こんな無茶になったんだ」
その言葉に、伊吹の胸が凍りついた。
(……まただ。俺のせいで、空気が変わる)
十セットを終えたとき、全員の体は限界を迎えていた。倒れ込む者、肩で荒く息をする者。コートの上は修羅場のようだった。
篠原はそんな部員たちを見渡し、厳しい声を放った。
「これが“全国を目指す”ってことだ。ついてこれない奴は、この先やっていけねぇ」
伊吹は汗に濡れた顔を上げ、赤く染まる夕空を見た。
(俺は……ここで何をしてるんだろう)
心の奥で、答えの出ない問いがずっと反響していた。




