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蘭の花、異世界に招かる 天朝国奇譚  作者: 小野田青夜
第二章 佳人たちの宮裏
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第十七話 錯綜する思惑

 何気なく言った言葉に返ってきたのは、全く予期しない答えだった。


「陸侍中、彼女に毒見をさせるためにここへ?そんな危険なことを」

 じわじわと意味が解ってくると、愕然とした蘭子は非難めいた面持ちで道紀に向き直った。深く考えず、媚娘を推薦してくれたことを素直に喜びすぎた自分が恥ずかしい。裏にそんなとんでもない取引があったとは。


 蘭子の顔色が変わったのを見て取り、道紀の目が僅かに細められた。

「…大事なことですのでね。今朝も襲撃がありましたが、差し向けた相手の正体も目的もまだよく解っていないのです。次はどんな方法で来るか…」

 皇帝も一目置く智謀の士は、読めそうで読めない真相にどこか焦れた様子で、もどかしげに冠の額からこぼれた髪を掻きやった。


「武器を手にした刺客なら、仁勇がここに一人居れば充分あなたを守れます。掌客殿は水に浮かぶ楼閣ですし、李常侍が身辺を注意していますから建物に火を放たれたり間者が紛れ込む可能性も低い。問題は食事です。どうしても外から持ち込まれますから」

「だからって…」

尺蠖(せきかく)の屈は以て信を求むるなり。志を果たすためには一時の忍従もやむを得ない場合もあるでしょう。鄧采女が志願しなかったとしても、誰かがあなたを守るために毒見役になるのです。ご理解いただけますか」


 確かに、元の世界に帰るためにはここで毒殺されるわけにはいかない。生き延びなくてはならないが、もし媚娘が毒に当たってしまったら、自分が助かったことを素直に喜べるだろうか。何事も無かったように新しい毒見役が用意されるのだろうこの宮廷の食に、安心どころか空恐ろしさがもくもくと沸いてくる。

 甘氏も媚娘も蘭子が来てしまったせいで、身を危険に晒さなくてはいけなくなった。自分がまるで疫病神のようで、蘭子は身の縮む思いだった。


「毒見係が毒を盛る可能性もありますが」

 その時、黙って聞いていた陽阿が冷ややかに口を挟んだ。


「宮中では毒が用いられることは珍しくありません。食事のみならず、飲み水や薫物、化粧道具、日常の調度品にさえ常に用心します。警戒をかいくぐるのは容易くない」

 まるで雛を庇う鳥のように、陽阿は蘭子と皇帝の側近との間に割って入る。氷刃のごとき眼差しが媚娘に、ついで彼女を推挙した者に向けられた。


「最も確実な方法は、毒見する者を取り込むこと…違いますか」

 蘭子は息を呑み、思わず道紀の表情を探った。しかし彼は動じた風も無く、心外だと言わんばかりに反問する。

「つまり、李常侍は、私が呂小姐に毒を盛るのではないかと疑っていると?」

「…そうとばかりは限りません。その少女が心変わりしないと言いきれるのですか?」

 あからさまな要約に、麗しい宦官はいささか鼻白んだ様子で矛先を転じた。


「李常侍もご存じの通り、この国の法では推挙された者に罪過があれば、それを推した者も連座で罰せられます。私も、その覚悟を持って人を選んでいる。信用していただきたい」

「信用?この状況で信用せよと?」

 陽阿の物言いから、まだ僅かに残っていた目上の官人に対する遠慮が消えた。


「侍中の印綬を持つ方に対して無礼とは承知しています。けれどあなたは根回しが良すぎる。こちらへの出入りを許されるのも、宮女を見繕うのも、いくら何でも早すぎだ。そもそも、この小姐が曹家に匿われたと皇上のお耳に入れたのも陸侍中だとか。己に都合よく事態の全体像を設計した者が居るとすれば、あなたが最も疑われるべきでしょう」


