雨海敦子44.この瞬間だけは
優大の気持ちを引き出し、昏華さんの元に留まらせる。ここまでの作戦は、恐ろしいほどに上手くいった。後は昏華さんが呼んだ人が到着次第、私がここを離れる。適切な人間を見つけて能力を使いリリラガンを討つ。これですべてが丸く収まる。完璧なシナリオだ。
私は人混みに乗じて優大の視界からさりげなく外れると、家を出た。昏華さんが教えてくれたポイントに向かおうと歩き出した時、
「雨海さん!」
背後から昏華さんの声が聞こえてきた。
「お願いです。それ以上何も言わずに優大さんのもとへ戻ってくれませんか?」
何を言ってきそうなのか予想ができてしまったから、私は振り向かずにそう告げた。
「……わかりました。どうか、お元気で」
数秒の沈黙の後、背後から再び昏華さんの言葉が聞こえてきた。私はその言葉を動力にして歩みを進めた。
何も言わずに離れるのは卑怯だろうか。しかし、こうでもしなければ心優しい優大が私と離れる事はないだろう。仮に負の感情を抱く事があったとしても、今までの事、これからの事を考えると離れるメリットの方が圧倒的に大きい事は間違いない。間違いないのだ。
短い間ではあったが、再び一緒に暮らす事ができた。優大の夢も果たせたのだ。これ以上はもう、一緒にいる理由がない。疫病神はこれにておさらばだ。
昏華さんに提案し、ここの住人たちに頭を下げてお願いした。誰の勧めでもなく、自分で決めた事。それなのに、足を進める度に感情が零れ落ちてしまうのはきっと、こんな選択しかとれない不甲斐なさ、そしてこの期に及んでまだ離れたくないなんて考えてしまう己の傲慢さからくるものなのだろう。
大丈夫。私は大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫なんだ。
もう十分に夢を見た。昔の私なら到底あり得ない事。
これが最善。最適解。だから、だからさ。
……止まってくれよ。
気づけば、目的地に到着していた。もう他者の声はほとんど聞こえない。昏華さんの話によれば、もうあと数時間くらいで迎えがくるはずだ。
私は辺りを見渡すと、一番近くにあった建物の壁に腰かけ空を仰いだ。
現実世界とは違い、曇ってもいないのに少し薄暗い。意味が分からないくらいでかい得点板は、両者ともに少しずつ数を減らしている。私も死ねば、数字が一つ少なくなるのだろう。この世界では、私の死なんてただそれだけの事。そう考えれば、なんてちっぽけな生命なんだろうと思う。それなのに、なんでこんなにあれこれ考えているんだろう。
……あぁ、だめだ。
思わず俯くと顔を覆った。考えては、思ってはいけない事なのに。ましてや口になんて出していいはずがないのに、もう喉元まで出かかっている。
お前には、まだやるべき事があるじゃないか。もう少しの辛抱だ。この場を離れる事ができれば、環境が変われば気持ちも変わってくれるはず。だから——
「死にたい」
先ほどから止まってくれない涙とともに思わず流れ出てしまったその言葉は、今まで受けてきた数多くの厚意たちを無に帰してしまう気がしていたから、口にしてしまった私に対して憎悪感を抱くには十分だった。
悲劇のヒロインぶりやがって。メンヘラ野郎が。嫌いだ。お前なんか。心底大嫌いだ。
「よっこいしょ」
唐突に頭上へ降ってきたその言葉で我に返った。右隣を見ると、いるはずもない優大の姿がそこにはあった。私が発つまで、ここの住人たちが足止めをする手筈だったはずなのに。私は気づかれないように急いで涙を拭うと
「パーティーの主役がこんなところで何してるの? 戻らないと失礼だぞ」
少しおどけた態度でそう伝えた。
「ここにいたいんだ」
優大は私を見つめながらそう口にした。
「じゃぁ、私は移動するね」
そう言って立ち上がると、優大も同時に立ち上がってみせた。
「ここにいたいんじゃなかったの?」
「言葉足らずだった。僕は敦子のそばにいたいんだ」
「私は一人になりたいの。ついてこないで」
そう吐き捨ててその場を離れたが、優大はびっちりと後を着いてきた。
「ついてこないでって言ってるでしょ!」
「死にたいと言う君を独りにはできないよ」
優大は私の右手を掴むと、そんな言葉を口にした。その瞬間、自身の心が大きく揺さぶられるのを私は見逃さなかった。
だめだ。これ以上は。決めたじゃないか。何があろうとも、これが私の進むべき道なのだから。
「この際だからはっきり言うけど、私は自身の後悔を果たしたいの。私の運命の人は優大じゃない。だから探しに行く。ここを離れるの。わかった? もうついてこないで」
私は優大の手を振り払うと、睨みつけながら精一杯に言葉をぶつけた。
「じゃぁ、僕も一緒に行くよ。二人で探せば見つかる確率が上がるかもしれないしね」
そんな事言わないでよ。やめてよ。
「だから!! そうじゃなくて。あんたはここに残るの。昏華さんと幸せに暮らすんだよ! 私との関係はこれで終わり。あんたの夢は叶ったんだから、もういいでしょ? これ以上その面見せないでよ!」
痛い。苦しい。死ぬなんかよりもよっぽど辛い。だけど、これで——
「自分の事ばかりで散々振り回した。たくさん巻き込んだ。それなのに、何も言動に示せてなくて、何も気づけなくてごめん。挽回できるように努める。必ず役に立って見せるから。だから、僕も連れて行ってほしい」
優大はそう言うと、深々と頭を下げてきた。
違う。そうじゃない。何で? どうして謝るんだよ。どうしてそんな事言うんだよ。
「……私と来るって事は、お母さんとまた離れ離れになるって事なんだよ? 二度と会えなくなるかもしれない。だって、バリア外に一歩でも足を踏み入れば、そこは戦場なんだから。能力がないあんたは確実に死ぬ。絶対に後悔する。それでも私と離れたくないなんてほざくの?」
「もちろん」
当たり前のようにそう口にした優大に近づき胸ぐらを掴んで頭を上げさせると、
「やめて。目障りなの。さっさと私の前から消えて?」
そう至近距離で言葉を吐き捨て、突き放すように解放すると背を向けた。
「リリラガンを倒して敵を討つ、母さんと一緒に暮らして平穏を手に入れる。僕にとって大事なそれらすべてを失う事になったとしても、今後どんな困難に見舞われたとしても、どんな事より何より僕は敦子と一緒にいたい。隣にいてほしいんだ。
もちろん、敦子の気持ちは尊重したいと思っている。後悔の邪魔はしないと誓うよ。だから、敦子の後悔が果たされるその瞬間まで、僕と一緒にいてくれませんか?」
こんなに突き放したのに。ひどい事ばかり言ったのに。何で? どうして?
