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雨海敦子21.明確な思い

「温泉と言えばお酒がつきものですぞ。ささっ、どうぞどうぞ」


「あのなぁー、お酒はほどほどが一番なんだぞぉ」


 旅行に来て、開放的な気分になっているからなのかもしれない。そうは言いながらも促すと、優大さんはぐいぐいとお酒を飲んでいった。


 悪い事をしている自覚はあった。しかし残された時間は限られているのだから、手段は選んでいられなかった。


「お膝へどうぞ」


 空き缶を手に持ち、ゆらゆら揺れている優大さんにそう言うと、いとも簡単にコテンと頭を乗せてきた。普段なら絶対にありえない事だ。


 髪に触れてみた。とてもさらさらしている。まるで女の子のような髪質だ。しかし、白髪の主張がやけに激しいのが気にかかる。今度は頬に触れてみた。あんなに食べてもらっているのに太るどころか、むしろ痩せてきているのではないか。そう思うほどに頬がこけている。気づくと私は眉間に皺を寄せていた。


 ……わかっている。己を責める時間じゃない。そんな事は、一人の時にいつでもできるのだから。


 私は唇を噛みしめ、飛び出してきそうになる言葉たちを制止させると大きく深呼吸をした。


「須々木さんの夢を教えてほしいな」


 素面なら決して教えてはくれなかった内容だ。ここまで酔ってしまえば、どう転んでもプラスになる可能性が高い。私は優大さんの頭をゆっくりと撫でながら質問をした。


「ゆめぇ? そんなのたくさんありすぎるよ」


 優大さんは、気持ちよさそうな表情を浮かべながら返答した。


「その中でも、とっておきなのを教えて?」


「じゃぁ、バンジージャンプしてみたい」


「え?」


 バンジージャンプ?


「無人島に行ってみたい。でっかい魚を釣ってみたい。世界一周もしてみたい。たくさんあって選べないよ」


 そう言うと、優大さんは顔を太ももの間にうずめた。


 優大さんの思わぬ返答に、正直呆気に取られている私がいた。成人している人間が抱くにしては、随分と子ども染みていると感じるのは私だけだろうか。


 ……いや、違う。違うじゃないか。優大さんは、中学一年生の頃からつい最近まで生死を彷徨っていた。自由が利かない生活を強いられていた。ようやく解放されて自由になれたはずだったのに、勝手に計画に組み込まれ自分を責めて自殺しようとした。私と出会って、それすらも叶わなくなった。優大さんは再び身動きが取れなくなってしまったのだ。本当は昔からこんなにもやりたい事がたくさんあったのに。自分を押し殺して、押し殺して、心の奥底に閉じ込めていたんだ。



 ふざけるな!!



 優大さんだって普通の人間。可能性は無限大で何にだってなれる。何にだって挑戦できる。何ものにも縛られていい理由にはならない。夢に優劣をつけるのはいつだって他人なんだ。こんなにも眩しくて無垢で、素晴らしい夢をたくさん胸に秘めているのに、それを蔑ろにしていい理由にはならないじゃないか。


 せき止めていた何かが崩壊し、感情があふれ出すと頬を伝った。その一滴が優大さんの首筋に降り落ちた瞬間、優大さんは体を動かし私の方を見ると、体を起こして私を優しく包み込んだ。


「大丈夫。忘れてないよ。僕は母さんの夢を叶えるためにこれから先も生きていく」


 母さんの夢?


 どういう事だろうか。


「あの、それってどういう……」


 そこまで言いかけて、私は言うのをやめた。優大さんが寝息を立て始めたから。それに今更かもしれないが、こんな状態の優大さんに聞いていい内容じゃない気がしたから。


 私は時間をかけて優大さんを布団の上に寝かせて毛布を掛けると、スマホで黒崎さんをロビーに呼び出した。






「どうされましたか」


 ロビーに着くと、黒崎さんはもうすでに到着していた。近くにソファがあるというのに、立ったままこちらを向いている。


「あの、少しご相談がありまして。研究所に伺う事はできないでしょうか」


「……どういったご用件でしょうか?」


「契約の件で、偉い方と話をしたい事がございまして」


「でしたら私がお伝えしておきましょう」


「いえ、私の方から直接話をしたいのです」


「……電話ではだめなのでしょうか」


「はい。会って直接お話したいのです」


「承知しました。都合が合う時間帯が分かり次第、お連れするという形でもよろしいでしょうか」


「ありがとうございます。あっ、でも急ぎではないです。むしろまだ先の方が私も都合がいいので、改めてまたご相談させていただきますね。よろしくお願いします」


 そう言うと、私は頭を下げた。


「……何かございましたか?」


 黒崎さんが唐突に質問を投げかけてきた。


「夢が見つかった。それだけです」


 私は顔を上げると、そう言って笑って見せた。


「そうですか。それはよかったです。他にご用件がないようであれば、これで失礼致します」


「……須々木さんのお母様の夢って何だったんでしょうね」


 黒崎さんの口から答えが返ってくる可能性は、ゼロに等しいと理解はしていた。だからこそ、あえて投げかけてみる事にした。


「……存じておりません。お力になれず、申し訳ございません」


 黒崎さんはいつも通りの丁寧な口調でそう言った。


「いいえ、ありがとうございます。おやすみなさい」


 そう言うと、私はロビーを後にした。

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