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須々木優大4.沈んで既視感

 車内では一言も言葉を交わさなかった。雨海が何度か話しかけてきた気もするが、返答はしなかった。する気が起きなかった。いや、したくなかった。


 数時間後、車が停止し、外へ出るよう促された。


「ここが一年間生活をする家になります」


 白い服を着たサングラスの男がそう言いながら指を差した先を見つめると、一軒家がそこにはあった。一階建てでこじんまりとしているものの、外観はきれいで二人で生活するには十分すぎるであろう物件であった。


「特例がない限り、私たちが家に入る事はございません。何かございましたら、こちらまでお申し付けてください」


 丁寧な口調でそう言うと、雨海に鍵を渡した。


「ありがとうございます」


 雨海は律儀に礼を言うと一直線に玄関へと向かい、扉を開けて中に入っていった。僕も車から出ると、ゆっくり玄関のほうへ歩みながらも辺りを見回した。ぱっと見だけでも数十人は見張りがいる。これはもう、本当に逃げられそうもない。途方にくれた僕は力なくドアノブに手をかけ、扉を開けた。


 疲れた。風呂にでもゆっくり浸かって、今はとにかく横になりたい気分だ。


 靴を乱雑に脱ぎ捨て、僕は道なりを進んだ。再びドアを開けると、リビングがそこには広がっていた。テレビにソファにテーブル。必要最低限の物しかなく、至ってシンプルなリビングだ。何の特徴もない。視界の隅に見える雨海は、キッチンで何やらせわしなく動いている。僕はとりあえず目の前にあるソファに腰掛けようとした。


「あぁ、ちょっと待ってください! そんな泥だらけな状態で座ったらソファが汚れちゃいますよ! 今お湯を張っているので、先に体だけ洗ってきてください」


 腰掛けるのをやめて雨海の方を見ると、制服の上から花柄のエプロンを付けており、野菜を切っている最中のようだった。


 僕より数分しか早く入っていないはずなのに、どうしてそこまで行動できるのか。疲れというものを知らないのだろうか。それに、手際の良さだってどう考えてもおかしい。おそらくもともと住んでいたのだろうが、それにしたって短時間でここまでするのは異常である。


 僕は何も言わずに、言われた通り脱衣所に行き、引き戸を閉めた。


「バスタオルは洗面台の下にあるものを適当に使ってください!」


 戸越しから再び雨海の声が聞こえる。僕は服を脱ぎ捨てると、やはり何も言わずに浴室に入った。蛇口を捻ると、シャワーからはすぐに温水が出てきた。風呂イスに座り、温水を頭から浴びながらこれからについて考える事にした。


 ここに長居はできない。犠牲者が増える一方なのだから。だからと言って、僕にそれをどうこうする力がない事は痛感済みである。だからこそ、少しでも早く死ぬ必要があるだろう。


 水、包丁、ガス。幸いにも自殺できる手段は豊富にある。雨海の隙を見て実行に移す。これが最善だ。恐らく監視カメラが仕掛けられてはいるだろうが、そんな事はお構いなしだ。突入してくる前に死んでしまえばいいのだから。 


 僕は決意を固めると、蛇口を捻りシャワーから出てくる温水を止めた。明らかに女性用のシャンプーを二回プッシュし頭を洗う。洗い流す前に今度はボディソープを手に取ると、体全体を包み込むように洗った。


 すべてを流し終えたころには湯が張り終わっていた。足先から入り、思わずおっさんみたいな声が出そうになりながらも僕は入水した。


 気持ちいい。どうしようもなく気持ちいい。


 疲れが溜まっていたせいか、入って数秒で意識が遠のいていった。





「ごめんね。私が代わりになれればいいのにね。辛い思いをさせるために、私は生んだわけじゃないのに。口先ばかりでごめんね。ごめんね」 


 そう言うと、母さんは僕を優しく抱きしめてくれた。


 何を言っているんだよ。母さんのせいじゃないよ。だから泣かないでよ。


 そう口にしようとするが、なぜか声に出ない。代わりに僕も抱きしめようとすると、突然母さんが消え、両手は空を切った。


 母さん?


 どこ行ったんだよ。いなくならないでくれよ!


 全力で走り辺りを見回すが、辺り一面真っ暗で何も見えない。


 お願いだ、お願いだから!! ねぇ!!





「……ぇ、ねぇってば!!」 


 その声で僕は意識を取り戻したと同時に、水を吐き出した。むせながらも、なんとか目を開けると泣きそうな顔をしている雨海がこちらを覗きこんでいた。


「よかった。よかったよぉ」


 そう言うと、雨海は勢いよく僕の体に抱きついてきた。


「僕は……」


「シャワーの音が止まってから二十分以上全く音がしなかったので、もしかしたらと思って見に行ったら湯船に沈んでいるあなたを見つけました。急いで連れ出して、ここまで運んで、人工呼吸をして。それなのに、ぴくりともしないし胸に耳を当てても、それらしい音は聞こえてこないし。とにかく本当に心配したんですからね!」


 雨海は、まだ状況を理解できていない僕に抱き着いたままこれまでの経緯を説明してくれた。


 そうか。いつの間にか寝てしまったのか。そしてそのまま湯船に沈んでしまった。そうか、だから僕は今裸なのか。


 ……裸?


「ほわぁぁぁ!??」


 僕は雨海を跳ねのけると、勢いよく立ち上がり素早く股を両手で隠した。


「あぁそっか。童貞さんは見られ慣れていないですもんね」


「そういう問題じゃないよ!!」


「……やっと返事してくれました」


 動揺を隠しきれない僕に対して、雨海は微笑するとそう言った。


「服は脱衣所に置いてあるので、それを着てください。もう少しでごはんできますから」


 どう返答していいかわからずそっぽを向いた僕に対して、雨海はそう言うと立ち上がり、キッチンの方へと歩いて行った。

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