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蘭の花、異世界に招かる 天朝国奇譚  作者: 小野田青夜
第一章 紅い薔薇のいざない
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第九話 帝国の軌跡

「その廃帝(はいてい)は、今も生きてるの?」

「え?もう十年以上前に幽閉先で死んだそうですけど…どうしてですか?」

 蘭子(らんこ)の素性を知らない媚娘(びじょう)は、怪訝そうに眼を瞬かせた。既に廃位された帝のことをあれこれ知りたがるのは、やはり不自然だっただろうか。


 蘭子は少し考え、口を開いた。

「媚娘、私まだ帝室の歴史を聴いたことがないの。あなたが知ってることを詳しく教えてくれない?」

「いいですよ。ええと、太祖皇帝が生まれた頃、天下はたくさんの王国に分かれてました。でも西の方…ちょうどこの辺りを根拠地にしていた(ろう)国が力を伸ばして、他の全ての王国を亡ぼして天下の支配者になりました」


 歴史の講義を思い出すように、媚娘は少しずつ順を追って話し出す。その国や人の名は違うが、やはり蘭子の知っている紀元前三世紀末の中国の戦乱と似ていた。


「でも隴国も天下を統一した無極帝(むきょくてい)が死ぬとまとまりがなくなって、あちこちで群盗が起こりました。中には亡ぼされた旧王家の残党とかも居ましたけど。そんな時、太祖皇帝は群盗を鎮める中で頭角を現して、ついに隴国から禅譲させて帝位に就いたんです」

「えっ、太祖は隴国の人だったの?」

「違いますよ、太祖はもともと一番最初に滅んだ(てい)国の宰相の家に生まれたそうです。だから姓は公孫(こうそん)氏。諱は…無忌(むき)、だったかな。あ、諱はあまり口に出しちゃ駄目ですよ。死んだ人の名前を何回も呼ぶと、(ゆうれい)になって出てくるんです」

 媚娘は神妙な顔で告げた。幽霊になって、を強調しないでほしい。

「…ほんとに?」

「ほんとですよ。(あざな)は大丈夫ですけどね。太祖陛下の字は鵬翔(ほうしょう)っていうらしいですよ」

 そこは向こうの歴史と少し違っている。確か漢の高祖・劉邦は農民の出で、統一秦への反乱側に参加して名を挙げたはずだ。字も季という何の捻りも無いものだったはず。


「実は太祖は戦が苦手で、あまり実戦に出ることはなかったそうなんですけど、三人の腹心、張軍師・蕭宰相・韓将軍が揃って太祖を支えて、群雄割拠の乱世を平定したんです」


 帷幄(いあく)に在りても勝利を千里の外に決すと謳われた名軍師・張嘉(ちょうか)、多くの人材を集めて太祖の帰る根拠地を保ち続けた賢相・蕭幾(しょうき)、どれほど不利な戦況でも戦えば必ず敵を退けた名将・韓義真(かんぎしん)。王朝創業期の伝説を鮮やかに彩る三人の功臣は、在りし日の絵姿が未央宮(びおうきゅう)の奥の間に今も飾られているという。


「その三人が『建国三柱』なのね」

 漢の三傑みたいなものか。何の偶然か、姓まで一緒である。太皇太后も含めて。

「そうですよ。それで、太祖には十人の皇子が居たんですが、このうち呂皇后(りょこうごう)、つまり今の太皇太后様が産んだのは第二皇子だけでした。順当に行けば問題なく第二皇子が立太子されるはずでしたが、他にも寵愛の厚い妃が居て、後継者がどう転ぶか誰にも分かりません」


 蘭子は押し黙った。我が子を後継ぎにしたい太皇太后の心は分かるが、どうしても漢の呂太后のイメージが重なってしまう。己と我が子を危うくした戚姫(せきき)を八つ裂きにした、恐ろしいほどの情念に。


