雨海敦子20.高揚感
何も答えが出ずに、無常にも時は流れていった。演じるのはもともと得意な方であったため、おそらく優大さんには気づかれていないだろう。
気づけばもう十二月中旬。今日はとある温泉街にまで足を運んでいた。夕食の時間まで宿に居てもよかったのだが、せっかくなので私たちは温泉街を見て回る事にした。
しっかり防寒をしてきたつもりだったが、長時間外にいれば否が応でも体は冷えてくる。日もそろそろ落ちてきそうだ。かじかんだ手をポケットにつっこみ、ふと空を見上げると左頬に白くて冷たい結晶が舞い降りた。
「……雪だ」
私がそう呟くと
「そろそろ宿に戻ろうか。僕も深いポケットがある服を着てくるんだった。宿に着くまでちょっと入れて?」
そう言いながら、優大さんも私のポケットに手を入れた。白い息を吐き出しながら笑っている。寒いからなのか、夕日が照らしているからなのか。頬が赤く染まっている気がする。
……わかってるよ。だって、お互い様なのだから。
「あっちの方も見てみたい。あともう少しだけ付き合って?」
「しょうがないなぁ。暗くなる前には戻るからね?」
「ありがとう」
そう言いながら、小さく笑って見せた。
宿に戻り、夕飯を堪能したところで私たちはそれぞれ大浴場へと向かった。部屋の鍵は優大さんが『知っての通り、僕はカラスの行水だから』と言い、預かってくれた。これで心置きなく温泉に浸かる事ができる。
私は服を脱ぎ、ロッカーの鍵を閉めてバンドを腕に付けると、湯気で曇ったガラス戸を開けた。
体を洗い終えると、一番近い温泉へ足先から入水した。
一人の時間はとても大切だ。偽る事なく、あれこれ考える事ができるから。私が今後していく事は夢、やりたい事を見つけて生きる事。優大さんが死んでも前を向いて、優大さんの分まで人生を謳歌する事。それらすべてが優大さんの望みでもある。でもそれは、優大さんの人生に一切干渉をしない。優大さんにとってメリットは何一つ存在しない。
優大さんは、これ以上死者を増やしたくないから自殺をしようとしたと黒崎さんが言っていた。明言してはいなかったが、八年かけて作られた薬はおそらく私が接種した王食菌の事だろう。もしそうだとすれば、優大さんが言っていた『計画』の一部に私との契約が組み込まれていても不思議ではない。それにいち早く気づき、負い目を感じた結果、優大さんは契約するという選択をとってくれたのかもしれない。
私が勝手に決めた事。優大さんには何の関係もない。しかし、それを伝えたところで優大さんが考えを変えない事くらい知っている。そもそも私から契約を持ち出したのだから、今更関係ないとは虫がいいにも程がある。
じゃぁやはり私が優大さんにしてあげられる事は、今を楽しんでもらう事。少しでも幸せだと感じてもらい、最終的には契約してよかったと思ってもらえるように努めるしかない。
……なに調子のいい事を考えているんだ。気を遣わせてばかりで上手くいかないくせに。結局自分だけが舞い上がって、自分だけが満足しているくせに。
……あぁ。出口の見えないこの思考を何度繰り返したのだろう。私は無力だ。ただひたすらにそう痛感する事しかできなかった。
気づけば温泉に浸かってから一時間が経過していた。私はようやく抜け出すと、再度曇ったガラス戸を開けた。ロッカーを開けてバスタオルを取り出すと、髪や手足を満遍なく拭いた。部屋から持ってきた袴を着て、スマホを取り出すと着信が入っている事に気が付いた。
知らない番号だったが、確認すると時計屋からだった。連絡がきたという事は修理が終わったのだろうか。
私は髪を乾かすと、すぐに電話をかけた。
「もしもし。時計屋日下部です」
電話に出たのは、以前うかがった時に対応してくれた老人だった。
「あの、着信履歴が入っていたのですが」
「雨海様ですね。申し訳ございません、お忙しい時に。修理が完了致しましたので、お電話致しました。時間がかかってしまい、申し訳ございませんでした」
店主は物腰を低くしながら、そう言った。
「いえ、大丈夫です。直してくださってありがとうございました。近日伺いますね」
そんなに畏まらなくてもいいのに。私はそんな事を思いながら、もうすぐ電話が終わりそうなので部屋に向かって歩き出した。
「よろしくお願い致します。ガラス部分とその周辺機器が非常に特殊なものでしたので、お値段の方が少々高くなってしまいました。詳しい内容につきましては、いらした際にご説明させていただけたらと思います」
「……周辺機器ですか?」
確か壊れたのはガラス部分だけだったはず。針も問題なく動いていたはずだし。
「端的に申し上げますと、時を刻むスピードが鈍くなっておりました。毎秒二秒ほどずれが生じておりましたので、原因を解明して修理させていただきました」
二秒のずれ?
「……それはいつ頃からずれていたか、わかりますか?」
「いつ頃からと断言する事はできませんが、壊れる以前は問題なく使えていたのでしたら衝撃によって故障してしまった可能性が高いと思われます」
「……そうですか。ありがとうございます」
「どうかなさいましたでしょうか?」
「いえ、大丈夫です。失礼します」
そう言うと私は、一方的に通話を終了させた。
優大さんとキスをした直後に時間を確認した時は、日付が変わるまで十秒もなかった。衝撃であの時すでにずれが生じていたのだとすれば、キスをした時にはもう日付が変わっていた可能性が高い。それはつまり、間に合ってはいなかったという事になる。
二度目の経験。一度目は未遂に終わったが、今回はそうもいかないだろう。しかし動揺はしていなかった。
「どうして気づかなかったんだろう」
むしろ、欠けていた箇所のピースが埋まった時のような高揚感に体は包まれていた。