「自ら幸せを手放そうとするなんて馬鹿じゃないの?」
「……そうか。ようやく意味がわかったよ」
「え?」
「僕は今、敦子と一緒にいる。今、まさにこの瞬間も僕は幸せなんだ。この事実だけは、誰にも否定はさせない。だから僕が敦子と一緒にいたいと口にするのは、誰かに頼まれたからでも、敦子のためでもない。僕自身が敦子と一緒にいたいから。幸せでいたいから。そんな私利私欲の塊だから、今もこうして縋っているんだよ」
そんなわけないじゃないか。
「嘘だよ」
「嘘じゃない。本心だよ」
首が千切れるほど左右に振り、言葉で否定しても、優大の言動はそれを肯定しようとはしなかった。
そんなわけがないんだよ。
「私は優大の人生の汚点だよ? 上手くいかない人生を歩ませてしまった根源だよ?」
「そんなわけないだろ!!」
優大は声を荒げると、私をまっすぐに見つめた。
「……ごめん。だけど、二度とそんな事言わないでくれ」
しかし、すぐに悲しそうな表情になると、そう声を漏らした。
「確かに敦子との出会いは、僕の人生を大きく左右させた。辛い事も苦しい事もあった。だけど、汚点なんかじゃ決してない。むしろ、幸せの道へと切り替わる分岐点だったんだ。
僕の力量不足で死人を増やしてしまった。敦子に負担をかけて、無理をさせてしまった。上手くはいかない事ばかりだったけど、敦子と過ごした日々が、敦子という存在が僕を支えてくれた。敦子との何気ないひと時が、時間が、空間が僕は幸せだと心から思うから、これからも敦子と一緒にいたい、敦子と幸せを噛み締めていきたいと思うんだよ。
母さんと過ごす日々も、もちろん幸せだろうけど、僕の最も大切な夢は敦子と一緒に生きる事。これが僕のすべてなんだ。幸せに優劣をつける気はないけれど、幸せになるなら敦子と一緒がいい。確かに叶った夢だけど、だからって終わりじゃない。むしろ始まりにすぎないと思っているくらいだよ」
私の一方通行だと思っていた。私といる優大は、私の事を気にかけ自分を犠牲にする。だから、優大は幸せになれない。なろうとしていないと思っていたのに。
「自分で何を言ってるかわかってる?」
「もちろん」
「私、優大が思ってるような人間じゃないよ。面倒くさいし、うざいし、むかつくし、最低だし。自分の事ばっかりで——」
私が言葉を吐き出していたその時、優大は顔を顰めたかと思うと勢いよく近づき私にキスをした。
「な、なに!? やめてよ!」
思いもよらない行動に動揺し、思わず優大を突き放すと
「なんかむかついたから」
そう言って口を尖らせた。
「……だって、事実だし」
「何を言われたところで、僕の中で敦子の人物像がぶれる事はないよ。つまり、敦子と一緒にいたい気持ちが変わる事はないんだ。だからさ、観念してくれないかな?」
優大は、最後まで視線を逸らすことなく言い切ってみせた。
今度は私が支えるんだ。優大を守るんだ。そして、何があっても幸せへと導くんだ。勝手にそんな事を決めたからなのか、いつの間にか私は優大に見栄を張っていたのかもしれない。自己消化した気になっていたが、こんなにも湧き出て止まらないのだから、本当は貯め込んでいただけのようだった。
「……ごめん。嘘ついた。優大以外ありえないのに。私だって優大と一緒にいたいのに。ひどい事言ってごめんね」
どんなに堪えようとしても溢れ出てくる涙を、優大は何度も拭ってくれた。
だめだ。まだ間に合う。
「僕の方こそ、辛い思いをさせてごめんね」
不安そうな表情で優大は再び私に謝ってきた。
止まれ。これ以上は……。
「ううん、幸せだよ」
理性なんかお構いなしに、ぼやけた視界ながらも優大を一点にとらえ、私がそう伝えると
「僕の方が幸せだよ」
優大はそう言い、再び私に優しくキスをした。優大の唇は私の身体の強張りを和らげるには十分だった。
今じゃない。だめなんだ。拒んで、否定しなくちゃならないのに。
私の全細胞が、今すぐ離れろと叫んでいるのがわかる。しかし、渇望していたこの瞬間だけはそんな思いを投げ出してしまうくらい、私は幸せに満ちてしまっていた。