――こちらの「呂后」も、もしそういう人だったら…。

 内心ぞっと身震いした蘭子に構わず、媚娘は先を続ける。


「そんな時、張軍師が呂皇后に立太子の秘策を捧げたんです。それが功を奏して、ついに第二皇子は皇太子に立てられました」

 この皇太子が天朝国二代目の皇帝・睿宗(えいそう)で、公孫檀(こうそんだん)という。


「太祖が崩御なさり、皇太子が即位すると、呂皇太后は張軍師とその一族に恩返しをしようとしたらしいんですが、何と当の張軍師は地位も財産も返上して、仙人になるって言い残して行方をくらましたそうです」


 息子たちが手を尽くして探したが、その後の消息は杳として知れない。韓義真が時を置かずして自害に追いやられたのと比べると、「狡兎死して走狗煮らる」という摂理を正しく弁えていた張嘉は、処世に長けた人物だったようだ。


「そうそう、張軍師って、太祖にお仕えしてた頃はどんな美女よりも綺麗だったらしいですよ。もし今も生きてたら百歳くらいになってるでしょうね」

 うっとりした顔で、若い頃の張軍師見てみたかったなぁ、と美男子好きの媚娘は呟く。


「しばらくは蕭宰相が丞相として国政を執っておられたんですが、数年して亡くなられて、それからすぐに睿宗陛下も若くして急に身罷(みまか)られたんです」

 呂太后の血を受けた唯一の皇子・睿宗公孫檀の治世は、皮肉にもたったの十一年で幕を閉じた。享年は二十九。

「そんなに早く?」

「睿宗陛下には生まれたばかりのお子が一人居ただけで、次の皇帝になれるかどうか微妙な情勢でした。太祖の皇子はその頃まだ六人もご存命で、帝位がそっちに行く可能性もあったみたいです」


 二代目が早死にするというのも、王朝が揺らぐ原因の一つだ。天朝国もご多分に洩れず、嫡孫が即位できるか危ぶまれる事態に至ったらしい。


「でも、呂太皇太后様の鶴の一声で、三代目の皇帝は睿宗陛下の忘れ形見に決まりました」


 後に少帝と諡される三代皇帝・公孫盈(こうそんえい)はまだ己の運命も知らず、揺り籠の中ですやすや眠っていたという。呂太皇太后が政治の決定権を握るようになったのはこの頃からであった。彼女の身内が枢機の官を占めるのも。

 孫を支えて朝政の表舞台に立った彼女にとって最も危険な存在は、王として各地に封建されている太祖の皇子たちである。彼女は何かしら理由をつけて、この血の繋がらない息子たちの領地を減らし、爵位を落とし、力を削ごうとした。


「特に標的になったのは、臨淄王(りんしおう)殿下…つまり今の皇上の父上です」

 臨淄王・公孫昶(こうそんちょう)は太祖の長男で、次弟の睿宗より十歳以上年長だったが、早死にした母の身分が低く、後嗣には選ばれなかった。だが何といっても睿宗の異母兄であることから、彼の血筋を太祖の直系と考える臣下も根強く、呂太皇太后も警戒を強めていた。

「結局、臨淄王は皇帝になることなく薨去なさったんですけど、問題はその後で」


 時に少帝の十三年。臨淄王の世子(せいし)公孫意如(こうそんいじょ)は父の爵位の継承を願い出たが、呂太后はこれを突っぱねた。やがて下された詔は、亡き臨淄王の藩国を五人の王子で分割相続せよとの命令だった。

「世子は激怒し、母妃の実家の力を借りて反乱を起こしたんです」

 嫡男なのだから臨淄王の爵禄をそのまま継いで当然というのが世子の認識であり、それが受け入れられなかったのを知るや、根拠地の斉州(せいしゅう)で十万の軍を以て挙兵した。


「それじゃ、太皇太后は臨淄王家の反乱で失脚したの?」

「うーん、そうとも言えるんですが…」

 蘭子の指摘に、媚娘は首をひねった。

「臨淄王家の反乱は単なるきっかけで、呂氏が滅んだのは、時を同じくして周興(しゅうこう)が帝都で謀反したからだったと思います」

「周興…?」

 初めて聞く名前だった。


「逆臣周興、当時は太尉(たいい)だったそうです。あ、太尉は三公(さんこう)のひとつで武官の最高の位です」

 太皇太后のために名ばかりの三公に甘んじていた彼は、討伐軍が東征した隙を狙って禁軍を扇動し、呂氏の主だった高官を皆殺しにして朝廷を占拠したのだ。東方で挙兵した公孫意如とも気脈を通じていたらしい。


