須々木優大3.裏切り
「大丈夫ですか、へろへろじゃないですか。休憩しましょうか?」
登りも大概しんどかったが、下りも十分体に響く。正直今すぐにでも横になりたい気分だ。
「だいぶ長い間移動していたから。でも大丈夫。このまま行こう」
「無理しないでくださいね」
先程からこまめに振り返り、僕の進むスピードに合わせてくれている。雨海さんだって登山をしているわけだから、疲れていないわけはないだろうに。
ここで立ち止まってもいい事など何もない。僕は気力だけで体を前へと動かし続けた。
「ありました!」
数時間が経った頃、雨海さんが前方を指差しながら大きな声を上げた。
「ようやく——」
指をさした方を見て、思わず言葉が詰まってしまった。どっと冷や汗が噴き出してくる。白くて長細い車。運転手はわざわざ下車して待機していた。白い服を身にまとい、サングラスをかけている。気づくと唇を噛みしめていた。
ちくしょう。はめられた。
生じた疑念を放置しておくべきではなかった。膨らんだ疲労が思考を停止させていた事実はあったが、少しだけでも考慮していれば、この最悪な事態を防ぐ事ができたかもしれないのに。
「電話してくる」
有無を言わさず雨海にそう告げ、僕はズボンのポケットに手を入れると、即座にその場を離れた。
とにかく悟られないように。冷静に。茂みに隠れなければ。諦めるわけにはいかない。距離はまだ十分にある。今ならまだ逃げられる。隙をついて再び最怖山に……。
——私は生きたいんです——
ふと雨海の言葉が脳裏によぎった。
雨海はあいつらと繋がっていたんだ。つまりは僕を引き留め、連れ戻すための嘘だったというわけになる。また僕は騙されたんだ。思わず握った拳に力が入る。
——あなたが最後の希望なんです——
再び雨海の言葉が脳裏をよぎった。
うるさい!! 消えろ!!
人の良心に付け込みやがって。最低だ。最悪だ。ちくしょう、ちくしょう。
「大丈夫ですか?」
その言葉で我に返った。勢いよく振り返ると、雨海が心配そうに、こちらの様子をうかがっていた。
「どうしたんですか、そんな怖い顔をして」
「何でもない。電話の邪魔だ。あっちへ行っていてくれ」
強気の態度をとったつもりだった。
「もしよかったら、これを使ってください」
しかし、雨海は怯みもせずにそう言うと、スマホを差し出してきた。
「……どうして?」
携帯電話を持っていない事がばれた?
「電話をする様子がなかったので、もしかしたら落としたか充電が切れているのではないかと思いまして。借り物で申し訳ありませんが、お使いください」
なんだ。そういう事か。
僕は動揺を飲み込むと、無言で奪い取った。耳にスマホを押し当てて、再び雨海と距離をとった。
いいものをもらった。このスマホは追跡された際のおとりに使おう。僕は覚悟を決め、大きく深呼吸をした。そして走り出そうとしたその瞬間、スマホが勢いよく鳴り始めた。
画面を見ると、そこには父親の名前が表示されていた。スマホを握る右手に思わず力が入る。僕は再びスマホを耳に押し当てた。
「……もしもし」
「自殺は失敗したみたいだな。どうだった? 外の世界は随分と楽しめたんじゃないのか」
憎たらしい声が鼓膜を刺激する。何とも不快極まりない。
「想定通りに事が運んでよかった。これで次の段階へと進める。礼を言うよ」
「……想定通り?」
何を言っているんだこいつは。僕が逃げ出したのも、最怖山に行く事も、雨海の口車に乗せられた事もすべて想定通りだとでも言うのだろうか?
「何を驚いているんだ。お前の考えている事など手に取るようにわかるさ。家族なんだからな」
……家族?
その言葉に怒りは頂点へと達した。
「二度と家族だなんて口にするな!! 僕は死ぬ。必ずお前の言う通りにはならないからな!」
「お前は死ねないよ。どうやらまた逃げだそうとしているみたいだが、無駄なことだ。次は十分もかからないだろう」
すべてお見通しってわけかよ。
「クソ野郎が」
「何とでも言うがいい。わかったらさっさと車に乗りなさい。大丈夫。悪いようにはしないつもりだ。それじゃぁ、また会える時を楽しみにしているよ」
通話が切れて、機械音が一定のリズムを刻み始めた。
甘かった。もっと非情になればよかったんだ。
スマホを持った右手が力なく垂れ下がる。僕はすべてを諦め、重い足取りで車へと向かった。