雨海敦子9.辛気臭い
あれから数日経過したが、相変わらずまとまらない考えたちが頭の中で散乱していた。当たり前だが、私は須々木さんの事を何も知らなかった。日南さんが須々木さんの事を『ゆう君』と呼び、過去の話をし始めたからなのだろうか。無性に須々木さんの事を知りたいと思った。そのために連絡先を交換し、食事の誘いに乗った私だったが、断片を知った程度で覚悟が揺らいでしまった。今までであれば、そもそも契約者の情報など知ろうとはしてこなかったのに。何を血迷ったのだろうか。今更後悔しても、この感情を消す事はできない。
須々木さんには、大切に思ってくれている人がいる。そんな須々木さんを私は殺そうとしている。やはり行かなければよかったのだろうか。そしたら、こんな気持ちになる事はなかったのだろうか。
日南さんの言っていた須々木さんの夢。とても気にはなるが、直接聞いたところで答えてはくれないだろう。仮に知れたとして、私に何かできる事はあるのだろうか。そもそも夢があるのに、死を選択しなければならない状況を作った元凶である『計画』とは一体なんなのだろうか。それを知れたとして、私に何ができるのだろうか。
分からない。分からない事だらけだ。
契約を破棄すれば、きっとすべて解決できるのだろう。しかし、私は死んでしまう事になる。だからといって、このまま契約を続行すれば須々木さんは死ぬ。そう、死ぬんだ。わかっていた事じゃないか。それなのに、途端に胸が締め付けられるこの感覚は何なのだろう。
「辛気臭い」
須々木さんが、唐突に私の頭にチョップをお見舞いしてきた。
「卵焼き焦げてるし」
そう言って須々木さんはガスコンロの火を止めてくれた。
「あっ、ごめんなさい」
「謝るほどの事じゃないよ」
須々木さんはフライパンを手に取り、焦げた卵焼きを二等分すると、それぞれ皿に移動させた。
「でも、辛気臭いのはうざいから、気分転換をしよう」
ぱりぱりと音を立てながら、焦げた卵焼きを頬張りながらそう言った。
「気分転換、ですか?」
「そう。昨日漫喫で知り合った人にユグラネルランドのチケットをもらったんだ。一緒にどう? テーマパークはまだ行った事なかったよね?」
そう言うと、ズボンのポケットからくしゃくしゃになったチケットを二枚取り出して見せてきた。
「そうですけど……」
正直乗り気にはなれなかった。あの日以降、ノートを開く事すらできていなかった。
「僕一人じゃつまらないでしょ? 付き合ってよ」
「……わかりました」
結局須々木さんの圧に押し負けた私は、身支度を済ませるとユグラネルランドへと足を運んだ。人気なテーマパークであるため、平日であるにも関わらず人混みがとにかくものすごかった。須々木さんは、私がはぐれないようにと手を繋いでくれた。
乗り物はどれも待ち時間がすごかったので、諦めて私たちは雰囲気を楽しむべく、建造物を見ながら食べ歩く事にした。須々木さんは事前に勉強してくれていたのか、視界に入った建造物の説明をしてくれた。たまに言葉を詰まらせてスマホをチラ見するのが何とも微笑ましくて、わざと必要以上の質問を投げかけてみたりした。そんな質問に対して、めげる事なくあれこれ手段を講じながらも答えを探してくれる姿を見ると、何だか無性に嬉しい気持ちになった。
一通り見終わった頃には、日が傾き始めていた。
「ちょっとトイレ行ってくる」
そう言って須々木さんは私をベンチに座らせると、小走りで男性トイレの中に入っていった。
一人になったと同時に、いつの間にか純粋にこの時間を楽しんでしまっていた自分を客観視して、咎めた。決して忘れていたわけではない。しかし、気づけば記憶の片隅に置いてしまっていたのは事実だ。何も解決はしていないのに。
……契約がずっと続けばいいのに。
私のもとへと帰ってくる最中、風で飛ばされた赤い風船を見事キャッチして男の子に返却している須々木さんを見つめながら、そう思った。
「ねぇ、見てた? さっきの子、手から風船離しちゃったの今日で三度目だってさ。周りは魅力的な建物に食べ物。子どもにとっては楽園だもんなぁ」
戻ってきて早々、須々木さんが笑顔で話しかけてきた。
「……そうですね」
すぐにそっけない態度をとってしまった事を後悔した。
「最後にアトラクション、一つ乗ってもいい?」
しかし、そんな事はお構いなしに須々木さんは私の手を引くと歩き出した。
「乗りたいのがあったのですか?」
「まぁね」
私は導かれるまま須々木さんの後をついていき、数十分で目的地にたどり着いた。目の前には古びた観覧車がそびえ立っていた。何の変哲もなく、他のアトラクションと比べれば明らかに見劣りしている。
「よかった。そんなに並んでないっぽい」
「観覧車好きなんですか?」
「まぁ、そんなところ」
並んでいる人はほとんどいなかったため、十分も待たずに私たちは向き合う形で乗り込んだ。気づくと辺りはもう暗くなっていた。
二人きりは日常茶飯事なはず。しかし、この狭い空間が妙な緊張感を生んだ。私は視線を景色へと追いやった。
「何か興味が湧きそうなものは見つかった?」
須々木さんが静寂を破り、質問を投げかけてきた。今まで色々な事に挑戦してきたが、そう聞かれたのは初めてだった。
「まだ、わからなくて。すいません」
「まぁ簡単に見つけられるわけないもんね。全然大丈夫。焦らずいこう」
煮え切らない私に対して、優しい声でそう言ってくれた。
須々木さんはどうして私に優しい言葉をかけてくれるのだろう。私は何もあげられていないのに。やっぱり、こんな素敵な人から命をもらっていいわけがない。
「僕は死ぬ」
須々木さんは唐突にそう言った。
「え?」
「誰に何を言われても、それはもう覆らない。その過程を君との契約に費やすと決めた。僕の意思で選んだんだ。だから迷いが生じたら何度でも言うよ。僕が必ず君を生かして見せる。だから前を向いて、生きる事だけ考えてほしい」
思わず須々木さんの方を見た私に対して、須々木さんは真剣な表情で、しかし優しい口調のままそう言った。
「ど、どうしたんですか急に」
「ひなちゃんに会った日から露骨に元気がないから。友達にでもなってくれたらと思ったけれど、何か吹き込まれたんでしょ?」
「そ、そんな事はない、ですけど」
図星をつかれて思わず口ごもってしまった。
「……あなたは生きたいとは思わないんですか? 夢、あるんですよね?」
なぜだろう。わからないけれど、須々木さんを見ていたら考えもなしにそう口に出していた。
「生きたいとは思うよ。もちろん夢もある」
「じゃぁどうしてですか?」
思わず声に力が入る。当然だ。
「大丈夫。夢は叶えるよ、絶対に。だからそんな顔しないの」
須々木さんはそう言うと私の隣に座り、皺が寄った私の眉間に人差し指を当てた。
「私でも何かお力添えさせていただける事はございませんか。何でもしますから」
「大丈夫。ありがとうね。そろそろ頂上だ。景色、景色を楽しもうぜ」
そう言って須々木さんは、私の頭に手を移動させて数回撫でた後、体ごと窓の外に視線を移した。
私は須々木さんの事をほとんど知らない。だから須々木さんが決めた選択を否定する権利などない。むしろ私が生きられる唯一の選択だ。文句の一つもない。それでも、このままでいいとはどうしても思えなかった。




