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出会い

 春の柔らかな陽射しが大学の中庭に降り注ぎ、桜の花びらが風に乗って舞い落ちていた。

枝の隙間からこぼれる木漏れ日が芝生の上にまだら模様を描き、あたたかな空気がゆるやかに流れている。


 日向のベンチに腰を下ろした海斗かいとは、カメラを構えてシャッターを切った。

カシャリ、カシャリと軽い音が春の空気に溶ける。

その合間に、ふと視線を遠くへ向けた。


 レンズの先――白いシャツの袖を軽くまくり上げた美咲みさきが、友達と肩を寄せ合って笑っている。

笑顔は柔らかく、春の光を受けて透きとおるように見えたが、その目元には芯の強さが宿っていた。


 「おーい、また盗撮か?」

 不意に横から声が飛び、海斗は軽く肩をびくつかせた。声の主はゼミ仲間のしん。コーヒー缶を片手に、にやりと笑って隣に腰を下ろす。


 「盗撮じゃない。ただ……撮りたくなるだけだよ」

 「はいはい、そういうのを盗撮って言うんだって。あの子ばっか撮って、フィルムも嫉妬してるんじゃないの?」

 海斗は小さくため息をつき、笑いを含んだ目で慎を見る。

 「別にそういうんじゃない。……いや、そういうのも、少しはあるかもしれないけど」

 慎は「ほらな」とでも言いたげに肩をすくめ、二人の笑い声が、舞い落ちる桜の花びらと一緒に春の風に流れていった。


 海斗は写真サークルに所属し、授業の合間や放課後、カメラを首から下げて学内を歩くのが日課だった。

美咲は同じ学部の同級生で、演劇サークルの看板役者。舞台の主役を何度も務め、その演技で観客を惹き込み、息をのませる。


 彼女の一瞬一瞬の表情を切り取りたい――そう思うのは、ただの恋心だけではなかった。海斗にはない輝きを、美咲はいつも纏っているように見えた。



放課後の誘い

 ある日の放課後、海斗はカメラを持ったまま、廊下で美咲を見つけた。

胸の奥が高鳴る。何度も練習した言葉が、喉の奥で絡まる。


 「……今度、撮らせてくれませんか。ちゃんとしたやつ」

 美咲は一瞬きょとんとし、長いまつ毛の影が頬に落ちた。次の瞬間、口元がふわりとほころぶ。


 「いいよ。ただし、条件がある」

 「条件?」

海斗は思わず聞き返す。

 「私がやってる舞台の稽古場に来ること。写真は、その中で好きに撮っていいから」


 意外な答えに、海斗は一瞬言葉を失った。演劇の世界など足を踏み入れたこともない。でも、その瞳の奥に映る期待を裏切りたくなくて、静かに頷いた。


________________________________________

稽古場の空気

 稽古場は古びた市民会館の一室だった。壁は少し色褪せ、床板はところどころきしんでいる。だが、その空間には熱が満ちていた。


 台本を片手に、俳優志望の学生たちが真剣な目でセリフをぶつけ合う。声が壁に反響し、空気が震える。笑い声も混じるが、誰もが役を深く掘り下げようと必死だ。


 海斗はその情熱に圧倒され、息を潜めるようにシャッターを切った。レンズ越しに見える美咲は、いつもの大学での顔とは違う。眉間にしわを寄せ、目はまっすぐ相手役を射抜く。汗が頬をつたっても、動きは止まらない。


 稽古が終わると、美咲が額の汗をぬぐいながら近づいてきた。

 「どう? つまらなかった?」

 「……すごかった。写真じゃ足りないくらいだ」

 その言葉に、美咲はわずかに目を見開き、次いで頬を赤らめて笑った。だがすぐに視線を落とし、真剣な声で言う。


 「好きなことって、楽しいだけじゃないんだよ。うまくいかない時は、泣きたくなるし……やめたくなることもある。でも、それでもやめなかった人だけが見られる景色があるんだ」


 その瞳の奥には、舞台に立ち続けてきた人だけが知る景色が確かに宿っていた。


________________________________________

将来の話

 大学の講義室。休憩時間になると、友人たちが将来の話を始めた。

 「就職氷河期がまた来るかもってニュースで見た。俺ら、大丈夫なのかな」

 「どうせコネとか家の力があるやつが有利なんだよ。努力しても報われるとは限らないし」

 誰かがため息をつき、教室の空気が少し沈む。

 慎が隣で「まぁ、海斗は写真で食っていくんだろ?」と半分茶化すように言ったが、海斗は笑い返さなかった。

 (本当にそうなのか? たしかに不公平だ。でも……それを理由に立ち止まるのは、何か違う気がする)

 その思いが胸の奥で静かに熱を帯びた。


________________________________________

夜道の会話

 ある夜、帰り道。海斗と美咲は並んで歩いていた。街灯が二人の影を細長く伸ばし、アスファルトの上で揺らしている。


 「海斗って、なんで写真なの?」

 歩きながらの問いに、海斗は少し考え込んだ。


 「……わからない。でも、カメラを持ってると、自分の中の迷いが少しだけ消える。シャッター切ってる瞬間は、全部がはっきり見えるんだ」


 美咲はうつむき加減でしばらく黙り、やがてぽつりとこぼす。

 「私、小さいころから家族に“普通の幸せ”を望まれてきたんだよ。安定した職、安定した生活……でも、それだけじゃ息が詰まりそうで」

 「だから舞台に?」

 「うん。舞台に立ってるとね、生きてるって感じがするの」

 その声は小さかったが、迷いのない響きがあった。


________________________________________

写真展の日

 桜が散る頃、海斗はついに自分の写真展を開いた。会場の白い壁には、美咲の舞台、仲間たちの笑顔、街角の何気ない瞬間が並んでいる。

 「……俺は、まだ撮り続ける」

 写真の前で小さく呟くと、美咲が横で微笑んだ。


 「じゃあ私は、まだ演じ続ける」

 その笑顔は春の光のようにやわらかく、しかし芯の強さを宿していた。



続きは14日18:00


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