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雨海敦子8.ばっかり

 その日の夕方、ひなちゃんさんから早速メールがきた。


『今日の夜二人で食事でもいかがですか。ゆう君には内緒で』


 須々木さんには内緒で?


 その部分がやはりどうしても引っ掛かった。おそらく、須々木さんの様子がおかしかった事に気付いているのだろう。その事を聞かれても私には答えられるはずがない。しかし、行って話をしてみたいと思っている自分がいるのも事実だ。だからこそ、連絡先を交換したのだから。


 どうしよう。


 私は思わず須々木さんを見た。須々木さんは、足を組みながらテレビをぼーっと見つめている。いつもと同じ景色。話しかけてこない事は、別に珍しい事でもない。しかし、なんだか少し元気がないような気がするのは気のせいだろうか。そんな須々木さんを置いて行ってしまってもいいのだろうか。私がいたところで何ができるわけでもないのだが、だからといって行っていい理由にはならないし。


 ……いや、そもそもお金がないじゃないか。必要経費でない事は明確である。うん、そうだよ。断るべきだ。


「あぁ、そうだ。あのさ」


 そう心に決めた瞬間、須々木さんが急に私の方を見て話しかけてきた。私は思わず視線をそらした。


「な、なんですか?」


「今日の余った分、君が使ってよ」


 そう言うと、須々木さんは一万円札をテーブルの上に乗せた。それはあまりにも唐突だった。


「い、いりませんよ。次の機会にでもとっておきましょうよ」


「使わなかった分は戻さなきゃいけないんだ。もったいないから今までは僕がこっそり着服してた。散歩中に自販機で飲み物買ったり、満喫行ったり。だから遠慮せずにもらってよ」


 意外な事実だったが、何をしようと須々木さんの勝手である。私が咎める権利などない。しかし、これをもらってしまうと断る理由がなくなってしまう。


 ……しょうがない。須々木さんがそう言うのなら。今回だけ。須々木さんの要望通り、自由にしよう。


「……わかりました。じゃぁいただきます。私も漫喫、気になっていたんですよね。もう少ししたら行ってきてもいいですか?」


 心臓が口から飛び出そうだった。嘘だと気づかれていないだろうか。


「うん。出前はまた今度にしよう」


 須々木さんは、大きなあくびをしながらそう言った。どうやら杞憂だったみたいだ。私は気づかれないように胸を撫でおろした。






 私は準備を済ませると、送られてきた住所に向かった。指定された時刻よりも少し早く到着したのだが、ひなちゃんさんはもうすでに店の前に立っていた。ボーイッシュな恰好をしたひなちゃんさんは、他の追随を許さないほどにオーラを放っていた。美人でスタイルもいい。当然と言えば当然であろう。


「あ、彼女さん!」


 ひなちゃんさんは、私の存在に気付くと手をぶんぶんと振ってきた。


「誘ってくださってありがとうございます」


「そんなにかしこまらないでよ。リラックスしていこうぜ!」


 私がぺこっと頭を下げると、ひなちゃんさんが肩をバシバシと叩いてきた。


 無邪気で明るい人だな。


 そんなことを思いつつ、ひなちゃんさんに促されお店に入り、席に着いた。


「生一つ!」


 ひなちゃんさんは店員が来た途端、声高々にそう言った。


「彼女さんはどうする?」


「私はオレンジジュースで」


 ひなちゃんさんの勢いに気圧されながらも、そう答えると


「なんだ。つれないなぁ」


と言い、口を尖らせた。


「私、まだ未成年なんです」


「……ん? そうなの?」


「はい。今年で二十歳になります」


「じゃぁ二つ下か。ゆう君に変な事されてない? 場合によっちゃ犯罪じゃんか」


「大丈夫です。そんな人じゃありませんから」


 たいして須々木さんの事を知りもしないくせに、不思議とそんな言葉が口に出ていた。


「まぁ、そりゃそうか」


 ひなちゃんさんは、安堵の表情を浮かべながら目を伏せた。


 その後も他愛のない会話をし、飲み物がきたところで乾杯をした。ひなちゃんさんは十分も経たずに三杯も酒をお代わりしていた。あっという間に目がトロンとして、誰の目から見ても酔っていると感じる程だった。