 陽阿の指摘を聞いて、蘭子は改めて愕然とした。親身になってくれるのでついぞ忘れていたが、道紀とは昨日が初対面なのだ。


「随分買いかぶられたものですね。先を読み、備えを怠らず、決断すべき時に決める。それは智を以て君に仕える者の当然為すべきことであって、今回はそれがたまたま巧く嵌ったに過ぎません」

「私は皇上御自ら、太皇太后様の姪孫を礼遇するよう命じられています。あなたは何を目論んでこの件に独断で関わってこられるか」

「李常侍。誤解なきように。こちらは殊更にあなたの権限を侵すつもりはありませんよ」

 刺々しい言葉の応酬に、蘭子ははらはらしながら成り行きを見守るしかなかった。


()が悪いな…仕方ない。ひとつ明かしておきましょう。私は彼女に、呂小姐について気付いた点は過不足なく報告するよう命じてある」

「えっ…?」

 蘭子はぎょっと道紀の横顔を見上げた。居心地悪そうにしている媚娘と違って、全く悪びれる色はない。陽阿の舌鋒に敵意が増した。


「では認めるのですね、鄧采女があなたの息の掛かった間者であると」

「ええ。彼女を使っていただく上で、この点ははっきりさせておいた方がそちらも助かるでしょうから」

「ぬけぬけとよくも…とんだ埋伏の毒だ!」

 だんっと音を立てて、色白の繊手が脇に置かれた卓を打った。秀麗な顔を紅潮させ、陽阿はここへ来て初めて声を荒げた。


「前言を撤回します。陸侍中、その娘を連れ帰ってくださいますか」

「愚かなことを。仮に私に姦計があれば、何が何でも(しら)を切りとおしますよ。隠しておかない埋伏の毒に何の効き目があると?」

 対して道紀は沈着さを保ったまま、口元に微かな嗤笑を刻んだ。うわ意地悪そう、と思った途端に目が合い、蘭子の心臓が大きく跳ねた。


「呂小姐。鄧采女を仕えさせるのは、あなたの安全を守るためであり、安心して過ごしていただくためであり、私があなた方と必要な情報を共有するためです。決してあなたの不利になる真似はしません。お解りください」

 にこりと微笑む圧力が凄まじく、蘭子は蛇に睨まれた蛙のように固まった。ちらりと陽阿を窺えば、断れと言わんばかりの顔をしている。


「あの、わざわざ毒見しなくても、食材と道具さえ持ち込んでいただければ自分で調理して食べます、けど…」

 おずおずとした蘭子の申し出に、全員が瞠目した。官吏である道紀も、宮廷暮らしが長い陽阿も、田舎とはいえ令嬢育ちの媚娘も、食事は使用人に作らせるもので自ら厨房に立つという発想は微塵もなかったのである。


――そういえば、この世界ってガスコンロも炊飯器もレンジも無い…?


 常照寺(じょうしょうじ)には古い竈があったが、もちろん滅多に使う機会など無かった。自分で提案しておきながら、無謀だったかもしれない。後悔しかかった時、皮肉っぽく嗤ったのは陽阿だった。


庖人(ほうじん)、庖を治めずと(いえど)も、尸祝(ししゅく)樽俎(そんそ)を越えて之に代わらず。それでも庖人の真似事をすると?あなたには誇りというものが無いのですか」

 雪解け水のように冷たい声に、はっきりとした蔑みの色が滲んだ。

 料理人が仕事をさぼったとしても、神官はそれに代わって酒樽やまな板を扱ったりしない。何故なら、神官は貴く、料理人は賤しいからだ。尊貴の者には尊貴の、卑賤の者には卑賤の、それぞれ役目が分かれている。陽阿が言いたいのはそういうことだろう。


 断念しかけていた蘭子は、その一言で負けん気に火が付いた。料理だけは苦手だった養母の代わりに、これまで十年以上家で炊事をこなしてきたのだ。薪でお風呂を焚くことだってできる。要領さえ掴めば、やってやれないことはないだろう。


