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7/8

達成

個展と舞台の同時成功から、さらに五年が経った。


 東京の街並みは、あの頃よりも高層ビルが増え、夜景は一層きらびやかになったが、その光の下では経済の不安と社会の揺らぎが広がっていた。

ニュースは連日、就職氷河期の再来と不安定な労働環境を報じ、若い世代の中には夢を諦める者も少なくなかった。

芸術や表現の世界も例外ではない。

資金も場所も、人脈も、何かを生み出すための条件は年々厳しくなっていた。


 海斗は、今や国際的なフォトジャーナリストとして知られる存在になっていた。

 戦場の瓦礫の中や、災害直後の泥に覆われた町、避難所の片隅──そこに生きる人々の表情を切り取ることが、彼の日常だった。


 「もっと引いて撮れば安全だろ」

 そう現地の同行者に言われても、海斗は必ず一歩踏み込んだ。


 「この距離じゃないと、あの人の息づかいまで撮れない」

 その執念は、いくつもの賞を彼にもたらしたが、名声よりも大切にしていたのは、現場でしか掴めない“真実”だった。

 しかし、銃声の響く路地や瓦礫の上を歩く日々は、確実に心を削っていった。


 一方、美咲は舞台の枠を越え、映画や海外ドラマへと活動の幅を広げていた。

 英語の台本を夜通し音読し、発音に悩みながらノートに発声記号を書き込む。異国の演技法も独学で学び、国際映画祭のレッドカーペットに立つまでになった。

 それでも、華やかな照明の裏側で、美咲は時折つぶやいていた。

 「…私、どこに向かってるんだろう」

 役の幅が広がるほど、自分の核が見えなくなる。そんな日が増えていた。

 そんな二人が再び顔を合わせたのは、偶然ではない。

 国連関連の文化イベントで、「紛争地の子どもたち」をテーマにした舞台と写真展が同時開催されることになったのだ。

 舞台の主演に美咲、写真展のメインフォトグラファーに海斗。主催者は二人の過去のコラボを知り、再びタッグを組むことを提案した。


 初めての打ち合わせ。

 大きな会議室の中央で向かい合った瞬間、二人は五年前のギャラリーで交わした約束を思い出した。

 「また並べよう、新しい写真」

 美咲が笑うと、海斗もわずかに口元を緩めた。

 「…やっと、だね」

 しかし、今回のテーマは重かった。

 脚本は、実際に戦争で家族を失った子どもたちの証言を基にしている。

 海斗の写真も、瓦礫の中で微笑む少女や、泣き叫ぶ少年──命の匂いがする現場ばかりだった。

 稽古と写真編集の日々が始まった。


 美咲は役作りのため、海斗が撮った何百枚もの写真を手に取った。

 「この目…この震えた指…忘れたら、私はこの役を演じられない」

 彼女はそう言って、毎晩ノートに感情の起伏や台詞の裏に隠れた想いを書き込んだ。

 稽古場では、何度もセリフを噛み、悔しそうに唇を噛みしめる。照明が当たると、目尻に光る涙が舞台床に落ちる音さえ、海斗には聞こえる気がした。


 海斗も、美咲の稽古を何度も撮影した。

 「もう少し照明を落としてくれ。影が欲しい」

 そうスタッフに声をかけ、シャッターを切る。

 ファインダーの向こうには、あの大学生の美咲ではなく、世界と正面から向き合う“表現者”の美咲がいた。

 そして公演初日。

 会場は満席、壁には海斗の写真が整然と並び、その奥に舞台が広がっていた。

 幕が開くと、観客の表情が一斉に引き締まる。

 クライマックス、美咲が泣き叫ぶ台詞を放った瞬間、舞台上のスクリーンに海斗の写真が投影された。戦地で笑う子どもたちの姿。

 静寂の中、客席から押し殺したすすり泣きが聞こえた。


 終演後、長い拍手が鳴りやまない。舞台袖に戻った美咲と海斗は、言葉もなく拳を合わせた。互いの瞳に、全ての想いが詰まっていた。


 公演と展示は国際的にも高く評価され、翌年には海外ツアーが決まった。

 夜の打ち上げ帰り、人気のない路地で海斗が口を開く。

 「これからもやろう。俺は撮る、美咲は演じる。それだけで届くものがある」

 美咲は少し笑い、だがその瞳は真剣だった。

 「うん。五年後、またもっと大きな場所で」

 その約束は、もはや偶然の再会ではなく、必然の未来として二人の中に刻まれた。



国連文化イベントでの成功からちょうど一年が経ったころ、海斗と美咲は新たな挑戦に踏み出していた。

舞台と写真展が一体となった企画は、想像を超える反響を呼び、ニューヨーク、ロンドン、パリ、ベルリン、そしてアジア各地を巡回する大規模なツアーへと発展していったのだ。


