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須々木優大20.幸せ

 雨海敦子に再び会えたのは、あれから一週間が過ぎた頃だった。労働が終わり、いつものように囚人が自由時間中に滞在できる部屋で雨海敦子を探していると、何食わぬ顔で部屋に入ってきた。


「なんであんな事をしたんだ」


「須々木さんに近づくためには、これくらいしないといけなかったから」


 勢いよく近づき、問いただすと雨海敦子は笑顔でそう言った。


「そんな事のために罪を犯すなよ! バカじゃないのか? 人生は捨てたもんじゃなかったんだろ?」


 思わず声が大きくなってしまった。


「そんな事をしなきゃならないくらい、私には大切な事だから。悔いは一つたりとも残したくないしね」


 しかし、雨海敦子は怯む事なくそう言った。


「どうして僕に構うんだ。少しでも罪悪感があるのなら、幸せのままでいてくれればよかったのに」


「私はこの七年間、やりたいように生きた。十分に幸せだった。須々木さんと刻んだノートはいつの間にかびっしりと埋まって、気づけば二重線だらけ。でも、どうしても達成できない項目があったから。私は私の人生のため。悔いのない生涯にするために須々木さんを利用する。そのためにここに来たの」


「だったら、面会の時にでも達成すればよかったじゃないか」


「それじゃダメだったんだよ」


「なんなんだよ。達成できなかった項目って」


「教えない。私にたくさん隠し事をしていた罰だ。まぁでも、私は鬼ではないから。これから毎日自由時間中に話をします。その中にヒントが隠されているかもしれないね。じゃぁ、さっそく今日のお話に参りましょう!」


 そう言うと、雨海さんは語りだした。長々と話していたが要約すると、バンジージャンプをする時は目を開けた方が楽しいというどうでもいい内容だった。







 それから毎日、自由時間がくる度に雨海さんは僕に語り掛けてきた。


 気付いた事が一つ。それは、内容のほとんどが僕が抱いた事のある夢に関する内容だった事。叶えられなかった僕への当てつけだろうか。


 いや、わかっている。雨海さんはそんな事をするような人間ではない。おそらく、雨海さんなりの僕への贖罪なのだろう。この事から推測するに、雨海さんが達成したい事はおそらく、叶わずに果てた僕の夢を代わりに叶えて思い出を共有する事。僕はそう結論づけた。


「ありがとう。僕の夢だったものを体験してきてくれて」


 世界一周シリーズがひと段落したタイミングで、僕は雨海さんにそう言った。


「いいえ。所詮は私の体験談。それに須々木さんが一番叶えたがっていた夢は、私にどうこうできるものではなかったから。その時点でただの自己満足だよ。むかつくよね」


 雨海さんは一つ大きな深呼吸をすると、話を続けた。


「この世は理不尽で溢れかえっている。そんな世界を変える事はできないけれど、手の届く範囲の人たちくらいは笑っていて、幸せでいてほしい。そのためなら何だってする。

 これが、須々木さんのお母様が抱いていた夢。そして、須々木さんが叶えようとしていた夢。

 須々木さんの病が引き金となり、亡くなられたお母様の夢を代わりに叶えて償うために、須々木さんは努力を重ね続けていたんですよね。私はその努力を握りつぶし、未来すらも奪ってしまった。取り返しのつかない事をしてしまった。本当にごめんね」


 クソ親父にでも聞いたのだろうか。余計な事をしやがって。


「僕が何も伝えなかったから。君は何も悪くないよ」


 そう言うと、笑顔を作って見せた。


「……たったそんな言葉と表情だけで、私の過ちが許されてたまるかよ。須々木さんは何もわかっていない。己が与えた影響を。私が行った言動の意味を。大体、私は須々木さんのお母様の夢、大嫌いだ」


 雨海さんはそう言うと、真剣な表情で僕を見つめてきた。嘘を言っているようには見えない。


「……馬鹿にしてるのか」


 そう口に出したものの、不思議と怒りの感情がこみ上げてくる事はなかった。


「馬鹿にはしていない。大嫌いなだけ。だって、その夢の幸せの中に自身は入っていないんだから。私は夢を叶えて幸せをつかみたい。たとえ叶わなかったとしても、努力した分くらいは報われたいから」


「周りの幸せで自身も幸せになれる。現に僕も——」


「なに綺麗事言っているの? 他人の幸せで自身も幸せになったと思うのは、自身が幸せではない事を隠すため。誰かの幸せを自身のものだと錯覚させて、現実を見ないようにしているだけだよ。その証拠に須々木さんは、私と再会してから一度も本気で笑っていない。須々木さんは今、幸せとは真逆の位置にいる。私はそう感じるよ」


「……じゃぁ、それでもいい。幸せになるためにここにいるわけじゃないから」


 雨海さんは、眉を顰めると再び口を開いた。


「須々木さんのお母様は自分の息子を救うため、自分の夢を叶えるために自ら指を切断し、薬を接種した。お父様が殺したというのは真っ赤な嘘。憎しみを己に集めれば、須々木さんが生きる希望を見失う事なく生きていけると、お父様は考えたんだそうです。

