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須々木優大8.涙と笑顔のハンバーグ

 指導が始まってから一週間が経過した。案の定覚えが悪いうえに手際も悪く、苦戦していた。それでもなんとか一通りの家事を覚え、及第点と言えるレベルまで達したのだが、一つだけ。どうしても料理が上手くいかないのだ。


 今日はハンバーグを作ったのだが、型崩れしているうえに焦がしてしまったので、見栄えはひどいものだった。


「やっぱり僕には難しいか……」


 こんなものを雨海さんに出せるわけがない。


「付き合わせて悪かった。後処理はしておくから今日はもう——」


「戻りました」


 玄関の方から突然、雨海さんの声が聞こえてきた。


「は!?」


 追加で食材をお願いしたから、もう少し遅くなるって言っていたじゃないか!


 僕は黒崎を睨みつけながらも、急いでぐちゃぐちゃなハンバーグが入った皿を冷蔵庫に押し込んだ。


「私はこれで失礼します」


 黒崎は何事もなかったかのようにそう言うと、キッチンを後にした。


「あ、おい!!」


 引き止めようとしたが、こちらを見向きもせず消えていった。


「珍しいですね。どうして家の中にいるんですか?」


「テレビのリモコンの電池の入れ替えを行っていました。失礼致します」


「ついでだから食べていきませんか?」


「結構です」


「つれないなぁ」


 そんな会話が廊下から聞こえる。もうすぐ雨海さんがやってくる。うまく誤魔化せるだろうか。


 フライパンやボールはとりあえず洗い場に置いた。直接見られる事がなければ、気づかれる事はないだろう。


 僕は勢いよくソファに座ると、テレビのリモコンに手をかけた。冷や汗が止まらない。


「戻りまし……た」


 雨海さんは僕と目が合うと苦笑いをしながら一礼した。ここ数日間、買い物から帰ってくると決まってこうなのだ。


「お、おかえり!! 食材は冷蔵庫に入れておくから、シャワーでも浴びてきなよ」


 僕は雨海さんから食材が入ったビニール袋を奪い取ると、脱衣所に行くよう促した。


「……わかりました。じゃぁ、お願いします」


 時刻はまだ十五時前。シャワーを浴びる理由など、どこにもない。苦し紛れにも程があると思っていたが、雨海さんは意外にも素直に従ってくれた。それが少し不気味でもあった。いや、ありがたい事なのだが。


 僕は雨海さんが脱衣所に入り、シャワーの音が聞こえてきたところでようやく一息ついた。


「危なかったぁ」


 冷蔵庫にもたれかかると、そのまま力なく座り込んだ。


 ばれてない、ばれてないよな? 


 暗示をかけるかのように同じ言葉を繰り返す。


 そうだ。こんな事をしている場合じゃない。早く証拠隠滅を図らなくては。


 そう思い、勢いよく冷蔵庫を開けてハンバーグが入った皿を取り出した。いつもは黒崎とともに平らげるため、一人では食べきれるか不安だがやるしかない。こんな美味しくない料理恥ずかしいし、みっともないし、呆れられる。無駄に手間取らせるだけだ。スプーンを右手で握りしめ、覚悟を決めた。その時だった。


 ガラガラガラと音を立てて、脱衣所の引き戸が勢いよく開いたのだ。


「へ?」


 雨海さんとばっちり目が合ってしまった。


「やっぱり」


 そう雨海さんは呟いた。服はそのままで、濡れてもいない。


 ……はめられた。


「買い物から帰ってくると、決まって食べ物の匂いがしていました。もう一週間くらい前からですか。使った記憶のない食器やフライパンが干してあったり、不自然に食材もなくなったりしていましたし」