________________________________________


ニューヨーク編

最初の公演地は、摩天楼が立ち並ぶ活気あふれるニューヨークだった。

劇場の前はすでに開演前から人の波でざわめき、期待感が漂っている。

観客席には映画関係者、俳優、文化人、国際ジャーナリストの顔ぶれがずらりと並んでいた。

海斗はロビーの白い壁に自分の写真を展示しながら、緊張と誇らしさが入り混じる気持ちを抑えきれなかった。

「この写真、あのシーンのあの瞬間だよな…美咲、見てくれるかな」

彼はつぶやきながら、ふと美咲の姿を探した。

美咲は舞台袖で、緊張の色を隠せずにいた。

「ねえ、海斗…言葉が違っても、あの写真が伝わるのかな。私の演技もちゃんと届くかな」

海斗は優しく微笑んだ。

「大丈夫だよ。あんたの声も表情も、言葉なんかなくても伝わってる」

公演が始まると、不思議な一体感が生まれた。

言語の壁があるはずなのに、観客の呼吸が美咲の台詞に合わせてゆっくりと揺れ、海斗の写真が映し出されるたびに場内が静かに反応した。

涙をぬぐう者も少なくなかった。

終演後、海斗がニューヨーク・タイムズの批評を読んだ。

「…写真と演劇が、言葉の壁を越えた瞬間を目撃した、か」

彼は小さく笑いながら、美咲にメッセージを送った。

「やったな」


________________________________________


ヨーロッパ編

ロンドンの歴史ある劇場に着いたとき、現地のメディアは冷ややかな視線を向けていた。

「若い日本人たちが、こんな重いテーマを扱いこなせるのか」と、半信半疑の声が多く聞かれた。

初日の本番前、美咲は海斗を見つめて静かに言った。

「海斗、見てて。私たちが本物だって証明してみせる」

海斗は真剣な目でうなずいた。

「俺に任せてくれ」

公演は連日満席。舞台も写真も現地の人々の心を掴んだ。

終了後、批評家の一人が言った。

「これこそ、新しい舞台芸術の形だ」

ベルリン公演のチケットは発売から数時間で完売し、二人の名はますます広まった。


________________________________________


二人の成長

繰り返される旅路のなかで、二人の関係は変化していった。

大学時代の「仲間」であり「同志」だった頃とは違い、互いの人生や弱さを深く知る「伴走者」へと昇華していた。

美咲がふと呟いた。

「ねえ、昔はただ仲良かっただけだったけど、今は…なんて言えばいいんだろう。あなたがいないと、私の表現は成り立たない」

海斗はカメラを肩に下ろし、静かに答えた。

「俺もだ。あんたがいなければ、レンズの向こうの世界は半分になってしまう気がする」

二人はもう単なる恋人や友人の枠を越えた、濃密で複雑な絆を育んでいた。


________________________________________


パリでの事件

パリ公演の前夜、街は政治的なデモで騒然としていた。

偶然そこに居合わせた海斗は、混乱の中でカメラが壊れてしまった。

「これじゃ明日の撮影が…」

落胆する彼を見て、美咲は自分のスマホを差し出した。

「海斗、あなたの目があれば、機材なんて関係ないわ」

その言葉に少し笑みを浮かべた海斗は、翌日の撮影も気合を入れて臨んだ。

急ごしらえの映像は、かえって生々しくリアルな迫力を持ち、観客の胸に強烈な印象を残した。


________________________________________


世界的評価

ツアーの最後を飾る授賞式で、二人は国際芸術賞を受賞した。

「フォト・アンド・ステージ・デュオ」として世界のメディアに紹介され、特集記事が掲載された。

夜、煌めく都市の夜景を背にしたホテルのバルコニーで、美咲が静かに口を開く。

「ねえ、これから次は何を見せる?」

海斗は一瞬考えてから答えた。


「もっと遠くへ。まだ誰も見たことのない場所に」

二人の瞳が重なり合い、未来への新たな航海が始まったことを静かに確信したのだった。




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