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雨海敦子19.わからない

「須々木様がまだ中学一年生だった冬頃、悲劇は突然やってきました。一言で言うと、不治の病を発症したのです。日に日に末梢から皮膚が爛れて骨まで塵と化す。原因は不明で治療薬は存在しない。現代医学では到底理解し難い難病でした。痛みなど想像を絶するものだったでしょう。

 そんな須々木様を見かねて、治療薬を開発しようと立ち上がったのが須々木様のご両親でした。幸か不幸か、病の進行は非常に緩やかで命に影響を及ぼすまでには時間がありました。年月にして実に八年。動物実験を繰り返し、治療薬と成り得る可能性のある薬が完成しました。しかし、あくまで可能性があるというだけの話。人間に投与した事は一度もないうえに、治る確証もありません。ご両親は、ここまできて投与を躊躇いました。効果がなかったらどうしよう、薬の副作用で死んでしまったらどうしよう。投与ですべてが左右されるのですから、当然の葛藤だったのかもしれません。しかし、須々木様の手足はもうほとんど消失していて、残された時間はわずか。

 そのような状況の中、行動に移したのは須々木様のお父様でした。お母様の左親指を切断し、勢いそのままに薬を投与したのです。薬の効果が適用されれば数時間で血は止まり、切断された断面は塞がります。最悪、薬の効果が得られなかったとしても、親指が消失した程度で人間は死にません。どちらにせよ、結果次第で投与をするべきか否か判断したかったのでしょう。しかし現実は残酷なもので、出血が止まらないどころか、体中の皮膚が変色し、爛れていきました。すぐにお母様の延命治療が行われましたが、薬を投与してから数分で絶命してしまいました。

 お父様は絶望しました。家族を救うために行動したはずなのに、結果的に家族失ったのですから当然でしょう。しかし、嘆いている場合ではない。須々木様はまだ生きている。まだ苦しんでいるのだから。

 薬を投与し、早く楽にしてあげよう。お父様はそう思ったのでしょう。自身もいつでも死ぬ事ができるように、片手に鉈を持ちながら須々木様に近づき薬を投与しました。

 その先に奇跡は待っていました。投与後、すぐに口から血を吐き出した須々木様だったのですが、その様子はお母様の時とは異なるものでした。身体の出血が止まったかと思うと、失っていたはずの四肢が生え始めたのです。

 数分後、須々木様は何事もなく起き上がりお父様を見ると、大声をあげて泣きました。病は完治したのです。なぜお母様が死んだ薬で死ななかったのか、なぜ四肢が生えだしたのか。なぜ寝たきりだった須々木様がすぐに動き出せたのか。すべてが薬による効果であるという理由では到底説明がつくはずがない事象の連続ではあったのですが、その時はただひたすらに病が治ったという喜びを分かち合っておりました。

 そんな中、須々木様はお母様がいない事に疑問を抱きました。もちろん死んだ事は知りません。お父様は、『母さんは出張に行っているので今は会えない』と嘘を言いました。そして、お父様は再び薬の開発を始めました。今度は死んだお母様を生き返らせるために。  

 開発の当初は、須々木様を実験対象として進めていく予定でした。なぜなら、須々木様がおっしゃるには空中に青い文字が……」


 黒崎さんは今まで淡々と話してくれていたが、そこまで話して急に口を閉じた。しかしすぐに口を開くと、再び話しだした。


「八年かけてできた薬は、体内に強力な菌を送り込む事で病の原因である細胞を破壊するという効用でした。動物実験では決して低くない数値で効果が発揮されていたのですが、人間にとってその菌は適応するものではなく、他の細胞すらも破壊してしまう殺人薬でしかなかった事が後に判明しました。そのため、お父様は菌に侵され亡くなったお母様を生き返らせるために新薬の開発に努めました。

 しかし、どれだけ可能性のある薬を開発しても前回同様、人間に効果がなければ意味がない。そう考えたお父様は自殺志願者を集めて薬を投与し、お母様と同じ状況の死体を作り出して実験を行い始めました。

 そんなある日、その実験の様子を須々木様に見られてしまいました。そして、誰が密告したのか、お父様がお母様を殺してしまった経緯を須々木様は知ってしまわれた。須々木様は自殺志願者たちの薬の服用を止めようとしましたが、誰一人耳を貸さずに目の前で次々と服用して死んでいきました。悔やんだ須々木様は、お父様がお母様を生き返らせようとしているのは、己のためであると解釈し、もうこれ以上死者を増やさないために自ら命を落とそうと最怖山へと足を運んだのです。

 以上が雨海様と出会う前の須々木様の生涯です。長くなりましたね。話をまとめますと、お母様を生き返らせる研究の一環として、自殺志願者を殺し続けているお父様を止めるために、須々木様は自殺しようとしたという事です。

 ……そんな須々木様が、どうして雨海様に対してここまでの事をするのか。それは、私にもわかりません。申し訳ございません。私からの話は以上となります。家に戻りましょう」


 黒崎さんはそう言うと、車を走らせた。


 私は黒崎さんの話をただ黙って聞いていた。話が終わった後も、口を開こうとは思えなかった。なぜ須々木さんの事についてそこまで詳しいのか。もともと須々木さんとは知り合いだったのか。その他にも聞きたい事は山ほどあったが、正直今はそんな事どうでもよかったから。


 わからない。


 誰が何人死のうが、母親が生き返る可能性があるのだとしたらそれでいいのではないだろうか。他人の人生など己には関係ないのだから。


 わからない。


 想像を絶する理由があったのにも関わらず、なぜ私との契約を優先したのか。私の須々木さんに対する些細な優しさなんて、須々木さんの境遇と比べるのも烏滸がましい程であるはずなのに。


 私はどうすればいいのだろう。どうすれば須々木さんの選択を過ちにせずに済むのだろう。そのためには一体、何ができるのだろう。


 答えなど出るはずもなく、気づけば真っ暗な家の中に一人で立ち尽くしていた。

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