雨海敦子35.アランバーグ・リリラガン
佳那とのやりとりの後、いつの間にか寝ていた私だったが、何かが割れるような激しい高音で目が覚めた。どたどたと慌ただしい足音が遠ざかっていく。何かあったのだろうか。
能力を何回も使用したせいか身体がやけに重く感じたが、何とか立ち上がると外へと向かった。
扉を開けると、松杉と佳那、それと宙に浮いている見知らぬ男が視界に入った。
「はぁぁああ!!」
松杉は男に両手のひらを向けて声を張り上げると、覆うようにバリアを展開させた。
「おいおい。ワンパターンかよ。つまんねーなぁ」
そう言うと男は空中であぐらをかきながら、一切触れもせずにバリアを破壊させた。
「そんなわけないでしょーが。まだまだ序の口だっつーの!」
そう声を張り上げる松杉だったが、両手が小刻みに震えていた。私に対して何度も能力を使用していたのだから、身体はもうすでに限界がきているはず。おそらく、敵に悟られないよう虚勢を張っているのだろう。
「あいり——」
「プランZN。忘れてないよね?」
佳那も気づいたのだろう。声をかけようとした時、松杉がそう呟いた。
「……嫌。だめだよ」
プランZNとは一体なんなのだろうか。佳那は松杉の言葉を聞いた途端そう言うと、顔をしかめて何度も首を横に振り始めた。
「約束しただろ!! 行け!!!!!!!!」
佳那は松杉の怒声で動きを止めると、俯きながらも施設の中へと入っていった。
「うるせーな。部下には優しくしてやれよ。まぁ、皆死ぬから関係ねぇけど」
男は呑気にあくびをしながらそう言った。
「部下じゃない。仲間だ!!」
松杉はそう言うと、男の周囲に再びバリアを展開させた。
「なんか安っぽいんだよな。中古ショップとかに売ってそうなやつ。それも、埃かぶりかけ」
男は退屈そうにそう言うと、やはり何もせずにバリアを破壊してみせた。
「ここは私が食い止めるから、雨海さんは至急佳那のもとへ!」
緊急事態であることは、狭間世界に来て間もない私でもわかるほどだった。今の状況を見るに松杉一人では到底太刀打ちできそうにないのだが、私がこの場にいたところで状況を変えられるわけもない。むしろ松杉の足手纏いになるだろう。
私は松杉に従い、扉を勢いよく開けて室内に入った。そのままの足で佳那を探し、病室にいるところを発見した。
「佳那!」
私がそう叫ぶと、佳那の左隣のベッドに横たわっていた患者の一人が唐突に姿を消した。
「今、患者をもとの場所へ帰しているところ。大丈夫、イレギュラーな感じになっちゃったけど、必ずあつあつも届けるから」
佳那は私の方を見ずにそう言うと、別の患者が横たわっているベッドのそばまで近づき、再び患者を消した。
もうすでに半数以上のベッドは空になっている。このペースであれば、あと数分で送り届けることはできるだろう。
「プランZNってなに?」
「どうしようもない敵と相対した際、あいりんを残してその他の人間は素早くその場を離脱すること。それがこの施設ができた際にできた唯一の決まりなの」
「そんな……」
「バリアを作れる能力の人は他にもいるけど、りんりんの能力はもちろん、私の能力も希少なんだって。『誰かが足止めしないと全滅するのなら、私がその役を担う。能力的にも適任でしょ?』って言って、最終的に押し通されたんだ」
「私が……、私が我儘言ったから能力を……」
「いや、関係ないよ。あの男の名は、アランバーグ・リリラガン。風を扱う能力の使い手であり、魔罪人の一人なんだ。持てるすべてをぶつけても、私たちでは歯が立たない。それほどまでに最強で、最悪なんだ」
そう説明しながらも、患者を一人ずつ消していき、気づくとすべてのベッドが空になっていた。
「りんりん。行くよ」
部屋の隅で蹲っていた鈴間は、佳那のその言葉で顔を上げた。
「あぁ、うぅ」
何か言いたそうにしているが、言語になるまでには至っていないようだ。
「あつあつも私の近くへ。行き場所は同じだから」
そう言うと、佳那はようやく私の方を見た。悔しい、悲しい、辛い。きっと様々な感情を抱いているのだろうが、佳那の顔には笑顔が張り付いていた。
私が有無を言わずに佳那のもとへと近づいたその時だった。
「……行かな、い」
か細い声が、どこからともなく聞こえてきた。
「何年振りだろ。りんりんの言葉久しぶりに聞いたな。でも、それ本気で言ってる?」
どうやら声の正体は鈴間だったようだ。鈴間の方を見ると、目を泳がせ、手をグーパーさせながら、小さく何度も頷いている。
「死ぬんだよ? 後悔残ったままになっちゃうんだよ?」