「名宰相の伊尹(いいん)も、料理は得意だったって聞きましたけど」

 氷の眼差しを見返して、蘭子はしつこく食い下がった。

「掌客殿って、台所…厨房は無いんですか?」

「殿内にはありません。現状、隣接する後宮の厨房から運ばせています」

 道理で料理が冷めきっていたわけである。しかし運ぶ距離が長ければ長いほど、毒が混入する可能性は高くなるのではなかろうか。


「あれ、確か厨房在ったはずですけど?北の雪峰閣(せつほうかく)の半地下に…あ」

 媚娘が慌てたように自分の口を覆った。時すでに遅く、陽阿の猜疑の視線が注がれる。


「宮中に入ったばかりのあなたが何故そこまで知っている?」

「これは、余計なことまで教えてしまったかな。申し訳なかったですね、李常侍」

「…あなたの入れ知恵でしたか。抜かりないことでいらっしゃる」


 気のせいか、舌打ちが聞こえたような。自分で食事を作るという提案の後から、加速度的に陽阿の態度から丁重さが失われていっている。もしかしてこれが素なのだろうか。

 ただし、厨房を借りる件は道紀も首を縦に振らなかった。


「おそらくここ何年も使われていないはずなので今も使用に値するかどうか…。雪峰閣は主殿を挟んで正反対に位置していますし、毎日あなたが往復するにはやや遠いでしょう。そうでしたね?」

「仮にこの閣内に在ったとしても、呂太皇太后様の姪孫が厨房に立って煮炊きなどやめてください。あの方の恥になる」

 陽阿は本気でうんざりした様子であった。仁勇とはまた違った意味で、彼は蘭子が気に入らないらしい。むっとした蘭子は皮肉を込めて言い放った。


「思うこと其の位を出でず、ってわけですか」


 自分の務めでないことは考えず、余計な口出しをしない、という意味だ。太皇太后の親族が下女のように食事の支度に嘴を突っ込んではならないのもそうなら、一宦官が蘭子の行動をあれこれ非難がましく云々するのも充分余計な口出しではないか。

 すぐに意味を理解した陽阿は射抜くように蘭子の顔を見つめ、次いで居住まいを正して床に膝をついた。


「出過ぎた物言いだとお怒りになられましたなら、ここにお詫びいたします。けれども敢えて重ねて申し上げます。あなたが本当に呂博陸公のご息女ならば、貴族の令嬢にふさわしい振る舞いをなさってください。お解りですか、呂氏の族員でただ一人残っておられるあなたの評判は太皇太后様のご尊名に直結するのですよ」

「あいにく、私が来る前から大叔母様の世評は賛否両論みたいですが」

 太皇太后は何十年と政治の表舞台で活躍してきた傑物なのだ。毀誉褒貶は昔からだろう。今さら自分一人の言動ひとつで評価が左右されるとは思えない。


「戯言を」

 闇に炎が立つように、冷たく動じなかった陽阿の瞳の奥に瞋恚が燃え上がった。

「いくら人を遠ざけようと、ここは宮中。あなたの一挙一動に注目している者はいくらでも居ます。あなたがひとつ突飛なことをなさるたびに、それが何倍にも誇張されて宮廷中に知れ渡る。それらが積もって、太皇太后様への反感に繋がるのです」


 蘭子はまるで頬を叩かれたように愕然とした。自分がこれまで会ったことも無い呂一族のために罵られたりあるいは下にも置かぬ扱いを受けたのと同じように、太皇太后も遠い身内の蘭子がしたことで褒められたり貶されたりするというのか。


「誰が何と申しても、あのお方は太祖皇帝のご正室であり、お立場に恥じぬご器量をお持ちです。他のどなたにも代わりは務まらない。どうかあなたは、かつての父祖と同じ過ちを繰り返さないでいただきたい」


 太皇太后を全面的に称える人は甘氏以来だった。言いきった陽阿の口吻からは言葉以上の敬意が感じられた。呂太皇太后を高く評価しているのは信じてよさそうだ。蘭子の世話役を命じられたのもそのためかもしれない。

 ただし、太皇太后を尊敬しているからといって、甘氏のように無条件に蘭子に好意的に接してくれるわけではないのだ。乳母ではないのだから当然かもしれない。身内だからこそ、かえって厳しい目で観られていると言っていい。名を汚し足を引っ張るだけの親族であれば容赦しない、と。


「思うこと其の位を出でず、とは(かみ)は上らしく、(しも)は下らしく振る舞うことです。それこそが後宮の金科玉条。下を真似る上は侮られ、上に(おご)る下は咎めを受けます。お解りになりましたら、ご自身の立場を考えて(ぶん)を守ってください」


――かつての、父祖…?