 副所長は不死身の肉体を手に入れるという己の夢を叶えるために、データ回収に時間を使って爆死した。

 確かにどれも、須々木さんがいなければ起きなかった出来事。でも、須々木さんの非は私には一つも見当たらない。背負う必要など本来はない。それを誰も望んではいない。世界中どこを探しても、須々木さんを憎んでいる人間なんていないのだから。須々木さんが、須々木さんだけが自身を許していないだけなんだから。だからもう、許してあげてほしい。幸せの片鱗くらい握らせてあげてほしい」


 僕が病にさえかからなければ、こんな事にはならなかった。僕がいなければ、誰一人として死ぬ事はなかったのに。クソ親父に芝居など打たせる必要もなかったのに。


「……どれだけの人間が死んだと思っている?」


「それはその人たちが望んだ事。須々木さんのせいではないよ」


「手段を与えてしまったんだ。僕のせいだろ」


「手段があっても、死にたくないと心に少しでも抱いている人間は死のうとしない。本当に死にたいと望んで死んだ人間に対して、罪悪感を抱くなんてお門違い。むしろ感謝されるべきだよ。

 己の思いに従った結果、それが死につながっただけ。やりたいようにやって死んだのならば、人生に悔いはあれど須々木さんに恨みなどはない。断言してもいい。

 須々木さんはどうなの? 他人の夢に生きて、他人の人生の終幕に罪悪感を抱いて、己を縛って死を渇望して。それが須々木さんの意思? それが本当に須々木さんの描きたかった未来なの?」


 違うよ。当然だ。


 一端の幸せを誰かと共有して、家庭を築いて普通に生きて。最後は思い出を噛みしめながら誰かに見守られたい。そんなどこにでも有り触れている平凡な未来を夢見ていた。


 病にかかって、両親が泣いて、日に日に疲弊して。母さんが死んで、見知らぬ人間も大勢死んだ。もし仮に、雨海さんの言う通り僕の非は一つもなかったとしても、関係はあるのだから、何食わぬ顔で僕だけ平凡を掴み取っていい理由にはならない。他人事だと結論付けて、見て見ぬふりはできなかったんだ。それに……。


「僕は僕の考えを曲げるつもりはない。とにかく死にたい。死にたいんだ」


 僕がそう言うと、雨海さんの表情がより一層険しくなった。


「死んでも生き返るあなたに、そんな事を言われる私の身にもなってよ」


 そう言った雨海さんの声は、少し湿っているように感じた。


「時間だ。行くぞ」


 唐突に看守の一人がそう言い、僕の左肩に手を置いた。いつの間にか自由時間は終了していたようで、辺りに居た囚人たちの姿はもうほとんど見当たらなくなっていた。


「……さっきの話さ、幸せの解釈なんて人それぞれ違うだろうから、君の言った事も正しいんだと思う。だけど少なくとも僕は、君と過ごしたあの日々が幸せだったと感じるのは、君が隣で笑ってくれていたからだった気がしてならないんだ」


「言質、とりましたからね」


 去り際の僕に雨海さんは勢いよく近づきそう言うと、笑みをこぼした。






 それから二週間後、就寝中にいきなり誰かに叩き起こされた。


 何かトラブルでもあったのだろうか。瞼を開けると、雨海さんと看守姿の黒崎が目の前に立っていた。


「はぁ!? なんっ——」


 思わず声のボリュームが上がった僕に対して、雨海さんは僕の口を塞ぐと


「しーっ!!」


小声でそう言いながら、白い歯を覗かせた。


「何してるんだよ!? ばれたらまずいだろ!」


「一緒に脱獄しよ?」


 戸惑いを隠せない僕に対して、雨海さんは笑顔でそう言った。


「無茶だ。すぐに捕まるぞ」


「無茶でもやるよ。須々木さんの幸せのためならば。行くよ。ほらっ!」


 そう言って、雨海さんは強引に僕の手を引いた。


「警察をなめすぎだ。最悪の場合、死ぬ可能性だってあるんだぞ!」


「私は生きたい。生きたいよ。生きて世界中の面白さをもっと堪能したい。幸せを実感したい。それが須々木さんとできたら、もっと最高になる気がするんだ。そしていつか言わせてやる。生きたいって」


 前に言った事を気にしているのだろう。雨海さんは本当に……。


「僕以外の人間を見つければいい。簡単な事だ。経った一年程度の関係だったじゃないか。すぐに別の誰かが——」


「言ったでしょ? 悔いは一つも残したくないって。私の人生だ。誰にも、たとえ須々木さんでも邪魔はさせない」


 そう言うと、雨海さんは僕の手を強く握った。雨海さんの覚悟を目の当たりにして、僕はこれ以上何も言えなかった。

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