テニス部、本入部、熱血コーチ気合入る③
外周三周を終えたばかりの足は鉛のように重かった。汗でシャツが肌に貼り付き、肩で荒く息をつく部員たち。
「……はぁ……マジで死ぬ……」
「今日だけのメニューだろ……? なぁコーチ……」
三年生たちが顔を見合わせ、弱々しく笑う。だが篠原の表情は一切崩れない。
ホイッスルの鋭い音が、夕暮れのコートに突き刺さった。
「整列!」
反射的に列を作ったものの、部員たちの顔には疲労と不安が色濃く刻まれていた。篠原は腕を組み、ゆっくりと告げる。
「外周で体は温まったな。次はダッシュだ。二十メートルを十本。全力で走れ。間に合わなかったら追加だ」
その言葉に、三年の一人が思わず声を上げる。
「はぁ!? 追加って……外周のあとにそれはキツすぎでしょ!」
篠原は視線を鋭く向けた。
「全国を目指すんだ。基礎体力がなければ話にならん。走れ」
否応なく始まったダッシュ。白線の前に並んだ部員たちが、一斉にスタートを切る。
「だぁっ!」
靴音が土を蹴り、短い距離を駆け抜けていく。だが外周で既に限界まで追い込まれていた身体は悲鳴を上げていた。
一本目から、三年の一人がゴール直後に膝に手をついた。
「げほっ……無理だ、脚が動かねぇ……」
二本目、三本目と進むにつれ、部員たちの息はどんどん荒くなる。
伊吹も例外ではなかった。
(……速くは走れる。けど、なんで俺までこんなに必死になってるんだ)
心臓は乱打するように脈を打ち、喉が焼ける。
(ここは楽しくやれる部活じゃなかったのかよ……)
五本目を終えたとき、三年のキャプテン格がついに声を荒げた。
「コーチ! 俺ら三年はもう最後の夏を楽しめればいいんだよ! こんな練習、意味あるのか!?」
その叫びに、他の三年生たちも同調する。
「そうだそうだ!」「俺ら受験もあるんだぞ!」
篠原は一歩前に出て、睨みつけた。
「お前らは才能だけでここまで来た。努力を避けて、遊び半分でベスト三十二に行った。その実力は確かにすごい。だが、それ以上を望むなら――努力から逃げるな!」
張り詰めた空気。三年たちは歯を食いしばり、目を逸らす。
伊吹はそのやりとりを見ながら、胸の奥がざらつくのを感じていた。
(……俺だって、努力から逃げてきた)
ラディアンスで味わった重圧。勝てず、認められず、控えに回り続けた悔しさ。だからこそ双峰に来て、「ここなら逃げられる」と思ったはずなのに。
十本目が終わると同時に、篠原の声が響いた。
「まだ終わりじゃない。次はサイドステップだ。コート全面を往復、五セット!」
「ふざけんなよ!」
三年の一人がついに声を荒らげる。
「もう体力残ってねぇんだよ! こんなの続けたらケガするだけだろ!」
「そうだ! やりすぎなんだ!」
反発の声が次々に上がる。しかし篠原は一歩も退かない。
「全国を目指すってのはそういうことだ。逃げたい奴は逃げてもいい。だが、残るならやり切れ」
張り詰めた沈黙の中、結局全員が列を作った。
「始め!」
シューズが砂を蹴り、横移動が始まる。膝を低く落とし、横に弾むように動く。最初は勢いがあったが、すぐに足がもつれ始める。
「っくそ……!」「脚が……重ぇ!」
三年生たちが悲鳴をあげるように呻く。
一方で一年の大谷は、息を切らしながらも声を張り上げる。
「うおおお! まだいける! 全国ってこういうことだろ!」
石田も「はぁ……はぁ……俺はまだ動けるぞ!」と歯を食いしばる。
伊吹は黙々と横に動きながら、自分の胸の内を確かめていた。
(……なんで俺はやめないんだろう)
辛いはずなのに、足を止めることができない。
(逃げたい。けど、ここで止まったら――またラディアンスの時みたいに、“逃げた”って自分に刻まれるだけだ)
五セットを終えたときには、全員が息も絶え絶えになっていた。三年生の一人は地面に倒れ込み、動けなくなっている。
「っはぁ……もう限界だ……」
誰かが呻いた。
篠原はその光景を見渡し、低く言い放った。
「これが、全国を目指す覚悟だ。やれる奴だけついて来い」
伊吹は肩で大きく息をしながら、空を仰いだ。
西日は赤く、ぼやけて見える。
(……まただ。俺がいるせいで、空気が変わってしまった)
背中に滲む汗の冷たさが、彼の胸の奥に暗い影を落としていた。