 蘭子は震え声で言いかけたことを寸前で呑み込み、別の問いを口にした。


「…それは、自分で料理をするな、ということだけでなく、周りの人に毒見をさせよ、っていうのも含めてですか?」

「当然です」

 斬ってすてるような、にべもない返事だ。譲歩を引き出す余地もない。


「解りました…何か方法を考えます」

 その言い分に納得はしていないが、蘭子はひとまず引き下がった。他に安全に食事をする方法は何か無いだろうか…。

 また何事か言いかけた宦官を制して、道紀が口を開いた。


「近いうちに必ず皇上のお召しがあります。当面の間はこの桂林閣(けいりんかく)のある浮島に留まっていただけると有り難いですね。その範囲ならばあなたの好きに使って構いませんので」


――つまり今後数日は確実にここで軟禁ってわけね…。

 やんわりと釘を刺され、蘭子はひとまず気持ちを切り替えることにした。判らないことが多すぎる以上、しばらくはむやみに動き回らず、謁見で失態が無いよう備えた方がいい。それまで毒を盛られないことを祈るばかりだ。


「皇帝陛下には、いつ頃お目に掛かれますか」

「そうですね…」

 道紀が少し考えるようにして首をひねった。どうやら本当に予想がつかないらしい。


「ご命令が有り次第お伝えします。おそらくは次の吉日に。長くても十日といったところでしょう。私の推測では、それほど大掛かりな謁見にはならないはずです」

 長くても十日後。皇帝の招きに応じて来た以上、謁見の儀は避けては通れない。緊張に強張った蘭子の肩を宥めるように手を載せ、今のところ最も天子の信任を得ている青年は目を細めた。


「あなたに後ろ暗いところが無いなら心配は無用です。今からでもきちんと対策をすれば問題なく済みますよ。私も力を貸します」

 試験前の家庭教師のようなことを言う道紀に向かって、蘭子は最も気になっていたことを質問した。


「あの、とても有り難いのですが、どうして私にここまで親切にして下さるんでしょうか?」


「小姐」

 何を馬鹿な質問をしてるのか、と露骨な呆れ顔の宦官に向かって、蘭子は半ばむきになって言った。


「自分で考えたって結局推測でしかないでしょう。聞いても教えてくれないかもしれませんけど、聞かなかったら絶対に判らないままじゃないですか」

 だったら馬鹿にされても聞いた方がましです、と力説する少女を前に、問われた男は虚を突かれたように目を瞬かせ、口元を弛めた。気のせいか、先ほど見せた嘲笑とは幾千里も隔たっているようだった。


「そうですね、強いて言えば…あなたの願いが叶ってほしいからですよ」

「は、はあ…ええと、ありがとうございます?」


 やはりいいようにはぐらかされたな、と言わんばかりの陽阿の眼差しが針の雨のようにちくちく刺さってくる。蘭子はここへ来て何回目かの後悔をした。


「宮中の礼儀は李常侍から教えてもらってください。構いませんね?」

「え…!?」

 確かに他の仕事も抱えているだろう道紀にそこまで頼めないのは解る。解るが。

 蘭子は恐る恐る陽阿に視線を向けた。適任だと言われればまさしくそうなのだろうが、この人は…。


「お任せください」

 妙にやる気の感じられる「お任せください」に嫌な予感をひしひしと感じる。だが馬鹿にされても聞いた方がまし、と言い放った身で拒否できる立場ではない。蘭子の口から出てきたのは、実にありきたりな言葉だった。


