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雨海敦子15.大嫌いだ

 次の日も、十九時に須々木さんはやってきた。私は、お構いなしに内容が頭に入ってこないバラエティ番組を眺め続けた。


「黒崎さんに引継ぎは済ませた。これからは黒崎さんと一緒にやりたい事を探してくれ」


 背中越しに聞こえた須々木さんの言葉は、私の胸を絞め殺すには十分だった。私はふらふらとキッチンに行き、キッチンバサミを取り出すと、投げ飛ばしたままだったノートのもとへ歩みを進めた。そしてノートを手に取ると、勢いよくキッチンバサミで切断した。


「もう、いいですよこんなの」


 その後も私は、手を休める事なくノートを粉々に切り刻んでいった。


 もうそろそろ十分が経過するのだろう。須々木さんはその様子を何もせずただ眺めていたが急に動き出すと、私のもとへと近づいてきた。


「近づかないでください!」


 そんな事をする気なんてなかった。ただ、追い払おうとしただけだったのに。何も考えずに振り払ったその手にはキッチンバサミが握られていたせいで、刃先が須々木さんの右腕に接触してしまった。


「あっ……」


「ごめんな」


 思わずたじろいだ私に対して、須々木さんはお構いなしに顔を近づけると優しくキスをしてそう言った。


 キスをする直前に見えた哀しそうな、辛そうな。触れれば消えてしまうのではないか。そんな表情をしていたからか、私は何も抵抗する事ができなかった。


 その後、須々木さんはすぐにリビングを後にした。私はしばらくその場を動く事ができなかったが、テレビから聞こえてくる笑い声に苛立ちが募り、気づけばテレビのリモコンに手をかけていた。チャンネルを変えてみるが、どの番組も鬱陶しく感じた。テレビの電源を消して、キッチンにハサミを戻すと、すぐに私は寝室へと向かい布団の上に横たわった。何も考えたくない。私が私以外の誰かになれればいいのに。



 ……大嫌いだ。



 そんな言葉が体中を駆け回っているが、私にはどうする事もできなかった。


 しばらくして、唐突にスマホの着信音が鳴り響いた。画面には日南さんの文字。時刻は二十一時を過ぎていた。


「もしもし。この前はごめんね。今時間空いてるかな。飲みに行かない?」


「……わかりました」


 私は日南さんの誘いを受けると、制服を着て家を出た。車の扉をノックし、黒崎さんを呼ぶと


「飲みに行くための服がほしいので、お金をください。三万円あれば足ります」


そう言いながら手を差し出した。


「……承知しました」


 黒崎さんは上着の内ポケットから三万円を取り出し、私の手のひらに乗せた。私は札を握りしめると、何も言わずにその場を後にした。


 夜遅くでも開いている適当なお店で、適当な服を調達して、そのまま着替えを済ませると目的のお店に向かった。数日ぶりに会った日南さんは相も変わらず美しかった。


「急に呼び出してごめんね」


 気を遣ってくれているのか、それとも須々木さんが死んだと思っているからなのか定かではないが、明らかに元気がない様子だった。店内に入り、日南さんがビールを注文すると同時に、私もビールの注文をした。


「あれ、もしかして誕生日きてたの?」


「はい。つい先日」


「なんだぁ。言ってくれればお祝いしたのに!」


「あの、日南さん……」


「ゆう君の事だよね。本人から聞いたよ。何事もなくて本当によかった」


 言いづらそうにしている私の様子で察したのか、日南さんの方から話題を持ち出してきた。


 ……なんだ。連絡してたんだ。


「あっちゃん。どうかした?」


「い、いえ」


 私は届いたビールを一気に飲み干し、再度ビールを注文した。


「いい飲みっぷりだね。さては酒豪の素質ありなのかな?」


「どうでしょう。弱くはないと思っているんですけど」


「じゃぁ、今日はとことん飲まない?」


「そうですね」


 席はほぼ満席みたいだし頼んだばかりなのだから、まだ届かない事はわかっているのだが、つい店員の動向を目で追ってしまう自分がいた。


「……ゆう君と喧嘩でもした?」


「え?」


 ふいにそう言われて、思わず声が出た。


「その顔は図星だね。よかったら話してみない? 一人で溜め込むよりは、きっとましになると思うよ」


 そう言いながら微笑みかけてくる日南さんの温かさに思わず気が緩んだのか、私は小さく口を開いた。


「……私だけだったんですよ。彼は私の事、何とも思っていないんです。私が勝手に舞い上がって、勝手に思い込んで。本当、バカみたいです」


「ゆう君に何か言われたの?」


「迷惑だって。これ以上期待しないでくれって。私、どうしたらいいかわからなくなってしまって。空回りして、気づいた時には彼を傷つけてしまいました」


「それは辛かったね。別れようとか、距離を置こうとかは言われたの?」


「いえ。言われてないです」


「……なるほどね。今日ゆう君から電話があったんだけど、その時言われたんだ。あっちゃんと友達になってくれって」


「え、どうしてそんな事を?」


「理由はわからなかったんだけど、何とも思っていない人の事なんていちいち気にかけたりしないでしょ? もしかしたらさ、何か理由があってわざと傷つけるような事を言ったのかもしれないね」


「……すごいですね。彼の事、何でも知っているみたいで」


 せっかく励ましてくれているのに、口から出たのは皮肉めいた言葉だった。


「私は昔のゆう君しか知らない。だからこれはただの憶測にすぎない。今のゆう君を誰よりも知っているのは、誰よりも近くで見ているあっちゃんだと思う。あっちゃんならゆう君の気持ちをわかってあげられると思うな」


 しかし、日南さんは変わらず優しい言葉をかけてくれた。


「私は彼の事を何も知りません」


「そんな事ないよ。大丈夫。あっちゃんはちゃんとゆう君の事を知っている。知っているから悩むんだ。ゆう君の言葉一つで心が揺らぐんだよ」


 そう言うと、日南さんは再び微笑みかけてきた。


 うざいとか、だるいとか思わないのだろうか。日南さんにとって私は、きっと邪魔者であるはずなのに。どうしてそんなに親身になってくれるのだろうか。


「本当にすごいです。私は、日南さんみたいに大人ではありません」


「大人であろうとする必要なんてない。いつか必ず、なりたくなくてもならなければいけない日はくるんだから。

 今はたくさん悩んで、たくさん傷ついて。大人になっても生きていける術を身に着けていければ、それでいいの。愚痴ならいつでも、いくらでも聞くからさ、今日はどんどんジャンジャン飲みまくろうよ」


 そう言うと、日南さんは泡がなくなったビールを一気に飲み干し、大ジョッキを空にした。

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