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雨海敦子23.仮初

「何を言うかと思えば。騙されませんよ」


 一般的に考えて、そんな事はあり得ないのだから。子どもでもわかる事じゃないか。


「現に一度電車にはねられても、生きて帰ってきたじゃないか。あれはどう説明するんだ?」


「あれは……」


 思わず言葉が詰まってしまった。そういえば、帰ってきてくれた事が嬉しくて、深く追及はしていなかった。上手く交わしたのか、それともたまたま無傷だったのか。そんな程度にしか思っていなかった。


「答えられるわけがない。現に彼は電車にひかれ、体がぐちゃぐちゃになり一度は死んだのだから。あそこまで原型がなくなると、さすがに生き返るまで時間を要したが——」


「じ、じゃぁ待ってください。もし仮に契約が有効だったとして、果たされたとしても須々木さんは死なないという事ですか」


 私は副所長の言葉を遮り、質問を投げかけた。


「厳密にいえば死んでも生き返るという事だ。しくみは未だ解明されていない。本来であれば、契約などという時間がかかる手順を踏まずに王食菌を直接投与すればいいものの、所長が言う事を聞かなくてね。本当、困ったものだよ。

 まぁしかし、計画は順調だ。期間内に何度も死ぬかと思っていたが、まさか一度も死なないとはな。王食菌でも死なないとなると、ますます彼の体は未知数。解明されれば死者を生き返らせるだけではなく、不老不死すらも現実的なものとなるだろう」


 副所長は、薄気味悪い笑みを浮かべながらそう言った。


 にわかには信じがたいが、おそらく事実なのだろう。


 なぜ、優大さんは死ぬなんて嘘をついたのか。考えてもきっと答えは出ない。しかし、明確なのはただ一つ。私との契約が終わったところで、優大さんが解放されることはないという事。副所長の口ぶりから察するに、やはり計画はまだ終わらないのだから。


「話を戻します。結局あなたたちは、須々木さんを解放する気はないという事でよろしいでしょうか」


「君も頑固だな。私たちは彼を縛ってなどいない。彼自身が望んで行動しているのだよ」


 もうこれ以上は不毛だ。はなから話し合いなどで解決できるとは思っていない。分かっていた事。だから今まで準備をしてきたのだ。


「わかりました。もういいです。じゃぁ、とりあえず死んでもらえますか」


 そう言うと私は、手提げかばんから包丁を取り出した。


「随分とまた物騒なものを持ってきたな」


 しかし、副所長は眉一つ動かさずにそう言った。


「これも意外です。驚かないんですね」


「どうせ君に私は殺せないからね」


「覚悟がないとでも言うつもりですか?」


 今から殺されるかもしれないのに、この落ち着き方は異常である。何か策でもあるのだろうか。


「その目を見ればわかる。君は確かに殺す気満々だ。しかし、その行為を彼ははたして喜ぶのだろうか。いや、喜ぶはずがない。己の命を犠牲にしようとする程、嫌悪していた行為なのだから。

 つまり、その行為のうえに生かされたとしても、彼は喜ぶどころか、むしろ君を蔑む事になる。ただの自己満足。君が報われる事など何一つないのだよ」


 副所長は、声を大にして再び嘲笑してみせた。


「見くびらないでください。覚悟の上です。これで須々木さんが自由になれて、自身のために生きていけるのなら本望です」


 紛れもない本心だった。私はもう、十分過ぎるほどに優大さんからたくさんの感情をもらった。これ以上何も望みはしない。私一人でどうにかなる未来なのだとしたら、むしろ喜ばしい限りだ。


「……じゃぁ一つ。とっておきの情報を君に提供しよう。

 最初から、契約なんてものは存在しない。あれはすべて私が適当に作り上げたデマだ」




「……は?」


 意味が分からない。何を言っているんだこいつは。


「君が計画に協力的になるよう私が仕組んだんだ。キスで契約? そんなバカな話があるわけないだろう。君は須々木優大という化け物の体に効率よく王食菌を投与するための材料でしかない。もともと、どうあがいても君は死ぬしかない運命だったんだよ」


 副所長は生き生きとしながら、そう語った。


「その事を須々木さんは?」


「もちろん、知っている」


 副所長は私を一点に見つめながら、そう言い切って見せた。


「……そうですか」


「君は私たちにはもちろんの事、彼にすら騙されていたんだ。もうそろそろ夢から覚めるべきではないのかね」


 私の知っている優大さんは偽り。すべては私を欺くための仮初の姿……。


「別にそれでもいいです。須々木さんが私をどう思っていようとも、どんな人間であろうとも、須々木さんの行動によって得た私の感情に嘘偽りはないのだから。私にとってはかけがえのない宝物なんですから。

 どのみち今日を人生の終着点と決めています。あなたを殺した後は、所長様も殺しますから」


 もちろん動揺はしている。しかし、決心が揺らぐ事はなかった。


「ゆ、歪んでいる。頭がおかしい自覚はないのか!」


「ありません」


 そう吐き捨てると、私は副所長に近づいた。


 副所長は立ち上がると、ようやく表情を歪ませた。


「どれだけ時間を稼いだと思っている? 部下たちは何をやっているんだ!」


 時間を稼いだ? 


 さっきから何度も呼びつけていたのだろうか。しかし、まだ誰も現れていない。今がチャンスなのは間違いないだろう。


「私は死ぬべき人間ではない。死ぬなら貴様だけで勝手に死ね!」


 声を荒げて必死に抵抗してくるが、刃物の前では無力だ。


 私は副所長めがけて、握りしめた包丁を突き出した。しかし、すんでのところで交わされてしまった。


「ひいぃ!!」


 副所長に与えた精神的なダメージは相当なもののようで、悲鳴とともに尻餅をつき私の方を向いて後ずさりしている。第一印象だったふてぶてしさが、今ではまるで嘘のようだ。


 ……まずは一人。


 私は再び近づくと、躊躇する事なく包丁を振り下ろした。


 あと少しだった。しかし、突如副所長の前に立ちはだかり、私の目の前に現れたのは優大さんだった。気づいたのも束の間、振り下ろした包丁の勢いは止まらずに優大さんの腹部に突き刺さってしまった。


「……え?」


 私は思わず包丁から手を離すと、後ずさりした。


 どうしてここに優大さんが?


「間に合った」


 整理がつく余裕を与えないままに、優大さんは口から血を吐き出した後、そう言って笑った。

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