「…誰も、止めなかったの?」

 できる限り感情を抑えたはずの声が、震えた。自分が何に憤っているのか、蘭子にも分からなかった。


「さあ…あ、でも少帝陛下は周興の非道をお怒りになり、逆賊の手に掛かって(しい)されたって聞きました。周興の一派は、少帝陛下が微賤の出でありながら出自を偽って玉座を汚した、とでっちあげて、次の皇帝を勝手に決めたんです」

「そんな…」

 外戚の呂氏を庇った、それだけで至尊の少年皇帝は命を奪われただけでなく、その身に流れる皇族の血まで否定されたのだ。


「それで逆臣たちが推戴したのが、廃帝…つまり、太祖の五男に当たる北平王(ほくへいおう)でした。人畜無害な人だったそうで、周興一派に無理やり担ぎ出されただけだったという噂です」

「ちょっと待って、臨淄王の世子は?彼は直系じゃないの?」

 自ら反呂を掲げて挙兵した公孫意如は、当然自分が次の帝になる気だったはずだ。何もしていない叔父を主君と仰ぐのを納得したとは思えない。

「臨淄王世子は廃帝に従わなかった罪で殺されましたよ。だから今の皇上が廃帝を討ったのは、兄君の仇討ちでもあるんですね」


 蘭子にも少しずつ関係性が見えてきた。つまり、今上皇帝はもともと反呂氏派の臨淄王家の出身とはいえ、同じく呂氏に反発した廃帝と周興の勢力に対抗するために、呂太后と手を組むことにしたのではないか。それなら太皇太后が復権した理由も理解できる。

 しかし当時弱冠十六歳で王子の一人に過ぎなかった彼がそれだけのことをやってのけたのなら、今の皇帝というのは相当な切れ者かもしれない。


「ねえ、陛下がご即位なさった経緯というのは…」

 詳しく聞こうとした時、いきなり金切り声が響いた。


「まぁ、何ですか、その御髪は!」


 目を覚ました甘氏は蘭子の頭を見るなり、愕然とした様子で媚娘を叱り付けた。


「小姐は身分の高い方ですよ。市井の浮かれ()の髪型を真似るなど何たることですか」

「えぇ、だって甘媽媽(かんおばさん)の作る髷って正直流行遅れ…」

「お黙りなさい。解雇しますよ」

 ぶつくさ言っている媚娘を退らせると、甘氏はやれやれと眉をしかめ、衣服を調えて起き上がった。

「甘さん、起きてても大丈夫なの?」

「もうすぐ到着ですから、休んではいられませんわ」


 山路を進む車の速度が少しだけ早まった。ようやく延安(えんあん)城が見えてきたのか、馬車の外にいる媚娘が嬉しそうに歓声を上げた。


「わぁ、あれが都ですね!」


 つられて窓から前方を見ると、下り坂の向こうになだらかな白い平野が広がっていた。その白を縁どるように、幾筋もの(かわ)が春の陽にきらきらと光っている。その中、ひときわ目を引く真新しい城壁に守られた街は、重厚な威容を以て訪れる者を待ち構えていた。これまで通って来た地方都市とは規模からして違う。翠色の瓦が層々と重なり合う宮殿群の屋根は、まるで峻険な山脈のようだ。この距離でこれほど大きく見えるのだから、近づいたら見上げんばかりの雄偉に圧倒されるに違いない。そして…。


「こんなにたくさんの李、初めて見た…」

 白い野の正体は、花であった。都城の郊外を埋め尽くさんばかりの李の森が、今を盛りと(しろ)い花を咲かせている。ここから眺めると、まるで照り映える雲の海の中に城壁が浮かび上がっているかのようだ。


――あれが、延安。


 多くの人を惹きつけ、輝かせ、そして呑み込んできた、天朝国の首都がそこにあった。

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