必然になったことで期待されてしまう
歓声とざわめきがまだ収まらない中、先輩の一人がさらに声をあげた。
「なぁ、せっかくだしストロークも見せてもらおうぜ!」
「そうだそうだ! サーブだけじゃわかんねぇ!」
「フォアが得意なんだろ? 打ってみろよ!」
気がつけばコートの端に先輩が一人立ち、ラケットを構えていた。手には練習球をいくつも抱えている。完全に「お披露目ショー」の雰囲気だった。
(……やっぱり来たか)
伊吹は心の中で小さく吐息を漏らす。
中学時代、彼の武器は「逆クロスの強打」だった。豪快な一撃で相手を押し込む――ただし、それが入ればの話だ。
現実は、コートの外に叩き込む方が多かった。威力だけは全国区。だがコーチや仲間からは「ロマン砲」「当たればすごいけど当たらない」と陰口を叩かれてきた。
(……どうせまた、外す。あの頃と同じように)
それでも、ここで断れる空気ではなかった。
伊吹はしぶしぶベースラインに立つ。ラケットを軽く構え、目の前の先輩を見据える。
「いくぞー!」
トスされたボールが軽く弧を描いて飛んでくる。
伊吹は半歩踏み込み、フォアハンドを振り抜いた。
――ガツン!
打球音がコートに響き渡り、ボールは一直線に逆クロスへ。鋭い角度で沈み込み、相手コートのサイドラインぎりぎりに突き刺さった。
「……っ!」
受けた先輩が一歩も動けずに固まる。
「うおおおっ!」
周囲がどよめいた。
「やっべぇ! 速っ!」
「今のクロス、エグすぎだろ!」
「完全に決め球じゃん!」
伊吹は呆然と立ち尽くした。
――入ってしまった。しかも、理想的な弾道で。
(なんでだよ……普段なら絶対にアウトだろ。よりによって、ここで……)
次の球も同じだった。
鋭い逆クロスがネットすれすれに突き刺さり、先輩のラケットを弾き飛ばす。
偶然とはいえ、連続で決まると「必然」に見えてしまう。
「ラディアンスの打球はやっぱ違ぇ!」
「本物のストロークだ!」
「こんなの公式戦で見たら誰も返せねぇよ!」
口々に飛び交う声。
快は目を輝かせて「やっぱすげー!」と叫び、大谷ですら唇を引き結んで頷いていた。桐原に至っては眼鏡の奥で興奮を隠しきれず、早口で「打点が高い、体重移動が完璧、まさに教科書通り」と分析をまくし立てている。
(……やめてくれよ)
伊吹は唇を噛みしめる。
彼にとってこれは「奇跡的に入っただけ」の一球だ。
だが周囲の目には「全国区のストローク」に映っている。
(俺は……もう、こんな風に期待されたいわけじゃないのに)
胸の奥が冷たく沈んでいく。
ラケットを握る手のひらは汗で滑り、心臓は苦いリズムを刻んでいた。
「すげぇな伊吹! お前、やっぱ本物だ!」
先輩たちの声が背中を押す。
だが伊吹にとって、それは称賛ではなく、重荷だった。
(……やっぱり、逃げられないのか)
彼は無言のまま視線を逸らした。
その目の奥には、誰にも見えない小さな叫びが渦巻いていた。