 ばれていたのか。何か言い訳を考えなければ。


「いや、あの、これは……」


「隠す必要なんてなかったのに。私の料理、美味しくなかったですよね? 無理して食べなくてもよかったんですよ?」


「そんな事ないよ。とても美味しいし、それに——」


「いいんです。誰だって好みがありますから。食材がなくなったら、お申し付けください。買い物くらいはどうか私にやらせてくださいね」


 僕の言葉を遮り、そう言うと雨海さんは引き戸に手をかけた。


 違う。僕は雨海さんにこんな事を言わせるために作ってきたんじゃない。こんな顔をさせるために黙っていたわけじゃないんだ。


「待って!!」


 僕は音を立てて閉まり始めた引き戸を全力で制止させた。


「どうしたんですか?」


 雨海さんは少し驚いたような表情をしてこちらを見た。


「家事ができるようになれば、君の負担が減る。自由な時間を作る事ができる。やりたい事ができるようになる。君みたいにうまくはできないけど、少しはやれるようになったんだ。でも料理はどうしても上手くいかなくてさ。本当は上手になったらサプライズでもしてその時に食べてほしかったんだけど、匂いまでは考慮できてなかった。今まで黙っていてごめん」


 何が正しいのかなんて、わかっていないくせに。気づかれたからといって、すべてを打ち明けて少しでも許されようと試みている自分がひどく恰好悪い。最低だ。


「わかりません。どうしてあなたがそこまでする必要があるのですか? 私はあなたの命を頂戴する立場です。家事をどれだけこなしたって釣り合うはずがありません。あなたこそ私に構わず、残された時間を自由に使うべきなのではないですか」


 雨海さんは困ったような顔をしてこちらを見つめた。


「僕は今、家事ができるようになりたい。やりたいからやっているんだ。だから不自由だとは感じていないよ。

 ……ハンバーグ作ってみたんだ。もしよかったら一緒に食べてくれないか。嫌ならもちろんいいんだ。僕の身勝手な考えを押し付けてしまっている事は承知している。そのうえ味もひどくまずい。見栄えも最悪だから」


 やはり言い訳しか言えない自分にどうしても腹が立つ。


「……もしかしてここ一週間、トイレ掃除や掃除機がけも、あなたが?」


「うん。君に比べたらまだまだ下手くそだけどね」


「そう、だったんですね。一口、もらいます」


 雨海さんはそう言うと僕からスプーンを奪い取り、ハンバーグを口に運んだ。


 僕は思わず目をつぶった。黒崎以外に食べてもらうのは初めてだし、味もまずい事は保証されている。きっと顔をしかめながら、無駄に食材を使ってしまった事を咎められてしまうだろう。