「よ、よろしくお願いします…」


 娟雅な宦官は短く頷くと、いっそ嫌味なほど完璧に整った所作で距離を詰め、蘭子にだけ聞こえる声量で囁きかけた。

「…呂小姐は、時折言動が分を越えるようですので、教え甲斐がありそうです」



    ◇   ◇   ◇



「鄧采女」

 蘭子の室を一歩出た道紀は、すぐに表情を引き締めて慎重に辺りを見回した。陽阿の耳に届かない距離で、小声で自分が推薦したばかりの宮女に合図する。すぐに面倒くさそうな返事が返ってきた。


「はいはい、何ですかぁ、陸 大人(どの)

「宮中では『陸侍中』。解ってるね」


――鄧媚娘というのは、偽名だろう。君の本当の名前を教えてくれたら、願いを叶えてあげるよ。


 甘氏の葬儀のどさくさに紛れて蘭子の荷物に探りを入れようとしていたあの子充とかいうおっさんを「とっちめて」いた媚娘の前に現れたのが、この男だった。


「あれじゃ、あたしが前から陸侍中と結託してたみたいじゃないですか。小姐に嫌われちゃったらどうしてくれるんです?」

「嫌われはしないだろう。多少は疑いを持たれるだろうが」

 失った信頼は今後二倍の働きで取り返すように、と言われ、媚娘は小さく鼻を鳴らした。

「ほんっと、性格悪…だから内室(おくさん)にも逃げられるんだ」

 道紀の作り込んだ微笑に微妙なひびが入った。そういえば昔、彼女にはそのようなことを言って適当にはぐらかした覚えはある。


「さきほどのは君の失言を繕ったんだよ。まさか二回も口を滑らせるとはね。てっきり自分の素性を自分でばらす気かと思った」

 李常侍は聡明であり、用心深い。あえて間者だと明言したのは、媚娘にそれ以上の疑いの目が向くのを避けるための小手先の策だ。


「呂小姐と二人の時でも用心すること。ここは宮中だ。君の口の軽さは身を亡ぼしかねない」

「解ってますよ。三十そこそこで九卿に次ぐ高官の侍中様。勅使で来た時、偽物かと思いましたもん。すっかり齢食っちゃって」

「私が言ってるのはそういう発言のことだよ。驚いたのは私の方だ。まさか呂小姐に君がくっ付いてくるなんて。今回の騒動、君の仕業じゃないだろうね」

「全く驚いた顔しなかったくせによく言いますよ。冗談じゃないです。あたしはいつだって計画っていう言葉とは仲良くないんで」

 道紀は妙に納得し、くっくっと破顔した。確かにそうだった。


 どうして力を貸すのかと尋ねられた時、あのように答える己は想定していなかった。もっと信憑性のある、別の回答をいくつも用意してきたはずだ。まさかの「最も真実に近い」答えを口に出した直後、道紀は自分にこんな人の良さが存在したことに愕然とした。


「…天の配剤とは、実に面白いね。ここまで役者を揃えてくるとは。やはり彼女は本物かな」

――そうだったらいい。それでこそ肩入れする甲斐がある。


 もう仕事戻っていいですか、と言う媚娘を片手で追い払うと、道紀の頭脳は既に次の段階へと移っていた。

【注】

・「尺蠖(せきかく)の屈は以て信を求むるなり」『易経』繋辞伝下より

 尺取虫が身体を曲げるのは、伸びるための準備である。同様に人も一時の不遇が未来の発展の基礎になる。

*信と伸を掛けている。


・「庖人(ほうじん)、庖を治めずと(いえど)も、尸祝(ししゅく)樽俎(そんそ)を越えて之に代わらず」『荘子』逍遙遊篇より

 堯帝から禅譲をされそうになった許由の台詞。料理人が料理をしないからといって、祭祀官が台所に立つはずがない。すなわち、天子の堯帝が天下を治められないからといって、世俗など超越した自分が代わりに天子になることはできない。


・「君子は思うこと其の位を出でず」『論語』憲問篇より

 君子たる者は自分の職責には誠心誠意尽くすが、他人の領分にむやみに口を挟まない。

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