雨海敦子41.わかっていたくせに
「おーい。起きてくれー」
優大の声が頭上から聞こえてくる。どうやら、いつの間にか眠っていたみたいだ。
「……どうしたの?」
大きく伸びをした後、何とか体を起こして優大の方を見ると、隣には昏華さんがいて、にこやかな表情でこちらを見つめていた。
「母さんが二人きりで話したいみたいなんだけど、大丈夫そう?」
「……うん。大丈夫」
「急にごめんね。じゃぁ、外出ようか」
いきなりの出来事に戸惑わずにはいられなかったが、昏華さんはお構いなしに私を外へと誘導した。
扉を閉め、向き合う形になった時、昏華さんの表情は一変し、途端に真顔になった。
何を話すのだろう。優大が現世での出来事を話したと仮定すれば、その件を非難されるのだろうか。
「優大から、あなたの事をたくさん教えてもらいました。まずは一言、言わせてください。優大のこと、今まで支えてくださり誠にありがとうございました」
昏華さんはそう言うと、深々と頭を下げた。
「あ、頭を上げてください。私は何もしていません。むしろ、足を引っ張ってしまっているくらいですから」
想定外の言動に思わずたじろいだが、頭を上げた昏華さんの表情を見て私はすぐに正気に戻った。
「そんなあなたに、お願いしたい事がございまして。どうか、優大から身を引いてはいただけないでしょうか」
まさかド直球でくるとは思わなかった。それだけ、昏華さんも本気ということなのだろう。
「優大は十分に頑張った。だから、後は余生を謳歌してもらいたいのです。ですが、あなたがいる限り、優大は頑張ろうとしてしまう。あなたを思い、身を削ってしまう。だからどうか、優大のためにも身を引いていただきたいのです。お願いできますか?」
何も答えられない私に対して、昏華さんはオブラートに包まず、そう続けた。
私は優大と一緒にいたい。だけど、私がいることで、また優大が苦しむことになる可能性があるのなら、私はそれを望まない。望まないけれど、二重線を引けなかった項目たち。私の後悔。優大と離れることで、それが果たされる瞬間は二度と訪れなくなってしまう。
……何を考えているんだ。今は私の気持ちなんて関係ないじゃないか。
「優大さんが、優大さんのために私と離れるという選択をとるのなら、私は喜んで受け入れます。ですが、いくら母親と言えど、他者の意見だけで優大さんと離れるという選択をとることはできません。申し訳ございません」
私の気持ちなど関係ない。しかし、だからと言って昏華さんの要望を二つ返事で了承できるほど軽いものでもない。だから、離れなければならないのだとしたら優大本人の口から、優大の言葉で私を拒んでほしかった。
「優大はあなたを傷つけるような選択はとらないと思います。ですから、自ら身を引いていただくよう提案しているのです」
……そんな事はわかっている。痛いほど知っている。
「身勝手な思い込みが人の人生を狂わせてしまう事だってあるんです。私が一方的に身を引くことで、優大さんがどのような感情を抱くのか定かではありませんが、ほんの一欠片でも負の感情を抱かせてしまうのであれば、やはり私は賛同しかねます。ですが、昏華さんのお気持ちが理解できないほど、バカではないつもりです。
もしよろしければ、今後の事について三人で話し合って決めるというのはいかがでしょうか」
選択から逃げるように、私はそう口にした。
「……あなたにとって、優大は一体どのような存在なのでしょうか?」
そんな私の提案に対して、数秒の沈黙の後、昏華さんはそう言った。
「自分が傷つく事なんて二の次で努力や頑張りをひけらかそうとせず、まるで何もしていないかのように振る舞ってくる。そんなお人よしでむかつく人。
カッコよくて、眩しくて、憧れで。一緒にいると心がポカポカする。安心する。恥ずかしがり屋で、たまにはにかむ笑顔がとても可愛らしくて、いつまでも見ていたい、一緒にいたいと思える。そんな素敵で、優しい人。
何でも自分の中で決めて勝手に突っ走って独りになろうとする。だけど本当は、寂しがり屋で泣き虫で。だからこそ、一緒に悩みたい。守りたい。寄り添いたい。そう思える人。
私は優大さんに救われた。優大さんは私の人生を百八十度変えてくれた恩人なんです。それなのに、自分の事を蔑んで過小評価をしてしまうやっぱりむかつく人。そんな優大さんに私は……」
いつの間にかスイッチが入ってしまい、取り繕わずに本音を吐いていた自分に気づいて何とかせき止めると、
「……すいません。とにかく、私にとって優大さんは特別な存在なんです」
そう言って口を閉じた。
「……あなたの後悔を教えてくれませんか」
昏華さんはそう言うと、物悲しげにほほ笑んだ。
私は、後悔の内容をすべて吐露した。この人には、隠す必要はないと思ったから。
「お時間をとらせてしまい、申し訳ございませんでした。用事を思い出したので、これで失礼します。優大に、よろしくお伝えください」
私が述べた後悔の内容には触れず、表情を隠すように背中を向けながら唐突にそう言うと、昏華さんは私の視界から消えていった。
諦めてくれたのだろうか。それとも、日を改めて話し合っていくことになるのだろうか。はっきりしないまま唐突に終了してしまったが、伝えたいことは言葉にできたはずだ。悶々としてはいるが、私は一度深呼吸をした後、家の扉を開けた。
「変なこと言われなかった?」
開けて早々に、優大が駆け寄ってきて私にそう言ってきた。
「大丈夫。素敵なお母さんだね」
そう口にした瞬間、昏華さんの言葉たちが思わず腑に落ちてしまった。話をしている間は、御託を並べるのに必死過ぎて頭から抜け落ちていたのだろう。どれだけ取り繕おうが、私が部外者なことに変わりはないんだった。わかっていたくせに。
「ん? 敦子? どうしたの?」
心配そうに顔を覗き込んでくる優大が視界に入り、何とか我に返ることができた。
「い、いや。何でもないよ。それより色々気を張って疲れちゃった。横になってくるね」
そう言って有無を言わせず話を切断すると、寝室の方へ歩みを進めた。
優大が何かを伝えようとしてくれていたのはわかっていたが、今はどんな言葉も正面から受け止められる自信がなかったから、私の足が止まる事はなかった。