「本当だ。美味しくない」


 案の定、雨海さんはぽつりとそう呟いた。


「無理しないで。吐き出していいからね」


 そう言いながら目を開けると、雨海さんは涙を流していた。


「ご、ごめん。早く、早く吐き出して!」


 相当不味かったのだろう。僕は急いで雨海さんの口元に皿を近づけた。


「美味しくないけど、とても美味しいです」


 しかし言動とは裏腹に雨海さんはハンバーグを飲みこむと、そう言って笑った。


「どっちだよそれ」


「どっちもです」


 雨海さんはそう言いながら、再びハンバーグをスプーンですくうと口に運んだ。


「腹壊しても知らないからな」


「いいですよ。それでも」


 作った僕ですらそんなペースで食する事ができないほど美味しくないはずなのに。


「もしかして黒崎さんと練習していたんですか?」


「うん。言われた通りの手順でやっているはずなんだけど、全然上達しないんだ」


「その手順教えてください」


 雨海さんはさらにもう一つハンバーグを口に運ぶとそう言った。


「えーと、まずはゼラチンを……」


 僕は黒崎さんに教わった一連の手順を説明した。雨海さんは序盤から何やら悶えていたのだが、お構いなしに続けた。


「……で完成」


 説明し終えた途端、雨海さんは一気に噴き出した。


「あははははっ!! 面白いですね。面白い」


「なんだよ。こちとら必死に作ったんだぞ?」


「いやぁ、無知って怖いですね。怖い怖い」


「もしかして馬鹿にしてる?」


「もちろんです」


「うっわ。さすがに傷つくわ」


 そう言って口を尖らせてみるが、正直悪い気はしていなかった。


「ごめんなさい。でも、さすがにハンバーグにゼラチンは使いませんよ? 最初からびっくりしちゃいました」


「え!? じゃぁ黒崎は嘘を?」


「理由はわかりませんが、そうでしょうね。何もかもがデタラメでしたから」


 あの野郎、なんで嘘なんかついたんだよ。今日だって追加で買い出しをお願いしたから、もう少し帰りは遅くなるって言っていたくせに。


「言ってくださればお教えしたのに」


 雨海さんは涙を拭きながらそう言った。


「それじゃぁ意味ないでしょ。君の負担が増えるだけだ。ちゃんとできるようになってから言い出したかったんだよ。ってそんな事はどうでもいい。もう黒崎なんか信用しない。あと無理してハンバーグ食べないで!」


 僕は雨海さんからハンバーグを乗せたスプーンを奪い取ると、口に運んだ。


「まずい。やっぱりまずいだけじゃないか。みんな嘘ばっかりだ。あとは僕が食べるから君はテレビでも見てゆっくりしてて!」


 僕は鬼の形相で雨海さんを睨みつけ、キッチンから追い出す事に成功した。雨海さんは何か言いたそうにこちらを見つめているが、そんな事はお構いなしに気合でハンバーグを平らげると、洗い物を済ませて家をでた。


 勢いよく車の窓を叩くと、窓が開いて顔を出したのは案の定黒崎だった。


「どういう事だよ」


「何がでしょう?」


 黒崎はいつも通りの声色でそう言った。


「今日追加で買い物頼んだのは嘘だったんだろ? ハンバーグのレシピもデタラメだったらしいじゃないか」


「それがどうかしましたか?」


「開き直るなよ。何で嘘なんかついたんだ。もしかして料理以外の手順もすべて嘘なのか?」


「……雨海様に変わった点はございましたか?」


「え?」


 変わった点? どういう事だ。意味が分からない。


「ありがとうございます」


 黒崎はそう言うと僕が思考した一瞬の隙をつかれ、窓を閉められてしまった。


「お、おい。どういう事だよ」


 その後も数回叩いたが、顔を出す事はなかった。しぶしぶ家に戻り、リビングにでると雨海さんは不貞腐れたような顔で一度こちらを見た。


「おかえりなさい」


 しかしすぐに表情を笑顔に切り替えると、そう言った。


「た、ただいま」


 何となくだけど、機嫌が悪いような気がする。


「何かあった?」


 僕はソファに座っている雨海さんの隣に腰掛けると、顔を覗き込んだ。


「何もないです」


 そう言い、雨海さんはリモコンに手をかけるとテレビの電源を入れた。ニュースキャスターの声が聞こえてくる。それをただ一点に見つめている。


 一か月ほど一緒に生活してきたが、雨海さんのこのような様子は初めて見た。おそらく僕が相当ひどい事をしてしまったに違いない。


「あ、あの、嫌な事してごめん」


 その場でゆっくりと正座をすると、テレビを見つめている雨海さんに頭を下げた。


「何がですか」


 雨海さんは小さい声でそう言うと、テレビの音量を少し下げた。


「僕が悪かった。埋め合わせはするよ。だから、この通りだ」


「何の事だかわかりません」


 再び頭を下げるが、声のトーンは低いままだった。


 このまま謝り続けても埒が明かない。当然だ。理由がはっきりしていないのだから。僕は正座をしたまま頭を抱えた。


 雨海さんはいつから機嫌が悪かった?


 僕が黒崎のもとから帰ってきた時。


 いつまでは機嫌がよかった?


 雨海さんが僕の作ったハンバーグを食べていた時は、少なくとも機嫌が悪くなかった気がする。その間僕がやった事なんて美味しくないハンバーグを平らげて、洗い物をして家を出たくらいだ。


 ……まてよ?


