序 始まりの風
三月は冬を父に、春を母にして生まれるのだ。初めには白い粉雪の向こうに松の濃い緑がわずかに覗いていたかと思えば、終わりには明るい日差しにぬかるんだ土から若い芽が次々顔を出す。
ふわり、と強い風が湧き、木々の枝を一斉にしならせた。ほんのり紅を差した白い花びらが蝶の群舞のごとく、ざあっと吹き上がる。
「今年もよう咲くこと」
その一片が舞い降りたのは、白玉を削りだしたような繊手の上。ほっそりした指を飾る色絲で編まれた指輪が刹那、艶のある輝きを放った。ゆったりと丸みを帯びた女らしい身体を包む襦裙は、春に相応しい翠緑の絢錦。長く引いた袖と裾の刺繍は、王妃や公侯夫人以上に許された離雲爵だ。
長閑な山里の風景にそぐわぬ高貴な婦人が、侍女も伴わずに王府の外を歩いている。およそ尋常ではない事態だが、此の人――『華』にとっては造作もないことだ。そもそも人などとは違う次元の存在だから。
桜桃の唇が、細い金の糸を思わせる声で歌うのは、神祭りに捧げられる古の九歌だ。
紛総総兮九州
何寿夭兮在予
高飛兮安翔
乗清気兮御陰陽
一陰兮一陽
衆莫知兮余所為
ごちゃごちゃと人間どもが群れる地上世界
見はるかす予は寿命など持たぬ
高らかに飛び安らかに翔り
清らかな気に乗って陰陽を操る
ときに陰の気 あるいは陽の気
無限のいとなみ、余の為すところとは誰も知らぬ…
『華』はこの世界を生み出した者であり、理を作る者であり、そして破壊する者である。人はそれに「天」とか「自然」とか「無名」とか「道」など様々な呼び名を付けるが、いずれも不正確な一過性の符合にすぎない。人が人を超えた存在に名を与えたところで、それは普遍の名ではない。名を付けるとは、言葉を以て実体を絡め取ることだ。人の理の埒外に在るものを、言葉で表現することなどできようか。
それでも己を表すための言葉が必要になる時、『華』という自称を好んで使った。いつだったか、或る者から捧げられた大輪の華の画は、実に美しい出来栄えだった。あの美しいものと同じ名は、悪い気はしない。
それにしても。
「ほんに、しぶといものぞ。今年も、ようもまあ」
――雌伏を余儀なくされてから、何度目の春であろうか。
自然でありながら人に敗れ、世界を操る力の過半を手放したのが六十年前。あの忌々しい皇帝夫妻が『華』の大望を阻もうとした時、所詮は人間に過ぎぬと侮ったのが間違いだった。人など、『華』がほんの気まぐれに生み出した役者の一部にすぎない。今回もまた『華』の意図に従い、この世界ごと粛々と消失するはずだった。これまで『華』が創っては楽しんで消し去ってきた他の世界と同様に。そのはずが、亡びを拒んだ役者は制作者に牙をむいた。
この事件以来、『華』の計画は大いに狂ってしまった。すったもんだの挙句、皇帝夫妻が死ぬまで終末の繰り下げを余儀なくされた。とんだ譲歩だ。
――なに、人たちの最期の悪あがきよ。
ほぼ永遠に近い寿齢を持つ『華』にしてみれば、六十年など扉の隙間から外を走る馬を視るような短さだ。対して、人間にとって六十年は人生の過半である。あの皇帝の妻は実に長生きだが、待つことにおいて『華』が負けることはありえない。寿夭が尽きるまで待ってやるくらいは、誤差の内だ。
とはいえ、往時に比べて疲弊した『華』が実体を維持するのは、力の消費が甚だしい。そこで気に入った身体があれば入り込んで器とし、使えなくなればすぐ別の器に乗り換えてきた。今の器は六年ほど利用しているが、なかなか使い心地が良い。
緩やかにそよいでいた恵風が、ほんのわずかにその方向を変えた。
『華』の憑いた女はゆるりと顔を上げ、背を預けていた老松の梢を眺め視た。あちこちに灰色の苔を生やした幹は枯れて張りを失い、小さな蟲が出入りしている。けれども骸骨のような枝の先には小さな緑が芽吹いて、新たな枝を伸ばそうとしていた。大司命である『華』には明らかに感じ取れる。木の脈動、草の息吹、生命の廻りゆく奔流の円環が。
興っては滅び、死んで再び生まれるのが世の理である。都から遠く離れた土地に在っても解る。あの皇帝の妻が年々弱っていくのが。
「そろそろ、入り込めるかもしれぬ」
この世界の都は、彼らの造った人為的磁場によって厳重に『華』の侵入を拒んでいる。しかし、この世界に滅びを齎すために必要な力を完全に取り戻すには「或るもの」が要る。それは都の宮殿の奥深くで、皇后かその周辺に隠されているはずだ。
――まずは、都の中に駒を送り込みたい。
勝ちの決まった勝負だ。今は無理せず、少しずつ、少しずつでいい。薄氷にひびが入るように、時が来れば積み重なった小さな布石は一挙に巨大な亀裂を生じる。
神韻縹渺として、言祝ぎの歌が蒼昊に溶けてゆく。
愁うる人よ、どうするというのか
さあ、今を存分に生きるがいい
もとより人の運命は定まっている
逢うも離れるも、思いのままにならぬ
『華』の計画が成った時、この三月の花びらが風に乗って散るように、世界中に一斉に死が蔓延する。不自然に堰き留められ、先延ばしされた滅亡の時が訪れる。
それは、悲劇でも喜劇でもなく、ただの当然の理なのだ。
引用詩 『楚辞』九歌より「大司命」(一部)