表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/36

体験入部の後の夜、期待に押しつぶされそうになる

夜。

 住宅街の街灯がオレンジ色の光を投げる中、伊吹陽太は無言で家路をたどっていた。

 鞄の中には、汗の染み込んだラディアンスの練習着。歩くたびに、その重みが肩へとのしかかる。


 玄関のドアを開け、ただいまと小さく告げる。返事はあったが、会話を広げる気にはなれなかった。

 鞄を部屋の隅に放り投げ、ベッドへ身を投げ出す。天井を見上げると、昼間の光景が勝手に脳裏をよぎっていく。


 ――あのサーブ。

 ――あのフォア。


 偶然だ。ほんの一瞬、タイミングが合っただけ。普段なら絶対に外れていたはず。

 けれど誰もそうは思ってくれない。

 先輩も、新入生も、篠原コーチも――あの一撃を「本物」だと信じきっていた。


 (……期待されるなんて、望んでなかったのに)


 胸の奥に冷たいものがじわじわ広がる。

 あの歓声も、拍手も、自分にとってはただの鎖にしか思えなかった。


 携帯が震えた。LINEの通知。

 開くと、快からのメッセージだった。


 【やべーな! 伊吹ってすげーじゃん! 一緒に組めるとか最高だわ!】


 続けて桐原からも。

 【ラディアンス出身とは驚いた。これからよろしく。参考にさせてもらう】


 そして大谷からは短く。

 【強えな。頼りにしてる】


 画面を見つめたまま、伊吹は動けなかった。

 指先が震え、返信を打とうとしては消す。


 (……そうだ。みんな、俺に期待してるんだ)


 頭の奥に、中学時代の記憶がよみがえる。

 ラディアンスで過ごした日々。

 コートの端で、延々と壁役を務めた時間。汗だくで球を拾い、返すだけ。

 「伊吹は安定して返すから助かる」――そんな言葉だけで終わった三年間。


 全国? 優勝? 自分には一度も縁がなかった。

 仲間たちが栄光を掴むのを横目に、自分はただ雑音のように存在していた。


 (だから……もう、そういうのは嫌だったんだ)


 双峰を選んだのは、「ちょうどいい」からだ。

 強豪でもなく、弱小でもなく。勝敗に縛られず、ただ自分のペースでテニスを楽しめる。

 そう信じていた。


 だが現実はどうだ。

 わずか一日の体験入部で、「双峰の希望」などと持ち上げられている。

 篠原コーチの真剣な瞳が、今も頭から離れない。


 (俺は、勝ちたくてここに来たわけじゃない……)


 声にならない叫びが胸を締めつける。

 逃げたはずの舞台に、また引きずり戻される感覚。

 ラケットの重みが、再び鎖になって絡みつく。


 ベッドの横に置かれた鞄が、じっとこちらを見ているように思えた。

 中には、黒地に金のラインの練習着。

 過去と、周囲の期待を象徴するようなユニフォームが眠っている。


 伊吹は毛布を頭からかぶり、目を閉じた。

 「もう何も聞きたくない」とでも言うように。


 だが耳の奥では、昼間の声が何度も再生されていた。

 「すげぇ!」「本物だ!」「全国を目指せる!」


 ――そして、篠原の言葉。

 『お前は、双峰の希望だ』


 心臓が嫌なリズムで脈打つ。

 返事を返せなかったLINEの通知が、青白く光り続けていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