佳那がそう問いかけても、鈴間は頷くことをやめなかった。
「りんりんはわかってない! もう次はないんだからね? それに、私はあいりんと約束した。りんりんも約束した。気持ちに答えてあげようよ」
佳那は鈴間の両肩を両手でつかむと、そう声を上げた。
「愛理、一人に、なる。一人、はさ、寂し……い」
「死んだら何も残らない。寂しいなんて感情も消えちゃうんだから!」
「死ぬまで、は感情ある。だか、ら一人で、死んで、ほしくない」
佳那の気持ちに負けじと、鈴間も思いを口にしている。きっと松杉にはお世話になったのだろう。
「……ったく。シャイなくせして、実は強情だったんだね。わかったよ」
佳那はそう言うと、ほほ笑みながら鈴間の頭を優しく撫でた。次の瞬間、建物が激しく揺れ始めたかと思うと、その勢いは増していき、一度瞬きをした時には辺り一面荒野へと様変わりしていた。何が起きたのか理解できないでいると、
「あいりん!!」
佳那が悲痛な声を上げた。佳那の視線の先に目をやると、切り傷だらけの松杉が辛うじて立っていた。肌の色よりも、鮮血の方が目立つほどに出血している様子が見て取れる。
「あぁ? もっとゴミがいると思ったんだけどなぁ」
リリラガンは、大きなため息をつくと首の骨をゴキゴキと鳴らした。
松杉はよろけながらも、リリラガンの周囲にバリアを張った後に私たちの方を見ると、
「ふざけるんじゃねぇよ!! 早く行け!! 行っちまえ!!」
そう声を張り上げた。
立ち上がろうとしたのだろうか。鈴間は、動き出したがすぐに尻もちをついた。全身が震えており、とてもじゃないが立てそうにはない様子だ。
「さっきの威勢はどうした? ほらっ、行くよ」
佳那はそんな様子の鈴間を背中に乗せると、松杉の方へと歩き出した。
「佳那……?」
私がそう呟くと、
「あつあつの言う通り、言い聞かせたところで何も変わらない。だからね、自分に正直になろうと思うよ」
佳那は振り向き、ほほ笑みながらそう言った。
「いい加減にしろ!! 私の変わりならいる。お願いだから守らせてくれよ!」
松杉の怒号に対して、佳那が歩みを止めることはなかった。
「ドライブ中の交通事故で、隣に座っていた娘だけが亡くなった。後悔は、娘を守れなかったことだったよね。だけどさ、私たちはあいりんの娘じゃない。仲間なんだ」
「大切な人には変わりないんだ。今なら間に合うから。お願いだ!」
「そう思ってくれるのは嬉しいな。だけどね、それは私たちも同じこと。大切な仲間を一人で死なせるなんてできないよ。もう何十年も一緒に過ごしてきた。苦楽を共にしてきたんだ。だからってわけでもないんだけどね、最後だからこそ一緒にいたいって思ったんだ」
「……だめだよ」
「だめじゃない。あいりんの能力に代用はあっても、私たちにとってのあいりんに代用なんてきかないんだから」
佳那はそう言い松杉のもとへたどり着くと、鈴間を背中から降ろして松杉を一点に見つめた。鈴間も変わらず全身を震わせているが、今度は尻もちをつくことなく松杉を見つめている。
「……バカだね。佳那も、凛も」
松杉はそう言うと、二人の頭に手を乗せた。次の瞬間、破裂音とともにリリラガンを覆っていたバリアが砕け散った。
「おーおー。今のやつは中古良品ってとこか?」
リリラガンは、にやにやしながらそう言った。
「今のバリアは私のすべてを出し切ったものだった。破られたからには私の、いや、私たちの負けだ」
「……もう終わりかよ。やっぱカスだな。死ねよ、お前ら」
リリラガンは真顔になると、そう言葉を吐き捨てた。
「あつあつ。親子共々託しちゃって悪いんだけどさ、もう一度奇跡が起きたその時には父さんに伝えてほしいんだ。『お気に入りのギター、壊しちゃってごめん。ちゃんと生きられなくてごめん。大切にしてくれてありがとう』って」
佳那は私の方は見ずに、リリラガンを見据えながらそう言った。
「わ、私……佳——」
何を言えばよかったのか、何を言おうとしていたのか。自分でもよくわからないまま、そう口に出していた途中、途端に視界が真っ黒に覆われた。しかし数秒後には、その黒が薄れていき、気づくと見知らぬ建築物が目の前に鎮座していた。
「あ…、あぁ」
視界が切り替わる直前に見えた景色は、見えない何かによって三人の首が宙へ飛んでいる光景だった。私は何もできなかった。ただ立ち尽くし、茫然としていた。あまりにも無力だった。私は膝から崩れ落ち、両手を地面に付けると、しばらくは獣のようなうめき声を上げながら涙で大地を濡らすことしかできなかった。