「そういえばさぁ、彼女さんの名前、聞いてなかったなぁ。何て呼んだらいい?」


 先程届いたビールを片手に持ちながら、ひなちゃんさんが尋ねてきた。


「雨海敦子って言います」


「おぉ、じゃぁ、あっちゃんだね」


 そう言うと一気に飲み干し、店員に再度ビールを注文した。


「あ、あの大丈夫ですか」


「んー。まぁ、今日くらいは、さ」


 ひなちゃんさんは、そう言うと少し哀しそうな顔をした。


「私は最上日南っていうの。ひなでも、ひなみでも好きなように呼んでよ」


 しかしすぐにこぼれそうな笑顔になると、そう言った。


「じゃぁ、日南さんって呼ばせていただきますね」


「堅いなぁ。まぁ、今日はいいか。それでさ、どっちから告白したの?」


 聞かれる覚悟はできていた。しかし、唐突に本題に入られて思わず言葉が詰まった。


「……私、です」


「へぇ。どんなところに惚れたの?」


「まじめで、お人よしなところ、です」


 何とか返答する事はできた。上手く突き通せるだろうか。不安しかないのだが、そうも言ってはいられない。


「……そっか」


 日南さんは再び哀しそうな顔をした。何か失礼な事を言ってしまっただろうか。


「ゆう君さ、隠し事が得意なんだよね」


 どう話しかけていいかわからない私に、日南さんはそうぽつりと呟いた。


「隠し事、ですか?」


「うん。誰にも言わず、誰にも悟られないように何食わぬ顔をして、時には平気で嘘もつく。でも、そんな時は、決まって誰かのためだった。ほんと、とんだお人よしだ」


 空になったジョッキをテーブルの上に置き、どこか遠くを見つめながら日南さんは静かに語りだした。


「私ね、中学一年生の頃、いじめられていたんだ。当時は暗くて泣き虫だったから。そんな時、ゆう君が転校してきた。活発な子で、クラスにすぐ馴染んでた。最初はその様子を遠くから眺める事しかできなかったけれど、そんな私に気付いて話しかけてくれたんだ。家が近かったからか一緒に帰ってもくれた。たくさんたくさん話をして、たくさんたくさん夢を語ったんだ。気づけばいじめられなくなっていて、友人ができて。本当に楽しくて幸せな時間だった。

 でも、そんな日々は長くは続かなかった。学年が上がるその前に、ゆう君が転校してしまったから。私は何も知らされていなかった。

 どうしていなくなっちゃったんだろう。どうして何も言ってくれなかったんだろう。最後に一緒に帰った時、また明日って言って笑ってくれたじゃないか。ゆう君の嘘つき。そう思った。

 でも、ゆう君は知っていたんだ。本当の事を言えば私が悲しむ事くらい。どちらにせよ悲しんだ事実は変わらないんだけど、その嘘は私の中のゆう君との最後の思い出を悲しいものにはさせなかったし、友人のおかげもあって何とか乗り越える事ができた。

 それからしばらくして、成人式の日の同窓会でクラスメイトだった男の子が、私に対するいじめがなくなったのは、ゆう君が話し合いをして、時には殴り合いをしながらも止めてくれたからだと教えてくれた。ゆう君には何一つメリットがない事なのに。そのうえ恩の一つも売ろうとしなかった。本当に、正真正銘のお人よし野郎なんだよ。

 私に変わるきっかけをくれた。人生を百八十度変えてくれた。だからせめて次に会えた時には、成長した私を見てほしかった。全身全霊をかけて恩返しがしたかった。でも、完全に避けられてた。デートの邪魔、しちゃったからかな」


 そう言うと、日南さんはテーブルに顔を伏せた。


「そ、そんな事ないですよ」


「じゃぁ何でだろう。あっちゃん、何か知らない?」


「あ、いえ、その、分からない、です」


 本当の事は言えない。これだけは、どうしても言えるはずがなかった。


「……そっかぁ」


 日南さんは注文したビールが届いたにも関わらず、顔を伏せたまま力なくそう言った。


 心が痛い。とても痛い。でも、ごめんなさい。日南さん、ごめんなさい。


 心の中で謝る事しかできない私に対して、日南さんは唐突に顔を上げると私の両手を手に取り、握りしめた。


「乗り越えられたのは、あくまでも私個人の話。ゆう君にとって、あの一年間がどれ程のものだったのか私にはわからないんだけどね、今になって思い返せば思い返すほど、最後の別れ際の笑顔は強がりの嘘だった気がしてならないんだ。気のせいかもしれない。でも、どこか寂しそうだった気がするんだよ。

 そして今日。『大丈夫、心配ないよ』って会計の時に言った時のゆう君の笑顔は、あの時そのものだった。ゆう君は、もしかしたら今も嘘をついている。強がりながらも、陰で苦しんでいるのかもしれない。私はそんな気がしてならないんだ。もしかしたら、その嘘が私を避ける理由になっているのかもしれない。

 私の勘違いならそれでいい。でも、本音をこぼしたり、弱みを見せたりするような事があったその時は力になってあげてほしい。ゆう君を支えてあげてほしい。今も昔も、私にその役目は無理みたいだから。お前何様だよって思うかもしれない。でも、ゆう君には夢を叶えて幸せになってほしいから」


 今にも泣きだしそうな表情だが、芯のある力強い声でそう私に訴えかけてきた。私は力が籠った日南さんの思いに、何も返す事ができなかった。返せるはずなんてないのだから。


「ごめんごめん。急に真面目な話しちゃって」


 日南さんは気を遣ってくれたのか、明るい声でそう言うと私の手を解放してくれた。


 その後は何を話したのか、あまり覚えていない。当初の目的などとうに忘れて、気づけば家にたどり着いていた。


 家に入ると、須々木さんが玄関の前に立っていた。


「楽しかった?」


 そう聞いてくる須々木さんを見た途端、私は感情を抑える事ができなくなってしまった。一気に涙が重力に負けて頬を伝う。


「私ばっかりで、ごめんなさい。ごめんなさい」


 突然こんな事を言ったって須々木さんを困らせるだけなのに。そんな事わかっているのに。


「気のせいだよ」


 そんな私に須々木さんはそう言い笑うと、涙を拭ってくれた。


「そんなはず——」


 私の言葉を遮るように、須々木さんは私にキスをした。


「もうすぐ日付が変わる。夜道は危ないから、今度からはもう少し余裕をもって帰るようにね」


 そう言い残してリビングの方へと歩いて行った。須々木さんからキスをされるのはこれで二度目だった。

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