「洗った食器の汚れが落ちていなかった事だ!」


「そんな事どうでもいいです」

 

 雨海さんは小さくため息をつくと、テレビのチャンネルを変えた。


 じゃぁもう本当に何もしていないじゃないか。


 ……いや、まだある。


 これだ! これしかない!


「君を嘘つき呼ばわりした事でしょ!」


 間違いない。事実にしろ、せっかく無理して食べてくれたうえにお世辞まで言わせたんだ。これが確実にせいか——


「洗濯しなきゃ」


 そう言い雨海さんはゆっくり立ち上がると、脱衣所へ向かい扉を閉めた。


 これも違うのか?


 あぁ、くそ。ちっとも思い通りにいかない。また失敗してしまった。あんな顔をさせるために家事を覚えたわけではないのに。何がいけなかったのだろう。考えても分からない。雨海さんの言動を振り返ってみても……。


 僕は勢いよく立ち上がると、脱衣所の扉の前まで移動した。


「ハンバーグ、僕が全部食べちゃったから?」


 扉に手を添えながら、僕はそう雨海さんに伝えた。


「どうして、そう思ったんですか?」


 扉越しに雨海さんの声が聞こえる。先程とは明らかに反応が違うのが扉越しでもわかる。


「美味しいって言っていたから。お世辞だと思っていたけど、君にとっては好きな味だったのかなと思って」


「違います。あのハンバーグは本当に美味しくありませんでした」


「……そっか。ごめん」


 これも違うのか。思わず肩を落としたその時、


「違う。違うんですよ。謝るべきなのは私なのに。ちゃんと伝えなきゃいけないのに、それなのに上手くいかなくて。体が、口が、すべてが。思った通りに動いてくれないんです。私は、私が大嫌いです」


何かに怯えるような声で、唐突に雨海さんはそう言った。


「口先だけで何もできなかったくせに、駄々をこねて逃げ出した。また変えられないのだろうと心のどこかで思っていたのに。そんな選択しかとれなかった心底大嫌いな自分と、何より未来を変えたくて今は僕なりに努力しているつもり。

 今の自分が許せないのであれば、なりたい自分に少しずつ変わっていけばいい。時間はある。焦る必要はないよ」


 そう言うと僕は扉を背にして、その場に座り込んだ。


「あなたは私のために家事の勉強をしてくれていました。ハンバーグは確かに美味しくなかったけれど、それを差し引いても食べたい。そう思えるくらいに嬉しかったんです」


 数分間の沈黙の後、雨海さんの声が聞こえてきた。


「そうだったんだね。ごめん。気づけなくて」


「ですから、謝るのは私の方なんです。布団の件だって、私のためを思って行動に移してくださったのに、私は怒る事しかできませんでした。今までの人生の中で人の優しさに触れる事がなかったので、ご厚意に対する甘え方が私にはわかりませんが、そんな言い訳で今までの所業をなかった事にするつもりは毛頭ございません。本当に申し訳ございませんでした」


 雨海さんは震える声でそう言った。


「厚意の甘え方なんて僕にだってわからないけれど、嬉しいって思ってくれたのだとしたら『嬉しい』ってそのまま伝えればいいんじゃないかな。少なくとも、そう言われたら僕だって嬉しいよ」


 僕がそう言うと、すぐに扉が勢いよく開いた。


「嬉しいです。嬉しい。嬉しかったんです。本当に、本当に嬉しかったんです!」


 雨海さんは目を見開きながら僕に顔を近づけると、そう連呼し始めた。


「わかった。わかったよ。僕も嬉しいよ」


 僕はキスでもしてしまうんじゃないかと思うくらいゼロ距離で嬉しいを連呼するマシーンとなった雨海さんを何とか制止させた。


「私にもたくさん聞いてください。負担だなんてとんでもないです。せっかく一緒に居るんですから、私だけのけ者にしないでください」


「……わかったよ」


「破ったらテレビ禁止ですからね」


「臨むところだ。じゃぁ早速で悪いんだけど、ハンバーグの作り方教えてほしいな」


「はい!」


そう言って、雨海さんは満面の笑みを浮かべた。


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