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雨海敦子42.その事実だけで

 皆それぞれ酔いが回って場が落ち着き始めた頃、私は『外の空気吸ってきます』と言うと、その場を離れた。


 星なんて見えない空をただ眺めなから、思いにふけっていると


「どうかな? 少しは楽しめた?」


昏華さんが私の隣に来てそう口にした。相当飲んでいたように見えたのだが、まるで素面であるかのような様相だった。


「……はい。とても賑やかで、楽しかったです」


「そりゃよかった」


 そう言い、昏華さんは私に笑みを見せた。


 歓迎会の間、昏華さんは一度も今後の事について口にはしなかった。二人で話をした時も、結局うやむやになってしまったし、大事なことなのだからはっきりさせた方がいいだろう。


「現役バリバリで敵と戦闘しているグループがあるんだ。そこのトップと知り合いなんだけど、歓迎会前に連絡しておいた。早ければ明日中には二人を迎えに来てくれるよ」


 私より先に口を開いたのは昏華さんだった。


「……それって!?」


「勝手にことを進めてごめんね。でも、さすがに無計画で放り出すわけにはいかないから。人員も十分だし、そこでなら新しい能力を見出し、リリラガンを討伐できる可能性だってゼロじゃない」


「どうして急に?」


「親の立場という権力を振りかざし、縛りつけるのはエゴだと思ったから。そもそも、親らしい事を何もできなかった母親失格の私にそんな事をできる権利なんてないんだけどね」


「何が親らしいかはわかりませんし、部外者の私が言うのは無責任なのかもしれませんが、たった短い間しか関わっていない私でも、昏華さんの優大さんを思う気持ちを大変感じました。そんな昏華さんが母親失格だなんて私には到底思えません」


「お世辞でも嬉しいよ」


 昏華さんはそう言うと、小さく笑った。


「そんなこと——」


「優大が生まれてくるとわかった時、素直に嬉しいという思いだけが体中を満たしていた。だけど、いざ生まれて我が子を抱いたその途端、上手く育てる事ができるのだろうかという恐怖心が宿ってしまった。先人の知恵を漁って、育児の知識を蓄えても恐怖心は拭えなかった。だけど、そんな無責任な思いで優大と向き合えるわけがない。わかっていた。だから私は、夢を掲げたんだ」


「手の届く範囲の人たちくらいは笑っていて、幸せでいてほしい。そのためなら何だってする。ですよね?」


「……その通り。誰もが認める素晴らしい人間になれば、恐怖心は消えるはず。もし消えなかったにしても、素晴らしい人間の背中を見て育つ優大は、立派に育ってくれるだろうと信じて疑わなかった。

 だけど所詮、夢は夢だ。こんな漠然としていて、小学生が考えたような夢を口にしたところで叶うはずもない。私は私が理想とする最も素晴らしい綺麗事を口にして、母親になろうとしていただけ。優大と向き合ったという口実を形にしたかっただけの自分勝手で最低な人間なんだ」


 昏華さんは、己を傷つけるようにそう吐き捨てた。


「昏華さんは、理想の自分になれなかったのかもしれませんが、優大さんが両親の背中を見て育ったのは事実です。そして、優大さんが素敵な人である事実も決して揺らぐ事はありません。だから、気負う必要はないんじゃないですか?」


「確かに優大は立派に育ってくれた。それは紛れもない事実だ。だけど、私が口にした夢は、優大を過去へと縛り付ける呪いとなった。優大の人生において、大きな障害になってしまった。

だから今更、理想に近づけたくらいで償いたいと口にしたところで、虫が良すぎるのだと知っていた。何をしても手遅れなんだとわかっていた。

もちろん、簡単に諦めるつもりはなかったよ。だって私は優大の事を愛しているから。この愛だけは、あの人にだって負けていない。世界で一番だと自負していた。だけど、どうやら違ったみたい」


「どういう事ですか?」


「私は死ぬ直前まで優大の事が気がかりだった。優大を残して死んでしまう事をひどく後悔した。だけど、狭間世界に来て聞こえてきた私の後悔は『なりたい私になれなかったこと』だった。結局、優大の事を気にかけていたつもりになっていただけで、私は己が一番可愛いだけのクソ野郎だったんだ。

あなたの後悔を聞いたその瞬間、あなたと優大を送り出す覚悟が決まったの。あなたがそばにいてくれるのならば、優大もきっと幸せなはず。だから、これからも優大の事をよろしくお願いします」


 そう言うと、昏華さんは私に頭を下げてきた。


「親子揃って己を過小評価し過ぎです。あれこれ考えすぎなんですよ。一緒にいたい。その事実だけで十分じゃないですか」


「そんな簡単な話じゃない事はあなたもわかっているはずでしょ?」


 昏華さんは顔を上げると、そう言って表情を歪ませた。


「確かに優大さんは、昏華さんの夢に捕らわれていました。己のために生きようとしない優大さんは、はたから見てとても辛そうでした。でも、その夢を口にした昏華さんに対して負の感情を表に出した事は一度もありませんでした。それに、もし仮に優大さんが昏華さんの事を内では憎んでいたとしたら、再会した時の言動が矛盾すると思うんです。そこのところは、どうお考えですか?」


「それは……」


 昏華さんは言葉を詰まらせると、視線を下へと追いやった。


「愛に優劣なんてつけないでください。昏華さんの優大さんに対する思いが本物であるのなら尚更です。

大丈夫。ここを離れると優大さんは口にしていますが、昏華さんと一緒に暮らしたいと心の底から思っているはずです。私も協力しますから、じっくり話してお互いが納得する結論を見つけていきましょう」


「あなたは絶対に私の事、憎んでると思ってたのに」


「世界って狭いんだなぁとつくづく痛感しました。今思えば、あれが幸せという感情を初めて体感した瞬間だったかもしれません。とにかく私は、間違いなく昏華さんの夢に救われた人間の一人ですから」


「どういう事?」


「まぁ、いいじゃないですか。そろそろ中、入りましょうか」


 そう言うと、私は戸惑っている昏華さんの手を引いて家の中へと入っていった。


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